case:2 - The Name of This Band Is Speed Blue

Track:13 - No Compassion



 少年は海の風に揺れていた。腰に下げた2本の刀が波と波の間で音を鳴らしている。

 それでも芯は強く。彼の身体が風に揺れることはあっても、吹き飛ばされることなく、力強くその場に佇んでいた。


 波止場の先端でそんなものを見たからには、彼女のほうも声をかけずにはいられなかった。


「……に、二刀流?」

「いや、長いのが本差ほんさし。短いのが脇差わきざしって言う予備っす」


「……錆びないの?」

「こいつは“なまくら”っす。今更風に当てたところで、使うつもりはないっすから」


「それなら……海の向こうに行きたいの?」

「三日三晩待ってるっすけど、船、来ないっすね」


 そう、と短く答えた彼女は再び自身の歩みを進める。自然豊かな山と穏やかに見せかけた海との間を、歩く。


 それにしても、久しぶりの発声で喉がむず痒い。自分がこんなにもハスキーな声をしていたかと驚きさえした。最後に声を出したのは一昨日入った宿だったか。


 長い旅路の中ではこんな出会い、溢れるほどしてきた。それが終わりに差し掛かってきて、1人が心細くなってきた、なんてあるワケない。

 彼は目を引く存在であっても、彼女の行く先を変えるほどではない。


 彼だって1人でもあんなに立派な背中をしているではないか。支えられなくとも、この遠征は成功する。自分も、彼も。

 “アミちゃん”は治せる。そう自身に言い聞かせる。


 肩に掛けているケースを背負い直し、港がある堤防の先を目指した。



 …………いや。


「はぁ……言わずに行くよりは、ねぇ」



 見て見ぬふりができなかった。彼女は自身の性分を呪う。これが長女の宿命か、と。

 乱暴につま先を返す。不機嫌な足音。豹柄のコートがなびき、フェイクファーが口にまとわりつく。鼻息を荒立てながら少年の元まで戻った。


「ここ! 船来ないんだけどッ!!!!」


「……そうなんすか?」


 そこで初めて彼は振り返った。パーカーを着たラフな格好の少年。金髪は地毛なのか染めたものか。

 ややツリ目の童顔だった。後ろ姿が思わせた印象よりもずっと幼い。


「なんだ……自分、てっきりここは船着き場なのかと思ってたっす」

「もうずっと前からここは使われてない。この地域で船を着けているのは向こうの港だけ」


「これはどうもご親切に。かたじけないっす」


 そっけない返事だったが、その中には確かに感謝の念が込められている。発声が丁寧なのだ。

 彼は助言してくれた相手に頭を下げ、その横を通り過ぎていく。彼は微塵も興味を抱いていない、そんな洒脱しゃだつな空気が彼女には清々しくも苛立たしく感じられた。


「ねぇッ!」

「ん……? なんすか? まだ何か?」


 まさか、こんな辺鄙へんぴな場所でお眼鏡に叶うような人物と出会えるとは思ってもみなかった。興味が湧いた。みすみす見逃してはおけない。


「キミ、アタシと一緒に来なよ! くだんの港まででもさ」

「……遠慮しておくっす。心遣いに感謝っすけど」


 心底申し訳なさそうに彼は答える。彼女にとってはそこが堪らなかった。

 心底気になる。彼の生態が。


「ちょっと!! アタシが誘ってんのに聞かないの!?」

「へ、こりゃ気の強い。自分に近寄ると火傷するっすよ」


 彼はおかしなものを見たような顔を――――そう、アタシのことを『おかしなもの』として見た。


 乾いた唇の隙間から重苦しい息が排出される。眉間にシワの跡ができたらどうしてくれよう。

 彼女は頭を抱えながら、彼の口車に乗ってみせた。


近寄らせないと・・・・・・・火傷のひとつも・・・・・・・負わせられないの・・・・・・・・?」


 乗った途端にアクセル全開。挑発だ、女が男に。喧嘩上等。さァ喰ってきやがれ。

 彼女は唇を濡らし、自信満々に宣戦布告を送る。


 その挑戦的な視線は、彼を動かすに至った。


「“間合い”――そちらさんが遠くから何かできても、自分の近くに寄ってしまえば最期。それとも……」


 少年は少し右に向き、刀を彼女に示して見せる。彼の顔。余裕を通り越して、彼女の心配をしているようだった。


 ――分からないんじゃ、しょうがない。


 突如として彼女は携帯端末のカメラを少年に向けた。


「はい。これでアタシの勝ち」


 画面の中で少年は気の抜けた顔を晒している。勝利宣言についてこれていない。


「ちょっと!! 全世界に広まる顔がそんなもので良いの!? もっとキメなさいよッ!!」

「は……? え、ちょ。なんすか」


 ――『なんすか』ときた。これではアタシひとりがバカをやっているだけではないか。


「アタシがここから指を離せば、アンタの首に金が懸かるのよ。そしたらアタシよりも先にアンタが死ぬ。分かる?……分かるでしょ?」


「んん……? それなら、全部飛ばしちゃえば良いっすよね」


