Track:10 - Trinkle, Tinkle

 


 再会を味わう暇もない。父親の意識を宿したリオンの身体は階段を駆け上がり、息を上げていた。


『どこに行くの……?』

「管理室だ。私の記憶と同じであれば――」


『――あれ?』


 リオンは気付く。自分の言葉が声にならないことに。

 その代わり、リオンの身体から、彼の父親であるティモシー・コーエンが声を発していた。しかも、自分では意図していないのに声を潜ませていた。

 つまり――


「――どうやら、リオンの肉体の操作権限は私にあるようだ。実に面白い。私が研究していたときは……ふぅ」


 疲れているのに早口で語りだそうとする父だが、その身体が追いつかなかった。


「……まずは歩いてでも管理室を目指そう」


 現時点では追手の気配はない。どうやら上手く撒いたようだった。

 だが、カレンらも管理室に向かう可能性はある。依然として気が抜けない状況にあった。


『お父さんは、その……全部知ってるんだよね』

「もちろんだとも。彼のマグナムで腹をぶち抜かれた感覚さえも覚えている。なぜならそれは私にとって数分前の出来事だからだ」


 研究者たる父の早口は、リオンにとって6年ぶりだった。唯一の心残りなのが、その声はリオン自身のものであるということだ。


「私が息絶え、次に気がついたときにはバーのような場所にいた」

『……っ! それって――』


「リオンが呼び出してくれたのだろう? よくあの場所を切り抜けたものだ」


 バーでQとシュガーに襲いかかった意識の正体。それこそが彼の父親だったのだ。リオンは納得する。

 そうとなると、気になることがひとつあった。


『青髪の人、見覚えなかった?』

「あった。知っている姿より成長していたが、確かに面影が残っている。彼は“イービルアイ”だ」


『“イービルアイ”……?』

「そうだ、それが彼のコードネーム。“オンリーワン”、“イービルアイ”、そして“シャドウプレイ”……我らがヘックスの誇るエージェントたちだ」


 答えを求めたつもりが、増えたのは疑問だった。どうやら父はリオンが思うよりも、ヘックスという権力の奥深くにいたのかもしれない。


「先程、“シャドウプレイ”がいたな。緑色の髪の彼女だ」

『“イービルアイ”がQさん……ハリー・ジェンゼールで、“シャドウプレイ”は、カレンさん?……ってそれ、2人は仲間だったの?』


「……今は違うのか? それならリオンは今何歳だ?」

『ん、もう11歳だよ』


「なんと…………」


 言葉が途絶える。父は再び走り出した。向こうも聞きたいことは山程あるだろう。


「6年か……母さんはどうしてる?」

『お母さんは……その…………』


「鬼籍に入ってしまったか」

『いや! 違うんだけど、その……』


 言い出せなかった。リオンが愛した母親はもういない。同じ屋根の下で暮らしているのは全くの別人だ、と。

 この6年間、母が変わっていく姿を目の当たりにして、毎日が悲しかった。小さい頃に経験した家族の愛はもうないのだ、と事あるごとに突きつけられた。


「息災なら仔細ない。人はいつでもやり直せる生き物だ」


 父は力強く、そしてとても優しく話す。


「リオン……君たちを置いていってしまってすまなかった」

『なッ――謝らないでよ! お父さんは殺されたんでしょ?』


「確かに、そうだが……」

『それに、これでいつでも会えるようになったじゃん!』


「……それも違う」


 足が止まった。視線は足元の一点に留まり、動かなくなった。


「…………黙っていたが、私の研究領域はペンデュラムだった。結論を言うとペンデュラムは人の願いを叶える力ではない。今日を生き抜かんとする人間の底力なのだ。だから研究は頓挫した! だから計画は止まった!! だから――ッ、私もいずれまた消える…………」


 自身の頬を伝う涙が、果たしてどちらが流したものなのか、リオンには推し量ることはできなかった。


『……それなら、早く行こう。無念を晴らそうよ』

「何故だ。私が死んだことをリオンが気負う必要はない。リオンはリオンのやりたいことをやるべきだ」


『違う! やっとお父さんの仇を見つけたんだよ? どんな理由があっても、やるしかないじゃん!!』



 リオンの叫びは父親に響かない。暗闇へと続く廊下の先を見つめ、彼は独白した。


「……ここは研究所である前に、ある種の収容所だった。私はここで、“悪いこと”をしていた。今は誰もいないようだが、子供たちがここで暮らしていた」


 膝をついて、とめどなく溢れてくる涙を抑えることもなく、未練を吐き出す。声を消しつつも、心ゆくまで嗚咽を上げた。


「私はヘックスの犬になるしかなかった。妻と子供がいたんだ。刃向かえるワケがなかった。叶うことならやり直したい……もう、遅い。何もかも、時間は過ぎ去ってしまった…………」


