第7話
――別に、オカルトなんて興味ないし、私は怖いもの知らずだし。
とは言っても、確かに学校で、鎮御山神社近辺に住んでいる生徒が頭痛などを訴えて休んでいるというのは耳にする。
――そんな場所から、あの音が聞こえてるなんて。それを兄が耳にしてるなんて。
得体の知れない気味の悪さ。
「正確に言うと、それは鎮御山神社のちょっと奥にある沼から来てるっぽい。まあ、いわゆるドッカラ沼ってどこだ」
――ドッカラ沼。
あまり馴染みのある単語ではない。
「ドッカラ沼って……」
「泥の沼だよ。そこそこ深いらしいんだけどな。なんでドッカラっていうのかは知らねぇけど。少なくとも、辿っていくとそこから電波が来ていた。気になるよな、それ。しかも、そんなことしなくても鎮御山神社から来てるってのは分かるってことが分かったんだよ」
周波数、覚えてるか? とニヤニヤしながら彼は訊ねてくる。
そんな、こっちは兄の生死が掛かってくる状況かもしれないというのに不謹慎な、と思う。
「八十四点四でしょ?」
「そうだ。鎮御山神社の住所は、九十九町灰沼の、八ハイフン四十四。八、四、四だ」
同じ枠組みに居ても遠く離れていた記憶が、脳内で少しずつ磁石みたいに引っ付いていく。
「なんかさ、四っていう数字ばっかりなの気持ちわりぃよな。し、が二つで、八を割る二すると、全部でし、に増殖しちまう。怖くね? オマケに隣も四行市だし」
「……そんなの、解釈次第でしょ。別にそれで何も起こらないし」
「まあ、そうだけどさ。ま、そういうこった。見つかったらいいな!」
と、言うと龍牙はサッカーで鍛えた猛スピードで停めた自転車まで走っていった。
「……まだ、兄貴帰ってきてないの?」
「そうみたいね。全く……あんな状態で出ていかれたらね、こっちもたまったもんじゃないからね」
母の語尾は少し震えていた。
淡々と人参を切るその背中は一回り小さくなったように見えた。哀愁がゾウゾウと伝わってくる。
「……なんか、ヒントとか無いの? ……例えば、仏壇から消えたヘッドフォンとカセットテープとか」
トントントントンと規則正しく刻まれてきた音がはたと止まった。
「……神社のこととかさ」
母は、後ろ向きで包丁を持ったままこちらへ向かって歩いてきた。
ぽとりと、包丁にしがみ付いていた人参が床に落ちた時、呆気に取られていた私はようやく事の重大さに気づいた。
「これ以上、喋ってもいいと思ってるの?」
「……え」
これまで聞いたことのないほどのドスの効いた低い声に、私は思わず息を止めた。
クルリと、母が背中を返して目をこちらに向け、一気に顔を近づける。目は真っ赤で、顔も連続ストレートを食らったみたいに赤く腫れている。
顔に吹き付ける口息が熱い。
「あの神社には、絶対に近づいちゃいけないし、語っちゃいけない。あんたまで、ネンの意志を受けることになるよ。挙句の果てに……」
その先は、語られることなくゆっくりフェーズアウトしていく。
母の手の中の包丁が、カコン、と水面に滴る一粒の水滴みたいに、地面に落ちた。
「分かったね?」
「……分かった。心配は、させないから」
「……なら、いいけど」
ふぅ、と息を深く吐いて、床に落ちた包丁と賽の目切りにした人参を拾って、またまな板の前へ戻っていく。
――気づいているんだ。
戻る直前、母の顔は酷くやつれて、目からは色彩が撤退していた。
二階に上がって、私はパソコンを立ち上げた。
検索するワードは一つ、「鎮御山神社」だ。
数回打ち間違えて、デリートキーだと思ったら¥を打って、やっとのことでヒットする。
検索結果の中には、公式サイトなどは無く、ただマップで出された住所や、近所の別の神社などが出てきているだけだった。
――なら。
漢字五文字をデリートして、新しく「ドッカラ沼」と打ち直す。
カタッ
私はエンターキーを押し、固唾を飲んだ。
マップにも載ってはいない。ただ、ある地方新聞の記事を発見した。
「『権平嶽周辺探訪・其の参 九十九町の古びた神社の傍の底深い沼』か……」
左クリックした。
書いてあったのは沼についての詳しいことで、まずそもそも、ドッカラ沼と言うのは大昔、権平嶽の噴火によって形成された超小型のカルデラが始まりだという。当時は、泥も火山灰も無い。
そこに、江戸時代の噴火で火砕流、泥流などの要因から九十九山の山頂付近にいた人が相次いで麓へ流され、その過程で窪んでいるカルデラに泥や樹木、火山灰、溶岩、そして人間が埋められていったのだ。今、ドッカラ沼の底には様々な人間の白骨死体が幾重にも折り重なっているのだという。
ことに、ドッカラ沼と言う名前は、ドカンと爆発する火山を江戸時代に生きた人物たちが「ドッカラさん」と表現したことに由来するのだという。やがて気候などの要因でドロドロの底なし沼と化した沼は、権平嶽の俗称から「ドッカラ沼」と呼ばれるようになった。
それから、竹林の手入れなどの目的で入ってきた人間が沼に足を取られ、そのまま静かに沈んでいくことが度々あり、これを山の呪い、ドッカラ沼に沈んだ人間の呪いだと考えた当時の人たちは、ドッカラ沼のすぐ下の階段みたいになっている平地に、神社を建造した。それが、鎮御山神社だ。
だがしかし、だんだんと山に立ち入るものが少なくなってきたことで、当初は熱心に手入れが施されていた神社も廃れていったのだという。
それでも年に数回は神社掃除があったが、十数年前の“ある出来事”によって立ち入るものはいなくなった。
巷では、山に死装束を着た老若男女が複数人現れるのだと噂されているが、それでも山に足を踏み入れるものはいないのだという。
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