Track:12 - Light Blue



 人が犯した罪は消えるのだろうか。

 人は贖罪できるのだろうか。


 人は――――過去を乗り越えられるのだろうか。



「なァ……リオン。あんたは“過去”ってモンを、どう思う?」


 崩壊したバーの痕を眺める青年は、背後の少年に尋ねた。


「……怖い、です。もうどうにもならない事実を、常に受け入れろと迫ってくる。逃げられない。こんなにも怖いものは、ありません…………」


 KEEP OUTのテープを破り捨て、Qはバーの中へ入っていく。リオンもまた、振り返らない彼の後に続いた。



「俺は、ずっと後悔していた」


 彼の語りに、リオンは黙って耳を貸す。



「あの夜、俺は最後の殺しを犯し、ずっと大事に思っていた人間を亡くした。関係もない少女の両足を守れなかった。ハリーという大バカも死んだ」



 白いタキシードの背中が、リオンには途方もなく大きく感じられる。

 リオンは実感した。手の中に残る、銃弾を撃ったときの衝撃が、後悔となり背中に重くのしかかる。その後悔を背負って生きていくのは、あまりにも辛すぎる。苦しすぎる。痛すぎる。



「今、立ち直ったフリをしていられるのは、シュガーがずっと支えてきてくれたからだ。家族だ」



 Qは壁に向いてカウンターの残骸に腰を下ろすと、煙草を吸い始めた。

 リオンの拳に力が入る。ぎちぎちと音を立てて、溢れそうになる感情を押し殺す。



「俺は、お前から家族を奪ったんだよな。6年間、ずっと辛い思いをさせてきた」


「……そうです。Qさんは、ぼくの、仇、です」



 声が震えた。怒りか、悲しみか。リオン自身、ほとんど放心状態にあった。

 感情などない。ただそこにあるのは自我だけだ。



「……明日は休みだ。なんせ、今日で決着がつくからな」


 Qは吸い殻を指で飛ばした。大きな煙の塊とともに、彼はリオンに向かい立つ。



「――ッ!!………………え?」


 リオンが拳銃を手に取ろうとすると、破裂音が響き渡った。腰に重い衝撃がのしかかる。

 拳銃は床に転がった。


 あまりにも突然の出来事に、リオンは膝から崩れ落ちる。



「お前が復讐を望むように、俺も過去にケリ付けなきゃなんねェのよ」


 煙が晴れたとき、赤い銃を向けるQがそこにいた。


「な……なんで…………」


 リオンは混乱しっぱなしだった。自分でも意外なほどに状況が飲み込めなかった。

 心のどこかで、Qならば償いのために大人しく死んでくれるだろうと、そんな甘い考えがあったのかもしれない。



「『なんで』? それがお前の遺言かよ…………しょうもねェなクソがッ!!」


 リオンは避ける。撃ってくることを直感し、銃声の前に動いた。テーブルの残骸に身を隠す。



 拳銃を拾っている暇はない。この状況をひっくり返さねば、リオンに勝ち目は……明日はない。



 ――状況を、逆転させる。不意に脳裏に浮かび上がったその言葉に、リオンは引っかかりを覚える。

 カレンだ。最初に彼女と会ったとき、フランクに向けてそんなことを言っていた。


窮地ピンチ好機チャンスに。土壇場なら優位の逆転は簡単に起こせる。これは能力ではありません』


 これはチャンスだ。リオンは死に物狂いで思考を働かせる。

 勝てる。そう確信すると、気分が高揚してきた。



 ――――絶対に殺してやる。



 リオンは今まで生きてきた中で、最大最高の殺意を感じた。自分の中にこれほどまでの残虐性が眠っているとは思っていなかった。


 まずは後ろのポケットに入れていたアウト缶を開ける。そして転がっていた酒瓶を手に取った。



 しかし、机を貫通した銃弾がリオンの左肩をかすめる。

 確認すると、皮が裂けて肉が見えていた。不思議と痛みは感じない。腕も動く。



 次の手だ。


「Qさん、ぼくを殺したりしたら、シュガーさんは……どう思うんですかッ!!」


 リオンは、自身が演技派ではないことを分かっている。下手な芝居だった。



「……これが過去の重さだ。リオン――」

「――さっき、ぼくはシュガーさんを撃ちましたよ」



 は、とQの声が聞こえた。

 リオンは手応えを掴む。風向きは変わった。


 リオンは次のテーブルへと走る。その間もQはリオンに狙いをつけるが、外した。

 それによって、Qが動揺していることをリオンは実感する。


「それで死んだとしたら、Qさんは心置きなくぼくを殺せますよね!!」


「て、てめェ……! マジかよッ…………!!」


 リオンは声のする方に瓶を投げる。


 直後、衝撃がリオンにも襲いかかった。テーブルを盾に爆風を耐え、リオンは駆け出す。天井からは瓦礫が落ちてきた。埃に塗れたバーの中で、一か八か、彼はまっすぐに目指した。

