第14話 悪夢は微笑む(2)

 1年ぶりに足を踏み入れた第二図書室はまったく変わっていなかった。

 図書室は三方の壁すべてが本棚で、残りの一方がカウンター。

 窓は入口の横に一つだけ。

 窓の外はもう夜だ。



 一番奥には非常口があるはずだが、誘導灯が見えない。

 オカルト研がたむろするようになってから、非常扉は本棚で塞がれてしまった。

 雰囲気が台無しになるといって、メンバーの誰かが勝手にやったらしい。 



 中には閲覧用の6人がけの古びた机が3つ並んでいる。

 机などの第二図書室の備品はほとんどが再利用品で、新築の塗料の匂いと古い木材と紙の匂いが混じった匂いは独特だった。

 


 一番奥の机に、百合をかたどったランプが一つ灯っている。

 そこは生前の白月の指定席だった。

 いま同じ席に、白月と同じ顔の女がすわり、紺鉄を見つめている。

 ぼうっとランプに照らされている女は、生きているようにも幽霊のようも見えた。



「瀬田は、お前が?」



「私じゃないわよ」



 ハスキーで抑揚の少ない声は白月の生き写しだ。



「警察に連絡したいんだけどな」



 血で汚れたスマホを見せると、白月はクスと笑う。



「少しぐらい遅れてもいいでしょ。すこし話しましょうよ。ほら座りなさいな」



 紺鉄は、白月の顔をした女の斜め向かいに浅く腰掛けた。

 ランプの向こうにいる女は、怜悧な目も、薄い唇も、折れそうな指も、夜明け直前の空のように黒い髪も、どれもこれも中務白月と同じだ。

 左目の眼帯がなければ見分けがつかない。



 だがいつも紺鉄が苛まされている白月は、こんなにきれいではない。

 瀬田真朱とじゃれている姿も、この第二図書室で本を読んでいる姿も、紺鉄の記憶の中では、どの白月も青い炎で焼かれ続けている。



 だから現実感がない。

 眼の前のきれいな白月は仮想現実のように見え、それがかえって本物ではないかと思わせた。

 悪夢とはこういうものなのだろうか。



「私が最後に言ったこと、覚えている?」



 紺鉄の心臓の周りがギュウと締め付けられる。

 忘れるはずがない。

 白月は真朱を頼むといって死んでいった。

 その真朱はいま血の海に浮かんでいる。

 紺鉄は真朱に異常が起きているのを知っていながら何もできなかった。



「約束、守ってくれなかったのね」



「それを咎めに出てきたのか?」



「チャンスをあげようと思って」



 白月とよく似た女は茶色の小さな薬瓶を紺鉄の前に差し出した。



「それを飲んでくれたら、許してあげる」



「……あの一つ目か」



「似たようなものよ。大きな口で体ごと食べて宿主のすべてを取り込むの」



「俺にお前と同じ死に方をしろと」



「私と一緒じゃ嫌?」



 女は薄い唇にいまにも折れそうな指を当てて、口元に笑みを浮かび上がらせる。

 こんなところまで生前の白月と同じだ。

 紺鉄は白月のこの儚い笑みが好きだった。

 この悪夢の中で白月と同じ死に方ができるなら、それもいいかもしれない。

 そう思うと少し胸が楽になり、軽口が出た。



「お前が死んだとき、どんな感じだった?」



「意地悪なこと聞くのね」



「俺も同じ死に方をするんだろ。参考にしたいのさ」



「そうね。自分で自分に火をつけるなんてするものじゃないわね」



 女はおかしそうに笑っている。

 白月が生きているときと同じ仕草、同じ声で。

 だが違がう。

 やはりこいつは白月ではなかった。



 悪夢がしらじらと覚めていく。

 紺鉄は目を閉じた。すこしでも長くこの甘い悪夢に沈んでいたいかのように。

 



    ※    ※    ※



 1年前の11月。

 紺鉄は白月に屋上に呼び出された。



 白月はなにかあると、いつも紺鉄を屋上に呼び出して、紺鉄を相手に人体実験をしていた。

 紺鉄を実験台にしているときの白月はいきいきとしていた。



「真朱を助けられるかもしれない」



 その日、白月は機嫌よく紺鉄に白いラベルが貼られた、茶色い小さな薬瓶を見せてきた。

 ラベルには「瀬田真朱」と書かれていた。

 1年前の真朱は、病気で長く入院していて、白月は足繁く見舞いに通っていた。



「そんなすごい薬なら、大儲けだな」



 紺鉄が笑うと、白月は紺鉄を憐れむように見やる。



「俗物」



「でも、瀬田と同じ病気に苦しんでる人も助かるんだろ?」



「私がなにかしなくても、真朱は病気になんか負けないわ」



「瀬田を助ける薬なんだよな?」



 そのとき振り返った白月の顔はよく覚えている。

 笑っていた。

 晴れやかに、とても嬉しそうに。

 しかしそれは一夜限り開く花のような、誰に知られずに落ちる流れ星のような笑顔だった。

 できるなら二度と見たくない、そう思った。



 白月は言った。



「一人の命で一人の命が助かれば素敵だと思わない?」



「どういう意味だ?」



「すぐにわかるわ。それより今日の実験はこれよ」



 白月は、今度はラベルの付いていない茶色の薬瓶を紺鉄に手渡した。



「やっぱり俺は実験台になるのか……。で、なんの薬だ?」



「人を燃やす薬」



 微笑む白月。

 ゾッとする紺鉄。



「俺を焼き殺す気かっ!?」



 紺鉄が悲鳴を上げる。

 すると白月はうずくまっていていた。

 地面には血がボタボタと落ちている。

 駆け寄ると、白月の腹から不相応に大きな口を持った黒い長い虫が、何百と這いずり出し白月を食い荒らしていった。



 紺鉄は咄嗟に虫を掴み、白月から引き剥がしていく。

 だが虫は次から次へと白月の体を食い破り、溢れかえっていく。

 紺鉄は助けを呼ぼうとした。

 だが白月は紺鉄の手を握り首を横に振った。

 華奢な体を食い破られながら、白月は紺鉄に2つ言い残した。



「真朱のことをお願いね」



 そして、



「私を焼き殺して」と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る