私とあなた

 図書室の中はしんと静まりかえっていて、人の気配も全然しなかった。

 グラウンドから聞こえる運動部の微かな声でやっと人の存在が実感できるくらいには。

 ここなら邪魔されずにゆっくり出来るだろう。

 ホッと息をついて、手頃な椅子に座ると周囲をぐるりと見回した。

 当たり前だけど本ばっかり。

 私にとって本というと、イコール楽譜だったので変な気分だ。

 中学までは図書室なんて、学校の課題のため渋々入っていたくらい。


 さて、何をしようか。

 そんな事を考えていたとき、突然後ろから「あの……」と声をかけられた。


 心臓が止まりそうに……というのはこのことか! と思うくらいビックリして慌てて声の方を向くと、そこには仄かに茶色を帯びた髪を肩まで伸ばした小柄な子がオドオドとした感じで立っていた。


「あ、あの……すいません。驚かせちゃって。誰かいるのって珍しくて……」


「え、ううん、別に大丈夫。私こそゴメンね。まさか人が居ると思わなくて」


 あたふたしながらそう言うと、目の前の子は僅かに微笑んだ。


「あ、じゃあお互いおんなじ事思ってたんですね」


「確かに」


 私も彼女に釣られるように微笑んだ。


「私、2年の阿川美里。あなたは?」


「あ、先輩だったんですね。私、1年の蓮村鈴音と言います」


 蓮村さんはそう言うと、ペコリと頭を下げた。

 背が小さくて、どこか小動物っぽい雰囲気があったので先輩じゃ無いだろうと思ったけどやっぱりだった。

 ため口きいといて先輩だったらどうしよう、とヒヤヒヤしてたので内心ホッとした。


「そうなんだ。蓮村さんは、何か本を探してたの?」


 基本コミュ障よりだと思ってたけど、何故かこの子にはスルスルと話せるな。


「はい。新作を書きたいな……と思ってたんですけど、初挑戦のジャンルなので何冊か読んでみようと思って」


 ん? 新作?


「え? なに? 新作って……何か書いてるの?」


 蓮村さんは(しまった)とでも言いそうな感じの表情で僅かに視線を泳がせたが、やがてポツリと言った。


「私、文芸部なんです。部の活動の一環として小説を書いていて」


「え、小説! それって本屋とかで並んでるああいう奴でしょ! うそ、凄い……」


「あ、あ、あの……全然凄くないです。あんな本屋さんに並んでるような人たちはプロなので。私なんて趣味みたいな物だから」


「いやいや、凄いって! 私なんてあんな文章、見ただけでクラクラしてくるもん。作文も大っ嫌いだし」


 私はそう言って蓮村さんを改めてジッと見た。

 なるほど、言われてみると本とか書きそうに見えてくる。


「え……そんな風に見えないですよ。すごく芸術家、って感じに見えたので。だから最初、入部希望の人かな、って嬉しくなっちゃって……」


 芸術家……

 一瞬。ほんの一瞬、呼吸を忘れた。

 胸の辺りに熱くて苦い何かを感じた。


「ゴメンね、本読むのとかあまり興味なくて。所で蓮村さん、どんなの書いてるの? 小説って」


 何気なくそう言った途端、蓮村さんは分かりやすく動揺していた。

 顔を赤くして、顔をキョロキョロさせて。

 可愛い子だな。

 見せたくないんだろうな。

 でも、その可愛らしい姿を見ると急に意地悪したくなった。


「いいじゃん。誰にも言わないし、絶対笑わないから」


「あ……でも……」


「それにさ。部活動として小説書いてるなら、活動の一環として人に見せたりもするんでしょ? だったら見せてもいい、って思う奴くらいあるでしょ」


「そう……ですけど。でも、文芸部はまともに活動してるの私だけで、みんな籍だけの人ばっかりなので、活動なんてして無くて……」


 おっと、傷口にふれちゃったか……

 悪いことしたな。

 でも分かる気がする。

 小説を書く、なんて数ある趣味の中でもかなり敷居が高いだろうし。

 あんな沢山の文章を好きこのんで書くなんて、とても想像つかない。

 私が書いたらきっと小学生の読書感想文みたいな感じになっちゃうだろうな……


「まあ、小説って文章長いもんね。もっとサクッと読める感じだったらとっつきやすいんだけど。書いてる言葉も回りくどいし」


「あの……そういう表現の奥の深さも魅力なんです」


 蓮村さんがムッとした表情を浮かべたのを見て、私は自分が初めて失礼なことを言ったことに気付いた。


「……ごめん」


「……いえ、いいんです。小説って確かにとっつきにくいので。でも、読んでみると案外悪くないんですよ」


「へえ、じゃあ良かったら見てみたいな。蓮村さんの」


 失言へのお詫びのつもりで(蓮村さんのお勧めの本を)と言うニュアンスでいったのだが、蓮村さんは何を誤解したのか顔を赤くすると、カバンからスマホを出すと少し触ったあと、私に差し出した。


「……どうぞ」


「へ?」


「最新作です。私の書いた。今度の公募に出そうと思ってて……でも、絶対笑わないでください」


「……ありがと」


 そう言いながら私は軽く後悔した。

 見せてと言っといて何だけど、気が変わっちゃった。

 どうせ読むなら本職の人の方が読みやすいんだろうな……空気読んで、短くて文章の少ない奴教えてくれると思ったのに。


 慌てたせいだろうか。

 うっかり右手で受け取ってしまったので、彼女の携帯を取り損ねてしまった。

 

 しまった。


 慌ててスマホを掴みなおしたお陰で落とさずに済んだ。

 危ない。

 うっかり右手使っちゃった……


 気を取り直して、蓮村さんの小説を読み始める。

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あなたに降る沢山のプラチナ 京野 薫 @kkyono

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