Track:11 - ほのかな望みもなく



 リオンは暗闇の中を走る。

 研究所を出た彼は徒歩でバーに向かっていた。『バー』というのはQと最初に出会ったほうのバーだ。約束の場所。


 そのバーを彼の死に場所にする。

 ……という決意。


 腰紐に引っ掛けた拳銃をズボン越しで確かめる。

 銃の扱いなんて知らない。この中にどれだけの弾丸チャンスが残っているのかわからない。


 残り2つの大通りで、銃のイロハを閃くことなどあるだろうか。


 リオンは暗闇の中を走る。そしてやっと、大通りの明るみが見えた。



 ――その瞬間だった。右方向から衝撃とともに抱擁を受けたのは。



「ぅわぷ――!?」

「…………ッ!!」


 数mは飛んだ。リオンが口を開こうとしたものの、彼女は先を越してくる。


「Qは……殺させないからッ!」


 リオンを抱きしめているのはシュガーだった。彼女の言葉がなければ、それを慈愛と勘違いしてしまっていただろう。


 敵意だ。今の彼女を動かしているのは敵意だと、リオンは肌で感じ取る。腕ごと身体を固定するような愛の示し方は、あまりにも一方的だ。


 リオンは彼女の身体を引き剥がそうと腕に力を入れてみるも、全く動かなかった。抱きしめるというよりもリオンの胸部を締めていると表現するほうが適切なほど、彼女の両腕には力が込められていた。


