こちらは【モブの俺が悪役令嬢を拾ったんだが】の本編前日譚になります。
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https://kakuyomu.jp/works/16818093081469820220 ☆☆☆
トワイライト・プリクエル〜Before The Crossroads〜
西の空へと沈み始めた陽が、名残惜しそうに学園全体を黄金に染め上げる――。静寂が降りた学舎と、まだ声の止まないグラウンド。その境界線さえも溶かして、眩しいまでの西日が照らし出すのは、貴重な青春の一頁だ。
長く伸びる影と学舎にまで届く笑い声は、「まだこの時が終わらないで」と言わんばかりの、優しくもどこか切なく静かな廊下に響き渡る。
無理もない。学園が迎えたのはいつもの放課後とは違う、夏季長期休暇を目前にした最後の夕方だからだ。明日は終業式とその夜に記念パーティーがある。それが終われば全ての生徒達が、一時帰宅する。こうして彼らがいつも通りの放課後を過ごせるのは、今日だけなのだ。
休み前に、友人達と離れる前に……。少しでもこの長い夏の陽の下で今を楽しみたい。彼らのそんな思いが、今も静かな廊下に響い――たかと思えば、廊下に面した教室の扉がゆっくりと開いた。
扉が上げる悲鳴に似た音が静寂を破り、教室から現れたのは赤毛の大柄な生徒だ。
「失礼しましたー」
教室に向けて頭を下げる生徒に、
「ランドルフ・ヴィクトール、次からはもう少し頑張るように!」
中から女性の声が響く。怒っているのか呆れているのか分からない声に、「――っす」とランドルフと呼ばれた生徒が小さく頭を下げて扉を閉めた。
「ふぃ〜」
廊下にランドルフの安堵の吐息が響く。
「何とか家に帰れそうだな」
独りごちたランドルフであるが、何ということはない。今の今まで学期末試験の追試を受け、何とか合格をもぎ取ったのである。終業式直前、何とか合格できたランドルフを祝福してくれているかのように、窓から差し込む西日が照らしている。
運動場から響いてくる楽しげな笑い声に、ランドルフはふと足を止めてグラウンドへと視線を向けた。
西日に長く伸びる影が楽しげに運動場を舞う。その様子にふとランドルフはある存在を思い出していた。学舎の裏にある森に住み着いた一匹の野良猫だ。
(野良だし心配はねーと思うが、明日から長期休暇だしな)
様子だけでも見に行くか、と廊下を歩きだした。
丁度その頃、学院の裏手にある森は外を覆う木々が夕焼けに染まり、眩しい輝きを放っていた。だが一方で、世界を染める夕焼けは木々に遮られ、森の奥では一足も二足も早い夜を迎えている。
そんな二面性を見せる森の近くでは、ガゼボに座りボンヤリと森を眺める女性の姿があった。
つややかな銀糸の如き美しき髪と、穏やかな海を思わせる青い瞳。誰もが振り返る程の美人だが、その目に映るのは金色に染まる世界ではなく、森の中に一足先に訪れた夜を思わせる憂いの色だ。
ボンヤリと何も無い森を見つめる女性の近くに、足音といっしょに伸びる影が近づいてくる。
「……エリザベスお嬢様。あまり長く風に当たられると――」
「そう……ですね」
力なく微笑んだエリザベスが立ち上がり、迎えに来ただろうメイドの女性に連れられる形で夕日に向かって歩き始めた。
「リタ……」
「はい? いかがなさいました?」
首を傾げるリタと呼ばれたメイドに、エリザベスは言葉を探すように何度か口を開いては閉じ、そうして「何でもありません」とまた力なく微笑んだ。
「明日はパーティーもありますし、可愛くしましょうね」
「……そう、ですね」
何とか微笑み夕日に向けて歩き出すエリザベスだが、彼女の影だけが名残惜しそうにいつまでも森の入口へと伸びていた。
ガゼボからゆっくりと遠ざかっていく二つの影と入れ替わるように、反対側から近づいてくるのはランドルフだ。
夕日を受け眩しそうに目を細めるランドルフは、ガゼボを通り過ぎ、丁度エリザベスが見ていた森の入口付近で辺りをキョロキョロとする。
「……っかしーな。気配もねーし」
いつもならこの辺にいるはずの猫の姿がない。代わりにランドルフが感じるのは、暗い森の中で息を潜める人の気配だ。
(こいつのせいじゃねーか?)
内心眉を寄せるランディの予想通り、見知らぬ人の気配に怯えて猫が姿を隠しているのだろう。
(怪しすぎる……。誰かから隠れてんのか?)