 彼はおもむろに、どこか遠くの空を見上げる。上の空、彼の心は紙飛行機のようにどこかへ行ってしまったようだった。


 抜け殻となった彼の手は腰に据えられ、ひとりでに親指で刀のつばを弾く。



 画面が暗転した。あれ、と戸惑いつつも画面に触ろうとした。

 手が――――“拡張体ローデッド”が動かない。


「な、何よ、こ……れ…………」


 困惑が恐怖に変わる。


異能力ペンデュラム……?」


「……とか言うらしいっすね、この力。さっきアウト缶飲んだんで」


 少年は思い出したかのようにげっぷをした。

 対する彼女は動かなくなった両手をぶつけて、再起動を試みた。その衝撃で端末が硬い地面に落ちる。


「くッ、何やってんのよ……!」


 少年は軽く端末を拾い上げると、彼女の手首を触ってきた。

 ……触れたはずだが、その感覚はシャットダウンされている。他人の手のようになってしまった両手を、取られまいと彼女は引っ込めた。


「外して、もっかい付けてみるっす」


「なッ……! ンなコト最初から分かってるわよ!!!!」


 今日一番の大声で怒鳴りあげる。

 彼女は乱暴に両手をぶつけ合わせ、神経回路に痛みを植え付けた。感覚。

 信号が蘇った。


 そうと分かると、彼女は少年から端末を取り上げた。画面に日光を当てて反射させる。傷つかないと分かっていても心配だ。

 傷の不在を認めるやいなや、端末を再起動させ、慌ただしく一通りの動作を試す。


 この端末が、落とす前となんら変わりない物だと知れたときには既に、その動悸は治まりつつあった。


「はぁ……データも無事。ホント、死んだかと思った…………」


「心臓も“拡張体ローデッド”なんすか?」


「うるさいッッ!!!!!!!!」


 いきなりの剣幕に、少年はちょっと肩を上げて驚く。彼女の情緒はもうしっちゃかめっちゃかだった。


「……失敬っす。自分はこれにて失れ――――」


「――だぁ〜か〜らァ〜! ちょっとそこにいなさいよ!! どうしてアタシがアンタに声掛けたか分かってる!?」


 少年は更に首を傾げる。彼女が口を開くたび、時計のように彼の首の角度は刻まれていく。


「ちょっと!! アンタが分かってくれないと、アタシがひとりで喚いてる感じになるじゃない!!」


「いやぁ……へへ、面目ないっす。自分、キカイは嫌いで……」


 ――『キカイ』。彼が何を指して機械と言ったのか、彼女は分かりたくもなかった。

 コンピューターにはコンピューターという名前があるし、カメラだと思ったのならカメラと言うべきだ。少なくとも“拡張体ローデッド”は知っている。それなのに彼はたった一言、『キカイ』。


 あまりの衝撃に、彼女はノックダウンされた。

 両手を地面のコンクリートに突く。ため息とともに闘志が吐き出された。全身の空気が抜けるように項垂うなだれた。


「……アタシの負け。イマドキ、そんなので生きていけるのが不思議…………」

「アナログで済むのならアナログのままにしておく。これに越したことはないんすよ」


 彼は鼻を鳴らして、へたり込む彼女に手を伸ばした。それが更に彼女の思考を揺さぶる。


「さて、そちらさんがそこまで言うのなら、自分もついてくっす」

「へ、いいの……? 何て言うか、自分でも分かるくらいめんどくさい性格してるのに」


 あたぼうっす、の言葉で重ねた手が引っ張られる。

 今度は彼の温もりが伝わってきた。冷ややかな世界の中で、彼らしさを纏った人の温もり。

 気が付いてみると、再び胸が大きい音を鳴らしている。


「は……ありがと…………」


 並んで立ってみると、彼女のほうが幾分か高身長だった。少し見下ろす形で、少年を眺めた。髪の生え際がわずかに黒い。染めてるのか。


「……ホントに不思議。面白い人」

「いやいや、そちらさんには敵わないっす」


 照れくさそうに頭に手を回す少年。

 ――いよいよ心のなかで『少年』と呼ぶのが辛くなってきた。これでは『キカイ』とほざく彼と変わらないではないか。


 彼女は握ったままの手を引く。


「ねぇ、名前は? まさか『名乗るほどの者じゃないんで……』とか言わないでしょうね」


「ハマツ・ラヂオっす。ハマツが名字で――」

「――それ本名? ちょっと、リテラシーどうなってんのよ。本名は他人に口外しちゃダメだって教わらなかった?」


 ラヂオはまたもや置いていかれたような顔をしている。歩幅を合わせて歩いているのに。


「……分かった。アンタには金輪際『キカイ』の話をしない。そしてアタシはマエダ。本名じゃなくてハンネってヤツね。偽名よ偽名」


 追いついた彼は、マエダに屈託のない笑顔を向けた。

 子供なのか、機械に疎いおじいちゃんなのか……“おじいちゃん小僧”。


 そんなあだ名が彼女の中で生まれたのだった。

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