 リオンは彼にかけるべき言葉を思いつけなかった。

 一体、どれほどの後悔を背負っているのか。初めて目にした父親の感情的な姿を、黙って見守るしかできなかった。



「……“生きる”とは、“やり直せる”ことだ。リオン、君ならまだやり直せるんだ」


 父は立ち上がった。彼らは再び歩き始める。


「ここを抜け出したら、二度とヘックスには近づくな……ヘックス以外に、頼れる人はいるか?」

『いる……けど、もう頼れない』


「言っただろう。人はやり直せる。リオンだって、その人だって」


 ――頼れる人、その人こそが仇なのだと、どうしたら言い出せようか。それに父の話を聞いている限り、彼が良からぬことをしていたことも伝わってくる。


 リオンには、父が復讐を止めるように言う真意が分からなかった。彼が思い悩んでいる間に、父はある扉を開けた。



「……やはりカレンには僕がついていたほうが良い。それに、真っ先に管理室に来るとは、侮れないですよね」



 そこには2人よりも先に男がいた。髪を後ろで結いた眼鏡姿の男だ。彼は後ろ手を組んで、リオンに立ちはだかるようにして佇んでいる。

 リオンに彼の見覚えはないが、彼が味方であるはずがないことは分かる。そしてよく見ると、男の後ろにぎっしりと機械が置いてあることに気付いた。


『そんな……! に、逃げる?』

「慌てるな。私は彼のことをよく知っている」


「……何ですか? ひとり言? 誰に話しかけているんですか、貴方」


 首を傾げる彼の腰には拳銃がある。だが、彼はまだそれを使う素振りを見せない。

 リオンの身体、男、両者ともに警戒しながら、出方を伺う。


 先に行動を起こしたのは父だった。

 彼は大きく左に身体を揺らして右方向へ走る、男の背後にある機械を目掛けて。男が手を伸ばしてリオンの服を掴むものの、父の手はすでに操作盤にかかっていた。


「……! 何を押したんですか?」


 身長が違った。男はリオンの身体を持ち上げ、壁に押し付ける。

 リーチも違った。リオンの手の長さでは男に届かない。


「“タックスマン”君。どうして君が“シャドウプレイ”の傍に付けないか、分かっているかね?」

「何ですか藪から棒に。それに何故、昔のコードネームを……」


「妹は君を必要としていないが、君は妹を必要としている……そうだね? 前線に出たかったのだろう?」


 父は臆せず啖呵を切り続けた。男の表情は変化しないものの、彼の握力が強まっていく。

 リオンには会話の内容が分からないが、どうやらこれが挑発になるらしい。


「一体どなたなんですか? 子供のような見た目で、知ったような口を利くなんて、親の顔が見てみたいものです……!」


「君に足りないのは……人の話に耳を貸さないようにすることだ!!」


 父は、男が腰に下げていた拳銃を蹴り上げた。銃は回転しながら宙を舞う。それと同時に男の手が離れる――が逆に、父のほうが男を離さなかった。彼の腕を強く掴み、壁を蹴って男の体勢を崩しにかかる。

 男の体幹とリオンの体重。勝ったのはリオンのほうだった。


「「――ッ!!」」


 父が床に転がった銃を素早く拾い、手を伸ばしてきた男にそれを向けた。


「レイ君。結局、君はホワイトカラーの仕事に回されたようだね。私のデータ整理を手伝ってくれた頃と変わっちゃいない」


「――! まさか、博士なんですかッ!?」


「デスクに向かう君の姿、私は嫌いじゃなかったよ」


 銃声が響いた。

 手先の感覚が正しければ、男の眉間を撃ち抜いた。そしておそらくその感覚は、正しい。



 父は男を視界に入れず、機械の操作を始めた。


『お父さん……』

「悪かった。こんな姿を見せるべきでないのは分かっている。そして、私はもう長くない……」


『へ……?』

「確証はないがこれは紫缶だろう。最上位の缶とはいえ、よく長持ちしたものだ」


 一通りの手順を終え、彼がカバー付きのボタンを押すと、外から物音が聞こえてきた。


「出口に至る道以外のゲートを全て閉じた。これで“シャドウプレイ”ともう1人は閉じ込められた。後は1人で出られるはずだ」

『あ、ありがと、う……』


 突然、リオンの意識が遠のいた。五感全てがぼやける。発熱したような感覚だ。


「覚えておくと良い。ペンデュラムも“拡張体ローデッド”も、そのエネルギー源は“アウト”という物質、そしてそれを精製した缶の飲料だ。効力が切れると力を失う」


 父の声は段々と小さくなっていっている。貧血を起こしたかのように視界がぐらつく。


「だが……子を想う気持ちはもっと強い。永遠だ。さあ、行け……生きるんだ…………」

『…………!!』


 突如として、身体から力が抜けた。機械に手をつき、頭を抑える。

 自身の身体が返ってきた。疲労のおまけつきで。


 その代わりに父の気配は消えてしまった。



 リオンは深呼吸をして、自分の足で立つ。そして、踵を返して部屋を出たのだった。


「やりたいこと、やるよ。ありがとう、お父さん」

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