第13話

 二週間ほどかけて二人は準備を整えた。悪事を突き止め、クリスや子供たちを救済するためだ。

 悠長にしている時間はなかった。息子に爆弾をつけるような母親だから、いつ他の手段でクリスに危機が訪れてもおかしくなかったから。


 決行は、洋館の灯りがすべて消え、住人が寝静まったころ。先日何者かが小屋の脇を通り過ぎていった時間まで三時間ほどある。それまでにすべてを終わらせなければいけない。


 農具小屋の中で、最後に大きく深呼吸をする。愛着がわき始めていたこの小屋とも今夜でお別れだ。


「……よしっ。行くわよアナスタシア!」


 静かに小屋を出ると、雲の多い夜だった。ちぎれたような黒い雲の合間から月がときおり顔を出す。アナスタシアは足音を殺して洋館の裏手に回った。


「来たな。いよいよだが、準備は万端か?」


 身を潜めて待機していたザカリーがささやく。


「ばっちりです。計画通りにやりましょう」

「わかった。――これが館内の見取り図だ。俺は先に合流地点で待っている」

「わかりました」

「健闘を祈る。頑張れよ、アナスタシア」


 こつんと拳を突き合わせると、ザカリーは素早い身のこなしで雑木林の向こうへ消えていった。


「始めましょう。のんびりしている時間はないわ」


 現在地は正面入り口から真後ろに位置する北側。ここに使用人の出入り口があることは調べ済みだ。そして、鍵穴が一昔前のウォード錠――針金を鍵穴内部にある障害物や刻み目をすり抜けるように差し込み、閂を留めているスプリングの間で捻ってやれば開錠できる単純なもの――であることも。

 正面入り口の方は、防犯を意識した複雑な形状のダブルピンタンブラー錠が使われていた。あれを突破するのはさすがに時間がかかるから、こちらが簡単な錠前でよかったと思う。


 息を潜めて周囲に人気がないことを確認し、ポシェットから針金を取り出した。ペンチを使って先端を小さくT字に折れば、あっという間に錠前破りの準備が整った。


「……よし。開いたわ!」


 指先に感じる取っかかりがすっと消え、鍵穴が明瞭に回る。手探りで行っていたパスルの最後のピースがはまる感覚。ご褒美のように与えられるその爽快感が、アナスタシアは好きだった。


 ゆっくりとドアを開き、洋館の中に滑り込む。しんと冷え込んだ屋外とは打って変わった甘い芳香剤の香り。途端、緊張がアナスタシアの全身を包み込む。


 ――今、自分は他人の家に忍び込んでいる。


 これから自分が行うことを想像すると、思わず背筋がぶるりと震えた。

 汗ばんできた両手を、胸の前でぎゅっと握りしめる。


「やるのよ、アナスタシア。あなたがやらなきゃいけない」


 自分に言い聞かせ、意識して大きく息を吸い込む。ゆっくり息を吐いたら、少しだけ心が落ち着いた。


「…………よし。行きましょう」


 気落ちを切り替えて、壁に沿うようにして仄暗い廊下を進んでいく。足音は高価そうな分厚い絨毯に吸収される。

 突き当りに階段があった。踏み外さないように慎重に降りていく。

 意外なことに、地階は一階よりも明るかった。廊下には等間隔で松明が置かれ、オレンジ色に空間を照らし上げている。

 目的の部屋はどこだろうか。

 長い廊下を突き当りまで進んで確認すると、ドアの数は全部で五つだった。アナスタシアはそれらを何度か往復する。ドアに耳を当てて中の音を聴いたり、錠前の具合を確認したり。そして一つの結論を出した。


「きっとこの部屋ね。一つだけ特殊な錠前がかけられているもの。怪しいわ」


 五つの部屋の中で、鍵が掛けられている部屋は三つ。そのなかでも、明らかに異質な錠前がかかった部屋が一つあった。

 堅牢な分厚い木と、それを補強するように打ち付けられた鉄の板からなるドア。そこには八つの数字が書かれた錠前が掛けられている。


「アハトロックだわ」


 アナスタシアは確信を持って言い切った。

 アハトロックの特徴は四つだ。まず、錠前についたボタンは八つであること。暗証番号は四桁であること。暗証番号に重複する数字は使えないこと。そして、暗証番号は固定であること。

 つまり、事前に設定された四桁の暗証番号を押すことで開く錠前だ。


 アハトロックは、今までのように道具を使って開けることは難しい。正しい暗証番号を割り出し、正規の方法で開錠する必要がある。

 アナスタシアは固い廊下に膝をつき、錠前と向き合った。白い指で、氷のように冷たい錠前を手に取る。

 これだけ大きな扉を守っているのだ。彼女の手ほどもあるアハトロックはずしりと重たく、アナスタシアを拒むように沈黙していた。


「破らせてもらうわよ。ごめんなさいね」


 アハトロックの側面には、番号に関係のないボタン――つまり番号を揃えて開錠するときに押すボタンが一つ存在する。

 アナスタシアはこのボタンを押しながら、錠の正面にある一から八の数字を押し始めた。

 指先の感覚を研ぎ澄ませると、八つの数字のうち四つは、押す際に僅かな抵抗を感じた。


「……なるほど。一と三、六、八は除外ね」


 抵抗を感じた数字は除外する。

 これはアハトロックの構造を考えれば当然の現象だった。間違った数字のボタンを押すと、飛び出そうとするシャックルを止める内部機構が働くから、数字ボタンに押しづらさを感じるという理屈だ。

 つまり、残る四つの数字が暗証番号の候補になる。


「残るボタンは二、四、五、七。えっと、同じ数字は使えなくて四桁だから……。二十四通りを試せば正解があるはずね!」


 二十四通りであれば、一つ一つ試したって大した時間はかからない。

 錠前は、七、四、二、五の並びでガチャリと音を立てた。

 シャックルが飛び出したアハトロックは、観念したように侵入者を中へと誘った。


 アナスタシアは息を殺してドアを薄く開く。

 廊下と違って中には部屋の真ん中に小さなランプが一つあるだけ。かび臭い湿った空気が鼻を突き、僅かな衣擦れの音が聞こえる。


「ああ、やっぱり……」


 アナスタシアは口元に手を当てて、思わず声を漏らした。

 廊下から差し込む松明の灯り。それに浮かび上がった光景は。


 いくつもの小さな牢に入れられた子供たちだった。


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