第6話
布団から出ているはずの青白い顔が無い。身体の部分の厚みが無い。
念のためそちらに向かって布団をめくってみても、髪の毛一本落ちてない。
「ねえ、兄貴そっち行ってる?」
大声で、朝食を作っているはずの母に確認する。
「来てない! どうかしたぁ?」
悪い予感が、現実になっていくような気がした。
パジャマのまま私はサンダルで、しもやけを我慢しながらわりと大きな日本家屋を散策する。
一階はもちろん、二階や物置にも兄はいない。二周、三周と同じところを回っても、兄は出てこない。
焦燥感が吹雪になって積もる。
結局、私は何も口に入れることなく家を出ることとなった。
「奥田さん奥田さん、ちょっといいかな」
一時間目の授業が終わると、眉をひそめた担任から声を掛けられた。
「何ですか?」
「お兄さん、今日来てる?」
「……あぁ……分かりません」
――事実、本当に分からないし。
「分からないってどういうこと?」
「……まあ、色々とありまして」
不機嫌そうな顔を見せる担任に、私は慌てて話題転換する。
「兄貴は来てないんですか?」
「来てないんだよそれが。……君、兄貴って言い方、何となくあれだから……」
コツン、と言葉がこめかみにぶつかった。カチン、と額が割れる。
「良いんです、私のスタイルなんで」
――あんたの中でのらしさ、なんて知ったこっちゃないし。
「……そうか」
数多くの女子を束ね、男子からも人気のある生意気な女子生徒に、この若年寄はやりにくさを感じているらしい。
給食の待ち時間、ふとコンピュータールームのことが気になった。
いや、一時間目からずっと心の中に引っかかってた。それはイワシの小骨が十本くらい喉の襞に突き刺さった感覚に近い。
――まだあの音が鳴ってるのか。
二年の教室のすぐ隣に、コンピュータールームはある。
――行ってみるか。
もうすぐ配膳が終わりそうだったが、一台のパソコンに引き寄せられるように、私はフラフラとコンピュータールームへ向かった。
ガララララ
やはり、普段ほとんど開いていないはずのドアが開いた。少し霊感がある兄みたいに、私にも何か特別なものがあるのかもな、なんて思いながら、紫色の気体がぐるぐる渦巻いている小箱に足を踏み入れた。
ズキッ
途端に、踏み入れた右足首に激痛が走る。
「キャッ」
人生で始めての、そう、巨人に握り潰されたような痛みに私は思わず身体を屈める。
音は鳴っていないが、妙に静かで暗く、照明の無いトンネルのような奇怪な雰囲気を、規則正しく並んだパーソナルコンピューターが発散していた。
痛みをこらえながら立ち上がり、上履きのまま一段上に上がる。今度は左足首にも痛みが走った。
「……クゥッ」
声も出ず崩れ落ちる。目頭が熱くなり、じゅるじゅるの鼻水が口元まで垂れてきた。
それでも、私ははいはいの態勢で、あのパソコンまで歩を進める。
――光だ。
青白い光が、一台のパソコンから出ている。ジジジジジッ、ジッ、ジーッというソフトウェアの働く音も。
――見つけた。
やはり、ディスプレイには大きな再生ボタンが中心に居座り、その周りに象形文字が並んでいる。
――ん?
よく見ると、三角形の再生ボタンは小さな文字で構成されているようだった。
画面を拡大してみると、アルファベットで[jugonradio]と繰り返されていることが分かった。
――ジュゴンラジオ?
ラジオというワードを聞くと、父の仏壇から物が消えた事件を思い出す。
――あれと関係あるのかな。
そして、ジュゴンとは何だろう。まさか、動物のジュゴンではあるまい。
――なんか、嫌だな。
ひとまず、私は再生ボタンを押そうとマウスを握った。
その時。
「何だこれ、面白そうじゃんか」
背中の後ろで、意地悪で調子の良い声がした。
「えっ……」
恐る恐る振り返ると、そこには物珍しそうな顔でディスプレイを私の肩越しに覗き込んでいる獅子内龍牙がいた。
「あんた、なんでこんなとこに……」
「なんでって、青白い顔でフラフラしながら一人コンピュータールームへ入ってったから、心配して見に来ただけさ」
ニヤリと涼しい顔をしている龍牙に、私はやり場のない怒りを感じてきた。今すぐ鳩尾を蹴り飛ばしてしまおうかと思った時。
「ところで、それは何なんだ?」
「……」
痛い所を突かれた。
「ひょっとして、お前の相思相愛の兄ちゃんが関係してんのか?」
「なんでそんな」
口を閉ざした時には遅かった。
ヘラヘラした顔で、龍牙は私の手を払いのけ、マウスを握る。
「最近お前んちの兄ちゃんが失踪したってのを、今朝聞いたんでな」
そのまま、再生ボタンをクリックする。
刹那。
「うげっ」
突如鳴り響いた無秩序な宗教的音楽に、たちまち龍牙は再生を止めた。
「……こりゃ、ただじゃすまねぇないらしいな」
笑顔が、消えていた。
「よっしゃ、放課後、ここに集合だ。発信源を突き止めてやる」
未知の物質を探す科学者みたいな顔をして、勢いよく彼は駆け出して行った。
「給食、みんな食い始めてるから行くぞ!」
「これを見ろ、小っちゃく周波数が書いてあるだろ?」
確かに小さく、八十四点四、という数字が右上に書かれてあった。
「じゃあ、合わせてみるぜ」
龍牙はどこからか、携帯ラジオを持ってきていた。器用にダイヤルを回して周波数を合わせる。
ガンガンガンガン、パチパチッ、ざくざくざくざく、ぎゃーっ!
轟音が聞こえた。
「方向は……向こう側だな」
九十九山やその向こうの火山、そして我が家がある辺りらしい。
「よし、これを頼りに場所を特定する。やってみるから、お前はもう帰れ。サッカー、あるんだろ?」
「はぁ?!」
――何の説明もなくただ作業だけ見せて帰れってどういうことよ。
「いや、別に俺だけでやれることだし、これ以上いてもあれだからさ」
「じゃあ何で呼んだのよ」
「まあ、見せといたほうがいいかなって思って」
「なら私のサッカーの時間奪わないでよ」
「すまんすまん。ま、上手くやるから。じゃな」
そういうと、パソコンはそのままに早々とコンピュータールームを出ていった。
――あんにゃろう。
呆気に取られてその背中を見つめていたが、やがて私は溜息一つ、椅子を蹴り飛ばして、駆け足で学校を出た。
「おい、聞けよ!」
ドアをガンガン叩く音が聞こえて、熊か猪かと思って出てみるとそれは龍牙だった。
鼻息をガラスに吹き付け、白い結露がどんどんと大きくなっている。
「止めなさいよあんた、ホントめんどくさい。勝手に連れてきたと思ったら一人で帰って……」
――好意を抱いている相手から好かれていないということに、彼はいつになって気づくんだろう。
「んなことはどうでもいいんだ。それより、あのラジオの発信地が分かった」
「……あっそ」
別に、大して何の進展にもならないだろう。それで、今日まだ誰もその姿を見ていない兄が見つかるわけでもなかろうし。
「そこってのが、最近その周辺で、頭痛とか幻聴を訴える人間が続出してるっていう……」
鎮御山神社なんだよ、と龍牙は言った。
胸中で、フナムシが湧いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます