第15話 悪夢は微笑む(3)

 ランプが一つだけ灯る第二図書室。

 紺鉄はゆっくり目を開けて、立ち上がった。



「帰る」



「……待って」



 白月によく似た女も立ち上がる。



「私は……何を間違えたの?」



「化けて出てくるなら、もうちょい無念そうにしろ」



 紺鉄はドアに向かって歩き出す。

 後ろから肩を掴まれた。

 みると女が紺鉄のすぐ後ろにいる。

 机の向こうに座っていたはずなのに、いつのまにかそこにいた。



「なぜあなたが知っている中務白月なかつかさしらつきは、他の人が知っている中務白月と似てないの?」



「そりゃ、俺だけがあいつの断末魔を聞いたからだろ」



「中務白月が死んだことはみんな知っているわ」



「そういうことじゃねーよ」



「わからないわ」



「あの虫はそれを知るためか?お前はいったい何なんだ?」



 白月と同じ顔、同じ声をしたその女は、やはり白月と同じ寂しそうな笑みを浮かべると、紺鉄の背中に両手を回し、胸に顔を沈めた。



 紺鉄は戸惑った。

 女の匂いと柔らかさは、まったく知らないものだった。



「私は……私も、もう失敗作よ」



「失敗?何に?」



「完全な中務白月になることに」



 女は紺鉄を強く抱きしめる。



「中務白月が見ていたあらゆるものを集めれば、中務白月になれると思った。

 でもあなたの中には誰も知らない中務白月がいる。

 あなたがいる限り、私達はずっと失敗作。

 だから、ね?」



 背中に回された女の両腕が凄まじい力で紺鉄を締め上げた。



「私と死んで」



 全身の骨が一斉に軋みをあげる。

 激痛にたまらず、紺鉄は悲鳴を上げた。



 初めて触れた白月の感触に油断していた、とは思いたくなかった。

 なんとかして逃れなければ、いまの紺鉄は消えてしまう。

 だが振りほどこうにも女はびくともしない。

 紺鉄は女を引きずり、体を何度も本棚へぶつけるが、女ともども床に転げてしまう。



 女は紺鉄に覆いかぶさり、両腕を押さえつけた。

 体をよじろうともびくともしない。

 女はどんどん重くなっていた。

 顔は影に塗りつぶされていて見えない。



「重っ!!」



「ひどい。でもすぐに軽くなるわ」



 どこからか黄色い明かりが紺鉄の顔を照らした。

 はじめは弱かった光は揺らめきながら明るさを増し、女の顔を浮かび上がらせた。

 白月と同じ顔の女は、涙を流してた。



 だが黄色い光が眩しいほどになると、女の涙が一瞬で蒸発した。

 まわりの本棚から一斉に炎が吹き出している。

 第二図書室が燃えていたのだ。



 咄嗟に入り口に目を向けるが、くずれた本棚が入り口と窓を塞いでしまっていた。

 女はまだ軽くなってくれない。

 新棟には誰も近寄らない。

 斗鈴には待っているように言いつけた。

 万事休すか?

 いや、諦めたら終わりだ。

 ぜったいにいまの紺鉄を手放すわけには行かなと、紺鉄は激しく体をよじる。

 


 炎が女に燃え移った。

 炎は女の全身を包み、風を逆巻かさせて紺鉄の前にそびえ立つ。



 女の眼球が蒸発し、唇が焼け落ち、指の肌が溶け、骨が焦げ、長い髪は灰になる。

 眼の前で白月によく似た女が燃えていく。

 その燃えていく様すら、本当の白月の最後とよく似ていた。

 違うのは炎の色ぐらいだ。



 燃えていく女の顔から黒い影が這い出してきた。

 黒くて長い大きな口を持った虫。

 一匹二匹と現れ、数十数百となって女の顔を這い回り、焼かれてのたうち回り、次々と灰なっていく。



 紺鉄は抵抗をやめて、黄色い炎に包まれる女の顔を見ていた。

 このまま白月が燃えていくのを眺めているのも悪くないと思えた。

 綺麗だった白月がぼろぼろになるっていくと、妙な安心感があった。

 紺鉄にとって綺麗な白月は悪夢で、虫に食われて朽ちていく白月のほうが馴染み深い。



「なにか言い残すことは?」



 紺鉄が尋ねた。

 女の喉はすでに焼け、もう声はでない。

 それでも歯と顎の骨がむき出しになった口がぎこちなく動いた。



「……」



「え?」



 紺鉄は頓狂な声をあげた。

 女が言ったことは読み取れたが、女が何を言いたいのかは分からなかったのだ。



 そして白月によく似た女は、赤い火の粉を星のように撒き散らして崩れ落ちた。

 最後、女が笑ったように見えた。

 それは初めてみた笑顔だった。

 

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