第16話 悪夢は微笑む(4)

 約束通り女は軽くなった。

 だが紺鉄はもう動けない。

 女が乗っていた下半身がひどい火傷を負っている。

 感覚もない。




 第二図書室全体に炎が渦巻いている。

 閉め切られた部屋にして景気のいい燃え方だ。

 あらかじめ誰かが細工していたのか。



 図書室の棚が床を揺らして崩れていく。

 本棚に押しつぶされたら焼死を待つまでもない。



「あ、」



 紺鉄の意識がぐるんと回転した。

 思考が濁っていく。

 この紺鉄もここまでか。

 


 とても怖くなった。

 紺鉄はどうしても今の紺鉄を手放したくない。

 手放せば、もうまぶたを閉じても白月の声を聞くことができなくなる。



 だが、まあ、また白月の燃える姿を見ることができたのかだから良しとしようか。

 紺鉄のまぶたが落ちる。

 ひときわ大きな音と振動がした。

 第二図書室が崩壊していく。

 すると幻聴が聞こえてきた。



「……!」



 女の声だ。あの世から白月が呼んでいる。



「……京終……返事して!?」



 いや……、瀬田真朱の声だ。

 そういえば、あいつも一足先にあの世にいっている。

 もしかしてあの世に行けたのか?

 あの世とはどんなところかひと目見ておきたい。

 紺鉄は無理やりまぶたを開ける。



 すると炎の中にいる瀬田真朱の顔が飛び込んできた。

 ここは地獄か?

 だがそこは炎と煙が充満する第二図書室だった。

 紺鉄はまだあの世に行っていない。

 


 だが死んだはずの瀬田が目の前にいる。

 何が何だか分からず呆然としてると、紺鉄の体が左右から抱えられた。

 紺鉄の右を真朱が、左を斗鈴が支えている。



 真朱と斗鈴は紺鉄を第二図書室の入り口とは反対の、一番奥へと運んでいく。

 奥の一角は本棚が倒れていて、向こうに夜の空が見えていた。

 本棚で塞がれていた非常口だった。

 二人は非常口から飛び出すと、転げ落ちるように非常階段を降り、新棟の裏手にある大きな銀杏の木の下まで紺鉄を引きずっていった。



 芝生の上に寝かされると、新棟の5階から炎があがり夜空を焦がしているのがよく見えた。



「あの世じゃない……?」



 紺鉄は寝言のようにつぶやく。



 右を見ると、血で赤黒く汚れた制服を着た女が、空を仰いで荒い息をしている。

 火事の明かりに照らされたその横顔は、ついさっき廊下で血の海に浮いていた瀬田真朱にしか見えない。

 


 まだ頭がぼうとする。

 左をみると、斗鈴が唇を真一文字に結び、肩を震わせて紺鉄の顔を覗き込んでいる。



「おまえは、生きてるのか?」



 聞いたと同時に、紺鉄の顔面に斗鈴の正拳がめり込んだ。



「……イタイ……」



 斗鈴は全身をふるって、渾身の力で、紺鉄の顔面に正拳突きをリズムよく叩き込み続ける。

 一発殴られるごとに紺鉄の意識がはっきりしてきた。

 ここはあの世ではない。

 夢でもない。

 斗鈴は半べそだ。



「ごめんなっゴフ」



 斗鈴の正拳突きは止まらない。



「謝るかゴフ、だから斗鈴さんゴフゥ、死ガハァッ」



 一発殴られるごとに紺鉄の意識が、またあの世に近づいていく。

 斗鈴は紺鉄の胸に両の拳を叩きつけ、顔を埋めて動かなくなった。

 


 紺鉄は斗鈴の頭をゆっくりと撫でた。

 その手には赤茶の血がべっとりついていた。

 悪夢の終わりを告げるように、消防のサイレンが近づいてきていた。

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