一瞬にしてイリオンの顔から表情が消える。

 タルヴォンは少しも表情を変えることなく続けた。

「ロセを悲しませる根本はオルテリアン氏だけではない、あなたもです。だからこそ皆様の前で報告をし、幸せになることで復讐を成そうとしたのです。私たちにとってはいいチャンスでした」

「……そうか」

 視線を外してイリオンは居心地の悪さを覚えた。妹には悪いことをしたという自覚はある。だが、復讐されるとまでは思っていなかった。

 冷静に考えれば、オルテリアンからされたのと同じことをメロセリスにしていたのに、だ。

「当日の夜、パーティーの前にアレイド様には話してありました。ですが、あれほど酒癖が悪かったのは想定外でした」

 あの夜のことを思い返してイリオンも言う。

「たしかに、あれはひどかったな」

「ええ。さらにキシンス様を泳がせていたせいで、あんな悲劇になってしまったものですから、ついぞ報告ができず……」

 うなずきかけたイリオンだが、ふとタルヴォンの顔を見てたずねた。

「待てよ。本当は?」

「は?」

「本当にそうなのか、と聞いている」

 タルヴォンは困ったように眉尻を下げてから、うんざりとため息をついた。

「あなたも殺されてくれるとよかったんですけどね」

「どういうこと?」

 と、メロセリスが不安そうに首をかしげ、タルヴォンはすぐに「冗談ですよ」と、穏やかに返した。

 イリオンは悪寒を覚えた。あの夜に執事が何を企んでいたのか、分かってしまったのだ。キシンスを泳がせていたのも、自らの手を汚さずに体よく事を進めるためだったに違いない。

 さらにメロセリスの様子を見るに、何も知らされていなかったらしいと分かる。つまり、すべて彼の独断である。

「……本当に悪い男だな」

 と、イリオンが憎々しくつぶやくと、タルヴォンはにこりと微笑んだ。

「お互い様でしょう?」

 舌打ちをしてにらむのをやめ、イリオンは視線を窓外へと向ける。

 思えば、あの夜は妙だった。まず招待された人間がおかしい。キシンスと同世代の人間を集めたらしいが、全員屋敷に来て遊んでいた子どもたちだったではないか。投資家と仲良くなる必要のないニャンシャやノエトまでいた。さらに踏み込めばノエトは被害者の一人だ。彼を呼んだのは、何か意図があったのではないか。

 イリオンは慎重にたずねた。

「まさかとは思うが、アレイドの酒癖が悪いこと、知っていたんじゃないか?」

「ええ、噂程度には存じていました」

「そうは思えないな。彼がいつまで経ってもおじさまの悪口を言いふらしてること、知ってたんだろう?」

 タルヴォンは答えなかった。

「お嬢様に好意があるらしいことは察しておりましたよ」

「ああ、そっちか」

 酔ったアレイドがミランシアに絡むであろうことを、この男はやはり想定していたのだ。オルテリアン夫人を名乗っていた彼女と言い争いになれば、ひとまず火はつく。

「養父と養女に肉体関係があるとバレれば、あとは流れでどうにでもなる。最悪だ、僕もまんまと乗せられたってわけだ」

 イリオンはうんざりするのを通り越して笑えてきた。話の流れでノエトが被害者だと判明すれば、オルテリアンへの信用は崩れ、あの場にいた誰もが殺意を抱きかねなかった。さらに自分の罪も暴露ばくろされたなら、メロセリスに好意を抱いていたキシンスに殺されたのはイリオンだっただろう。

「はは、本当にひどいもんだ」

「……何をおっしゃっているのか、さっぱり分かりませんね」

 と、タルヴォンはあくまでも知らない風をよそおう。隣に何も知らないメロセリスがいるからだ。

 ひとしきり笑って落ち着いた後、イリオンはたずねた。

「二人で街を出ることは、周りの人間に話したのか?」

「ええ、お世話になった方々には話しました」

「私はニャンシャちゃんに話したわ。もうお父様たちの耳に入ってる頃だと思う」

「そうか」

 先に食事を終えたタルヴォンが、メロセリスへ穏やかな眼差しを向ける。

 イリオンはため息をついてから席を立った。

「最後に聞いておくが、二人はどこへ行くつもりだ?」

 と、荷物の入ったトランクを手にする。

 タルヴォンは彼を見上げ、ジャケットのポケットから一枚のメモを取り出してみせた。

「キシンス様に教えていただいた画商を訪ねます」

「画商?」

「彼が生前、私の絵を見て売れるって言ってくれていたの。本当かどうかは分からないし、自信もないけど、一応行ってみるわ」

「万が一売れなくてもかまいません。お金ではなく、ロセの絵に価値があるかどうかを知りたいだけなんです」

 将来への不安など微塵みじんもない二人は、安心しきった顔で微笑んでいた。

「富豪だもんな。道中、賊に襲われないことを祈ってる」

 と、イリオンはどこか皮肉めいた笑みを返してから二人へ背を向けた。

 店を出て少し歩いたところで、ふと足を止める。

「……でも、これで幸せになれるのか」

 メロセリスとタルヴォンだけではなく、自分もまた愛すべき妻子と穏やかに、幸福に暮らしていけるのであれば、これでよかったのかもしれない。

「幸福には犠牲がつきものだ」

 自分自身へ言い聞かせるようにつぶやいて、イリオンはすぐにまた歩き始めた。貴族の身分は捨てることになるが、同時に愚かな父親から解放される。イリオンを縛っていたオルテリアンももういない。

 タルヴォンには感謝するべきだったかもしれないと考えて、イリオンは少しだけ笑った。宿を見つけたら、すぐに妻へ手紙を書こう。

 今までの人生でこれほど心が軽くなったことはない。晴れ晴れとして気持ちがよかった。手を伸ばしたところに幸せがあるような気がして、すべてが許されたと感じた。

 しかし、世界はやはり優しくない。

 数時間後、イリオンはいつか姿を消した男に裏切られたことを知り、ジャケットにひそませた拳銃の引き金へ手をかけるのだった。(終)

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幸せになりたい子どもたち 晴坂しずか @a-noiz

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