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11.25

 あと1か月ほどで聖夜となる。最近は気温が下がってきたが、僕は暖房をつけず、学ランを着ないことにこだわっている。

 今までも、大して定期的に更新はしていなかったが、今から少し長い間お休みをいただく。始めたころの、1か月くらい毎日、投稿していたのは、今考えてみるとよくやっていたというものだ。これでも、高校生だから勉強などで忙しい。大学生になればまた投稿するかもしれないが、二度とすることもないかもしれない。今、僕の中には「書くこと」についての欲望がそんなにあるわけではないのだ。一昨日も書いてみようとしたけれど、500文字くらいでもう書くのが嫌になってしまった。書くという行為は、自分の中にある漠然としたものを可視化していく作業だ。自分と向き合うことが必要不可欠である。そのなかで、自らを削っているということを感じることもある。名だたる小説家たちが自ら命を絶っているのも、別に不思議な話ではない。一般職とは違い、ずうっと自らを見つめ続ける。どんなに灯火を消そうとする行為であったとしても、それをやめることはできない。消えゆく炎を見つめ続けるのもなかなか苦しいものだ。


 以下は芥川龍之介氏の『或旧友へ送る手紙』より一部引用。

 (前略)君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。(中略)が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。(中略)我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂いはゆる生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。(後略)

 
 以下は芥川龍之介氏の遺書より一部引用。

 僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。(中略)僕は現在は僕自身には勿論、あらゆるものに嫌悪を感じてゐる。(後略)

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