 自分の拳銃を取り戻さなくては勝てない。だが、拳銃を手にすれば勝てる。



 リオンは拳銃に手を伸ばす。




 ……が、重い一撃を食らった。右足が自分のものでなくなった感じがした。




 彼の身体は勢いそのまま、前方に滑り込む。拳銃は手の中に収まった。



 リオンは寝転びながらも、Qのいるほうへ銃を構えた。だが、彼の姿は土煙に隠れて見えない。



 手が、腕が、全身が震える。右足も痛みだしてきた。

 一気に血の気が引く。熱くなっていた身体は悪寒を感じ、高揚によって忘れていた恐怖が再びリオンの前に立ちはだかる。



 ――死ぬ。殺される。終わってしまう。



 次に銃声が聞こえたとき、左半身で寝そべるリオンの右肩が撃ち抜かれた。

 力が抜ける。その衝撃に仰向けになる。


 裏路地でのやりとりから察するに、Qにはリオンの姿が視えているはずだ。次は無い。



 だが、そこでリオンは気付く。缶がひとつ無くなっていることに。先程、瓶に入れたアウト缶はひとつ。それなのにポケットに缶が残っている感触がしない。

 リオンは力を振り絞って、首の動く限り、目の動く限り、バーの床を見回す。


 黄色の缶が椅子の残骸の影に転がり込んでいた。入り口とは反対の方向。リオンから見て左側、Qがいる方向だった。



 リオンは首を天井に向け、拳銃を左手に渡して、両手とも床に置いた。



 ここで死ぬなら、もはや諦めがつく。だが、リオンは信じた。



 目を閉じ、深く息を吸い込む。咳き込みながら、深呼吸をした。死の匂いは、硝煙の香り。

 心のなかで父の姿を思い浮かべる。向こうについたら、もう一度、抱きしめてほしい。


 悲しくなんかない。これが現実なのだから、悲しんでも仕方がない。

 父の死、銃の反動、そして自身の今際の時。




 ――――いや、死にたくない。



 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 まだ、やり残したことだらけだ。


 自分にはやりたいことがある。ヘックスの科学者になることも夢に見た。何でも屋になりたいとも思った。


 叶うことならば、宇宙飛行士になってみたい。広い空に、未来を見つけてみたい。

 この星を見つけて、星間移住を果たした先人たちのように、自身の手で未来を創り出してみたい。



 こんなもんじゃない。こんなもんじゃない。


 ぼくの人生はこれからなんだ。こんなところで終わって、何もしないまま終わって、納得なんかいかない。嫌だ。



 お願い。許して欲しい。自分で自分が許せない。

 恨んでもいない、全くの無罪のシュガーを撃った。大怪我をさせた。もしかしたら……殺したのかもしれない。


 自分もQのことを言えない。他人を手に掛けるほど落ちぶれてしまった。


 自分で自分が許せない。

 だから、Qに、シュガーに、許して欲しい。お願い、心からの。



 こんなところで終わって、ぼくの人生はなんだったんだ。

 父の死を乗り越えたいなら、最初から前に進んでいれば良かったじゃないか。


 嫌だ。自分が間違っていると分かって、どうして間違いを正せないのか。


 生きる。生きるとはやり直せること。だから生きたい。許して欲しい。



 やり直すことを。




 古い記憶が流れ込んでくる。


 不器用な父と、慈愛に満ちた母と、そして自分。楽しい家族だった。

 過ぎ去ってしまった記憶だろうと関係ない。その思い出は永遠だ。今もなお、リオンの血肉となって、リオンの中に流れ続ける“今”そのものだ。


 失った。失ってなんかない。ずっとここにある。



 リオンは優しい気持ちに包まれた。その優しい気持ちもまた、リオン自身。



 リオンはリオンのことを、めいっぱい抱きしめた。




 胸いっぱいの愛を――――――自分自身に捧げた。


 僕に、ありがとうを。













































































































 何も起きない。リオンにとっては無限にも近しい時間だった。




 突然、重い音が聞こえる。携帯のバイブレーション。リオンは現実へと引き戻された。


「…………ああ。分かった」