 これでは銃が取り出せないどころか、また手足を縛られてしまいかねない。


「――ッ! ごめんなさい!」


 リオンは脚で抵抗する。足を後方に投げ出し、勢いをつけてシュガーの身体にぶち当てた。

 その衝撃がシュガーの中を通って、リオン自身にも伝わってくる。


 だが、それでも一切の緩みは無かった。


 ふと、大通りのほうを見る。通行人たちは路地に目を向けたりしない。不思議なくらいだ。


 リオンはもう一度蹴る。今度はもっと強く。それでもダメ。

 蹴る。もっともっと強く。蹴る。蹴る。蹴る。


 何度も彼女に足と膝を打ち込む。彼女は全く怯まなかった。そして、ただリオンを抱きしめるだけ。

 リオンを縛ることもなく、どこへ連れて行くこともなく。ただ身動きを封じて、それで十分だとでも言うかのようだった。


「……甘いよ、リオン。そんなんじゃ、一生かかってもお父さんとの別れを乗り越えられない」


「くッ、そんなにQさんを守りたいんですか。人殺しをして、そのことをずっと黙っていたあの人を……! あんな後ろ暗い人のどこが良いんですか」


「ウチはQもリオンも、ウチ自身も守りたい。だから行かせない」


 しびれを切らしたリオンは歯を食いしばって首を傾ける。彼女の横顔に頭突きした。

 ほんの一瞬、力が緩まる。


 リオンは首に噛み付いた。なりふり構っていられない。

 人生が懸かった戦いを、戦わずして逃すわけにはいかない。その一心でシュガーを突き放した。


「はぁ……はぁ、撃たれたくなければ、帰ってください。シュガーさんに恨みはありません」


 頭と首から血を流すシュガー。彼女はキャスケット帽を深く被り直し、リオンの前に立った。彼女の足の先は依然としてリオンに向かっている。


 どうやっても引き下がるつもりはないようだった。


「ウチも家族を失ったことがある。大切な人たちを2度失った。自分の脚すらも失くなった。今度は……失くさないって、心に誓ったの」


「失ったものは……取り返さないんですか」


 リオンも彼女に背中を見せるようなことはしない。たとえ全速力で走ったとしても追いつかれるだろう。Qのもとへ辿り着いたとしても、彼女は横槍をいれてくるだろう。

 ここで、彼女を止めるしかない。


「ぼくは失ったんです。自分の人生を。6年間、そしてこの先の一生を。奪われたものを取り返しに行くんです」


 シュガーは哀しげに目を伏せた。その表情がリオンの良心を突き刺す。


「……ねぇ、リオン。どうしたらいい? ウチは誰にも死んでほしくないの。でも、リオンのお父さんは亡くなってしまって、もう戻ってこない」


 照準が揺れる。銃口の向こうでぽつりぽつりと思いを吐露する彼女の姿が、とても他人事のようには思えない。


「リオンはQを殺して、埋め合わせをしたいの……?」


 彼女の瞳がこちらを向く。涙のように、彼女の血が頬を伝う。


「埋め合わせ……そんなんじゃありません。ぼくは…………そう、自分の中で区切りをつけたいんです」


「それは、Qに銃を向けなきゃダメ? 撃たなきゃできないことなの?」


 リオンは確信する。

 彼女は泣いている。声が震えていた。


 これだけの感情を向けられたことは人生でただ一度しかない。父を失ったあの日の母だ。リオンを抱きかかえ、我が子だけは手放さんとする母の愛情だった。


 ――しかし、そんなものですら、2人は失ってしまった。宗教にはまって家族を忘れてしまった母と子の間に、もはや何が残っていようか。


 リオンは拳銃を握る手に、力を入れ直す。深呼吸をした。

 湧き上がり続ける気持ちを殺す。彼女を――殺す。


 人差し指が引き金に触れる。

 動悸が収まらない。心の中で、何かがリオンの邪魔をしている。


「ふー、ふーッ……!」


 呼吸が聞こえるほど荒くなっていた。



 ――だが、ここを越えなければ死ぬに死ねない。生きるに生きられない。



 撃った。リオンは撃った。

 残っている全ての力を振り絞って、引き金を引いた。



 眼の前ではシュガーがうつ伏せに倒れている。撃った瞬間の衝撃で、どこに命中したのかは分からない。だが、血だまりが見える。


 リオンは恐る恐る、生死を確かめようと彼女に歩み寄った。



「――――ッ!」


 とつぜん彼女の手が伸びてきた。そしてリオンの足首を掴む。


「掴まえた……」


 か細い声だった。もう片手もすかさずに掴んでくる。

 リオンは足を引っ込めようとするも、シュガーの底力には敵わない。


 リオンは拳銃を構えるが、とどめの一撃を下す気力は残っていなかった。

 今度こそ彼女を殺してしまう。そんな考えが彼の銃口を下ろした。


「もう、離さない。それを撃ち尽くすまで、ウチ、離さないよ……」



 彼女に傷を負わせた時点でリオンの負けだった。



 彼はシュガーの“拡張体ローデッド”に手を伸ばす。“アウト”の黃色の缶が装着されていた。それを左右ひとつずつ取り外し、義足の膝に銃弾を撃ち込んだ。


「……ごめんなさい。もう、仲直りはできません」


 リオンは片足に掴まっているシュガーの手を踏む。そして無理矢理に彼女を離した。



「ウチのほうこそ、ごめん。ごめんなさい……あなたを……止められなかった…………」




 リオンは足早にその場を離れる。路地に響くすすり泣く声を聞かないように。



 大通りに出た彼は、涙目になりながら道行く人々に叫んだ。


「助けてください! この中に怪我人がっ……います!! 助けて、助けてくださッ……お願、お願いします…………」



 ワケも分からず叫び、最後まで大きな声を出すことが叶わなかった。

 誰一人としてリオンに目を向けるものはいない。



 ――ここは新都市ネオンシティアーデント。道行く人は人間ではない。社会を形作る歯車だ。



 リオンは思い知る。助けを求めても、手を差し伸べてくれる人間などいないことを。助けてくれた人に、恩を仇で返してしまったことを。


 情けなくて涙が出た。自分にも、この街にも。



 リオンは急いで戻る。


 シュガーはうつ伏せに倒れていた。彼女に駆け寄り、彼女のポケットを探る。

 携帯端末。リオンは知っている名前を見つけた。



「……もしもし、マスター! 助けてください!!」

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