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所詮小説を書く能力なんて――

 カクヨム甲子園に出場している作品をいくつか拝読しました。
 才能なんだ、と続けたいところだが、一概に才能の有無ではないだろう。僕は悟りました、所詮は知能の高低なんです。
 古今東西の作家に高学歴が多いのは、小説を書く能力が知能指数によって差があるから。
 簡単な話、知能指数の高い人は頭の回転が速く、読書スピード、長期記憶力、アウトプット力、において優位に立っている。
 努力だけで大谷翔平にはなれない、とそう思わせてくれる不変な真理。
 そして凡骨未満の僕は、育成出身で今ではソフトバンクホークスのエース千賀投手のようにもなれないだろう。
 納得してくれる人も、少しはいると思います。

2件のコメント

  • 現実はそうであっても、高校生の範囲での現実は、努力ですよ、多分。その努力に含蓄されてるものが、才能の一欠片にでもなり得るのは言うことでもないですが。

    その努力をどう今に繋ぐか、来年に繋ぐか、だと思っています。

    失礼しました。
  •  夜分にご意見、ありがとうございます。
     努力の含蓄をしていても、吸収率で差異が出てしまう。
     とはいえ、含蓄が能力として表出していない状態(停滞)であれば、気に病むことはないらしいです。読んだ本曰く『後退しなければ前進している』そうです。
     なので自分も努力を肯定してはいるんです。
     脈絡ない返信で、失礼しました。
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