眉を寄せ森を睨みつけるランディの背後で、「見つかったか?」「いいや」と二人の生徒が別々の方から現れ言葉を交わしている。
「もう帰ったんじゃないか?」
「いつもは生徒会室にいる時間だぞ?」
言葉を交わしあった二人の男子生徒は、それぞれ「おぉいキャシー」と誰かを呼びながら、森の近くから走り去っていく。
(……訳あり、か)
小さく溜息をついたランドルフは森の中の気配にもう一度視線を向けるだけで、エリザベスとリタが歩いていった方角――寮へ――と去っていった。
遠くなっていく足音と影を、木陰からこっそり見つめるのは一人の女子生徒だ。桃色の髪の毛と瞳だが、今はその瞳をキツく細めランドルフの背中を睨みつけている。
「……なんで今日に限っていっぱい人が来るのよ」
頬を膨らませた女性が、周囲に人の気配がないことを確認してその場にかがみ込んだ。
「えーっと……どこまでやったっけ?」
懐から取り出したのは、ボロボロに擦り切れた一冊のノートだ。それをパラパラと捲り、「そうそう。こう言われたら――」と何かの会話を一人二役で再現し始める。
女性は何度も何度も確認してはノートを閉じて、ブツブツと覚えた内容を呟いてを、陽が沈むまで繰り返していた。
日は沈んでも、街がまだまだ昼の熱気を孕んでいる時間帯、森の奥で何かを諳んじていた女性は屋敷の食堂と思しき場所で、両親とともにディナーの席についていた。
「キャサリン、学園は楽しいかい?」
優しそうな父親の言葉に、キャサリンと呼ばれた女性は「楽しい……?」と若干呆けてから「え、ええ!」と力強く頷いてみせた。
「楽しいわ。とっても――」
満面の笑みを浮かべるキャサリンに、父親は「そうかそうか」と嬉しそうに頷く。
「なら明日からの夏休みは少し淋しくなりますね」
母からかけれた言葉に「ううん」とキャサリンが首を横に振る。
「夏休みも忙しくなるわ」
「おや、なぜそう言い切れるんだい?」
「……それは、なんとなくよ」
言葉を濁したキャサリンは、そそくさとメイン料理を平らげて「明日の支度があるから」と席を立った。
「楽しい……」
階段を歩くキャサリンは誰にも聞かれぬよう独りごちる。
「楽しくするの――」
両頬軽く叩いたキャサリンが、自室の扉を開いて机に向かう。
「明日を乗り越えたら始まるんだから……アタシが主人公の物語が。それがアタシにとっての楽しいだもの――」
キャサリンが虚空から取り出したのは、何冊ものノートだ。その中で一際ボロボロの一冊を取ったキャサリンがまた、数時間前のように内容を何度も繰り返し確認し始める。
それは夜遅くまでずっと続いていた。
ちょうどキャサリンがノートの確認の折り返しに差し掛かった頃、学園の敷地内にある女子寮の一角では、リタがエリザベスの髪を梳いていた。
「明日はどんな髪型にしましょうか……」
努めて明るく振る舞うようなリタが、「ダンスもありますし、アップにしましょうか」とエリザベスの髪を優しく梳く。
「リタ……明日はダンスをする気はありません」
エリザベスの言葉にリタは下唇を噛み締めその手を思わず止めてしまった。
「リタ?」
「……おかしいですよ」
「リタ……」
首を横に振るエリザベスに、リタも首を横に振る。
「おかしいですよ! お嬢様を蔑ろにして、殿下は――」
「リタ!」
エリザベスの強い言葉にリタはハッとした顔で口を噤んだ。誰が聞いているか分からない以上、不用意な発言はリタだけでなくエリザベスの身も危険に晒す。
「……申し訳ありませんでした」
「いいのです。私のために怒ってくれて――」
――ありがとう、という言葉をエリザベスは紡ぐことは出来ない。だから優しく微笑んで、リタが櫛を持つ手を優しく握りしめるだけだ。
そうして二人の間に流れる優しげな沈黙の間に……。
『テメッ、何……だけカジノで……でんだよ!』
『いいじゃない……か。あっしの…………明日なんだし』
窓の外からコソコソとした叫び声が入り込んでくる。
「なんでしょう……?」
首を傾げるリタが窓を開いて身を乗り出し、声が聞こえてきた方に目を凝らす。
『飯を奢れ。したら許してやる』
『イヤっすよ! 大体もう晩飯は食ったんすよね?』
『足りるか。育ち盛りだぞ』
『それ以上大きくなってどうするんすか』
窓を開けたことで先程よりハッキリ聞こえる声は、どうやら男子寮との間にある小さな茂み付近から響いている。ただ暗がりに加え茂みに生える樹木や草花のせいで姿までは見えない。
「……なんでしょう。平民の子達がコソコソと盛り上がってるんでしょうか?」
首を傾げるリタに、「どうでしょう」とエリザベスも気になるようで窓の外へと視線を向ける。
『分かりやしたよ。ミッションをクリアしたら、明日のパーティー後に奢りますよ』
『約束だぞ?』
『パーティーでダンスをしてきてくだせえ』
『テメッ、ぶん殴るぞ』
一際大きなコソコソとした叫び声に、いやエリザベスに聞かせるには粗暴すぎる口ぶりに、リタはそっと窓を閉めてエリザベスに苦笑いを見せた。
「お嬢様……。間違ってもああいう輩とはお友達になりませんように」
溜息混じりのリタが、「さ、御髪を梳かしますよ」とエリザベスを再び鏡台の前に促した。
必死に何かを記憶するキャサリン。
リタに全身を磨き上げられ眠りにつくエリザベス。
「じゃあジャンケンで」
「俺のグーがお前のパーを突き破ってもいいならな」
馬鹿な事を言うランドルフ。
それぞれの夜は更け……。
翌日の夕方――再び世界を黄昏の色が染め上げた頃。
「大丈夫よキャシー。アタシは主人公……上手くやれる。やってみせる!」
馬車の中でキャサリンが両頬を叩いて気合を入れ。
「お嬢様、いってらっしゃいませ」
リタに見送られるエリザベスが、堂々とした足取りで会場へ入り。
「んじゃまー行ってくるわ」
「若、ちゃんとダンスもしてくるんすよ」
「若って言うな。お坊ちゃまと呼べ」
顔をしかめたランドルフが、ネクタイを整えて会場への一歩を踏み出した。
全く交わることの無かった若者たちの道が、運命という名の分岐点で交わるまであと僅か――。
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