第12話
「どうしてそのことを?」
警戒心を孕む鋭い声だったが、アナスタシアは怯まなかった。
「古新聞ですよ。寝泊まりしている農具小屋で偶然見つけました」
暖を取ろうと思って燃えそうなものを探していたら、物入の中に古新聞を発見した。なんの気なしに手に取ってみたら、二十年前の日付の一面に、妙に目に覚えのある絵姿が載っていたのだ。
“世紀の大泥棒、ついに捕まる!
クレンシアガ各地で大胆不敵な盗みを繰り返してきた怪盗Xが、ついにお縄となった。
見事に捕らえたのは憲兵副長官グレゴール・キンバリー。期待の若手が存分に手腕を発揮した。
Xの所持品などから、本名はザカリー・アルティミスと判明。余罪について慎重に調査を進めたのち、刑が確定する見込みだ”
――手錠をはめられた若い男性の絵姿。それは銀色のロケットペンダントの中にいた人物に瓜二つだった。ただしその表情は実に対照的で、家族に囲まれた幸せそうな笑顔は一かけらも感じられず、険しくこわばった表情をしていた。
そう説明すると、ザカリーは深くため息をついた。
「――やれやれ。まさかそんなものを保管していただなんてなあ。グレゴールの旦那も人が悪いぜ」
観念したようにザカリーは乱暴に頭を掻いた。そしてやけっぱちのように言い放つ。
「ああ、確かに俺は昔こそ泥のようなことをしていたさ。足がつかないように国内各地を転々として、ギャガにやって来た。ヘマをしちまって旦那に捕まったのは、二軒目の盗みのことだった」
他十件弱の余罪を含め、刑期三十年を言い渡されたという。
「グレゴールの旦那はなあ、正義に満ち溢れた人間だった。俺を更生させたかったみたいで、毎晩仕事終わりに刑務所に来てさ。世間話をした後、『なあザカリー。僕はお前を信じてるからな』とだけ言って帰るんだ。それ以上のことは何にも言わずにな」
自暴自棄だったザカリー。最初は聞き流していたが、毎日毎日、何年も聞かされ続けた結果、彼の心の中にはわずかな変化が生じたという。
「不思議なもんだよ。旦那の言う通り、自分はやり直せるんじゃないかっていう気持ちになったんだ。それで、試しに真っ当になってみようと思って。真面目に刑務作業に取り組んだら模範囚になってさ。努力が認められて嬉しかったよ」
模範囚になったことで刑期が短縮され、二十年で出所することができた。
「これからは、こそ泥なんてしないで真面目に生きていこうと決めたんだ。というか、服役中に怪我をしちまったから、俺にはもう技術がないんだが」
ザカリーは大きな傷跡が残る右手を顔の前に上げた。
「痺れがあるから、繊細な泥棒仕事はできねえ。まあ、やるつもりもないからいいんだが、このロケットを自分で開けられなかったときには落ち込んだよ」
鍵を失くして開けられなくなったロケット。先日アナスタシアが開錠したものだ。
胸元からネックレスを引っ張り出し、彼は複雑な表情でそれを眺める。
「……結局、妻は一度も面会に来なかった。まあ嫌だろうな。俺はひどい形であいつを裏切った。でも、出所後に戸籍を確認したら、籍は入ったままだったんだ。だから俺は諦めない。浮浪者になったって二度と犯罪には手を染めない。早いとこ仕事を見つけて、まとまった金を貯めたら家族に謝りに行きたいんだ」
「早く、家族と再会できるといいですね」
彼の独白に耳を傾けていたアナスタシアが微笑むと、ザカリーは恥ずかしそうに頬をかいた。
「すまん。なんだか話が逸れちまったな。えっと、俺は何が言いたかったんだ?」
首をひねったザカリーは、ああ! とすぐに思い出した。
「そのグレゴールってのが、クリスの亡くなった親父なんだよ。この間も言ったろ? 昔世話になったって」
「えっ! そうだったんですか!」
アナスタシアは仰天したが、すぐに自分を取り戻す。
「あのっ、さっきの力を貸してほしいっていう話なんですが! わたしはあの洋館の内部に潜入して子供たちとクリスを逃がしたいんです。だから、ザカリーさんに事前の情報収集をお願いできませんか。世紀の大泥棒なら標的に対する下調べはお手の物ですよね? 憲兵側の情報も欲しいんです」
「そりゃあ、まあ、できなくはないが……」
歯切れの悪いザカリー。
今のアナスタシアは、彼が何に対して躊躇しているのか分かった。
「これは犯罪じゃありませんよ、ザカリーさん。むしろ逆です。悪者から子供たちを助けるためにするんですから」
なおも反応の悪いザカリーに対して、アナスタシアは畳みかける。
「正義の人だったグレゴールさんのお屋敷で悪事が行われているんです。見過ごしていいんですか?」
「……!」
その言葉は、ザカリーの胸に響いたようだった。
彼はじわりと表情を変え、ゆっくりと口角を上げた。
「……言うねえ、アナスタシア。だが、おまえさんの言う通りだ。泥棒にだって義はあるってもんだ」
芯の通った声。気の抜けていた瞳には鋭い光が宿り、彼のまとう空気がぴんと張り詰める。久しく忘れていた感覚が、ザカリーの身体の中で再循環を始めた瞬間だった。
「だが、俺の右手はこのざまだ。派手なことはもうできねえ。情報を集めるくらいしか役に立てないが、それでもいいか?」
「十分です。ありがとうございます!」
アナスタシアはポシェットからパンパンの袋を取り出した。
「これがわたしの全財産です。金貨を崩してから食事にしか使っていないので、少なくとも銀貨九枚分は残ってます。報酬として全額ザカリーさんに差し上げます」
無造作に袋をひっくり返すと、粗末な木のテーブルにじゃらじゃらと硬貨が広がった。
金の音を聞きつけた周囲の客の視線が一斉に注がれる。
ザカリーは微動だにせず、ただ笑みを深めた。
「おいおい、俺は元泥棒だぞ? 大事な旅銀を全部やるなんて。持ち逃げされるとは思わないのか?」
「昔は昔です。今のザカリーさんがそんな人じゃないことは、ようく分かってますから」
「……なるほどねぇ」
ザカリーはテーブル上の硬貨に目を落とす。そして、硬貨を半分だけ腕でかき取った。
「欲張るとロクなことがねえからな。半分でいい」
アナスタシアは彼の心遣いを嬉しく思う。ふわりと笑い、白く小さな拳をつき出した。
「よろしくお願いします、相棒」
「相棒か。いい響きだ」
年季の入った大きな拳が、弾むように応えた。
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