 そんなQの声もする。現実で何が起きているのか、リオンには分からない。分かるつもりもなかった。



「お前、マスターを呼んだそうだな。シュガーが撃たれたのは腹だそうだ。俺が撃ち方を教えていたら1発だったろうな」


「そ、それは……助かるんですか?」


「死ぬより苦しい痛みだがな」


 Qの声にリオンは息を詰まらせた。不思議だった。

 自分でも分からない。自分でやったことなのに、シュガーが助かった、そのことになぜだか安心感を覚えている。


 そして、なぜだか、泣いている。泣き出している。

 感情などない。ただそこにあるのは自我だけだ。



 リオンの自我が、泣いている。



 耐えきれずに目を開けた。眩しい光。暖かい光条。それは真昼のアーデント。天井から日が差し込んでいた。



 首を左横に。Qの姿を見る。



「俺がこのまま撃てば、終わりだ…………」


 リオンは黙って頷いた。返事をする気力もない。




 ただ少し、左腕に力を入れる。最後のケリを付けるために。




 Qは銃口を天に向けた。彼は銃身を額に近づけ、祈る。

 そして彼は目を閉じた。




 今しかない――。すべてを、出し切る。

 やりきれない思いを全部ぶつける。燃えつきろ。


 自身を奮い立たせる。



 リオンの思いを乗せた弾丸が発射された。まっすぐに飛んだそれは、缶を直撃する。


 2回目の爆発。Qの死角にあった缶は、最後の不意打ちとなった。



 リオンは全身全霊の力を持って、立ち上がる。右足を地面に突き立てる。無理矢理だ。無茶苦茶だ。

 左手には拳銃。腕を持ち上げると肩が痛んだ。




 それでも、リオンは構えた。すべてを出し切る。

 爆風に吹き飛ばされたQは立ち上がろうとしている。




 最後の弾丸。そうリオンは直感する。

 これが全てを決める最後の一撃。



「――――ありがとうございましたああああッッ!!!!!!!!」





 バーに銃声が響き、薬莢の転がる音が続く。



 リオンの雄叫びは、保安局のサイレンを突き抜けて大通りまで響き渡った。




 ――真昼の決闘。




 爆発に次ぐ爆発で、バーは崩壊を始める。

 Qは倒れ伏していた。


 リオンもまた、力尽きて倒れる。






「…………右足、痛ェだろ」


「はい。すごく」



 Qもリオンも、2人はそれぞれ右の方向へ倒れていた。

 理由は明快である。


 2人とも右足に銃創を負っていたから。



 リオンが最後に撃ちはなった一撃は、確かに左右軸上のQに命中するはずのものだったが、Qはバランスを崩した。

 Qの後方に弾痕ができていた。



「…………結局のところ、俺はお前に何も教えてやれないままだった。やりたいことは見つけたか?」


「はい。すごく」


 リオンは両腕、右足の痛みを忘れて、笑った。Qも反応して笑った。


「……にしても、何だよ。『ありがとうございます』って、フ、ハハハ! バカじゃねーの?」

「だ、だって、1日の師は生涯の師だって言うじゃないですか……」


「お前は弟子失格だ」

「えぇ……?」


 Qは立ち上がれたらしい。近づいてきて、真上からリオンを見下ろした。


「もっと牛乳を飲むことだ。また会うときまでに、右足撃たれても歩けるようにな」

「…………ありがとうございます」


 Qはリオンの身体を引っ張る。入り口側の壁際へ寄せ、テーブルを転がしてきた。リオンの身体を守るように残してから、Qは尻目に訊いてきた。


「許してくれるか……お前とお前の親父さんに対してやったこと」

「こっちこそ、シュガーさんにも、Qさんにも謝りたいです。すみませんでした」


「気にすんな。俺はやり切ったんだ」「許します。僕はやり切りましたから」


 2人の声が重なる。それぞれがお互いにかけた言葉か、それぞれが自分自身に向けた言葉か。


 これで終わったのだ。2人は今を生きる。過去ではない、今、この時間を。


「あばよ」



 入り口へと遠ざかる不揃いな足音、Qとマスターの話し声、そしてエンジン音。右足が痛む。

 



 土煙の向こうに、爆縮と爆発と爆発と爆発で崩れ落ちた天井に――リオンは真っ青な空を見た。



 それは何も描かれていない、可能性に満ちた未来ブループリントだった。

 人は、過去を乗り越えられる。

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