Track:9 - Everything Happens To Me
身体の震えが収まらない。自分の手で自分を確かめることすらできない。
リオンは目隠しを外されてもなお、自身で目を瞑っていた。
「私たちは似た者同士だと思うのだけれど……貴方はどうかしら」
カレンの声だ。リオンは返事を躊躇った。まったく同意できない、なんて言い返せるはずもなかった。
しばらくの沈黙の後、ため息が聞こえてくる。
「……困った。私より子守りの上手な人はいない」
彼の頬に冷たい指が触れた。リオンはゆっくりと顔を上げ、カレンを睨みつける。
横からのテーブルランプの光が彼女の微笑みを照らし出していた。ほとんど暗闇で何もない部屋の中、リオンは椅子に座らされ、カレンは彼と向き合うようにして机に腰を落ち着けている。
手錠がなければ、彼女が差し伸べてきた手を払い除けていたところだ。
「私は貴方の復讐を手助けしようとしているのよ。そう厳しい顔をしないでもらいたい」
「…………ふざけないでください」
彼女は恐ろしい。しかし、ふつふつと怒りが込み上げてきていたのも確かだった。
こんな仕打ちを受けて、快く彼女に心を開くことはできない。
「ぼくの復讐が何の得になるんですか。どうしてカレンさんが手助けをする必要なんて――」
「――貴様! 立場をわきまえろ!!」
背後からの怒鳴り声が遮ってきた。リオンは身をすくめ、恐る恐る振り返る。
扉の前にあの赤い髪の部下が立っていた。リオンに向かって厳しい視線を投げかけている。
リオンは少し扉を観察した。数字のドアロックが見える。暗証番号の手がかりがないか目を凝らしてみるも、何も分からなかった。
――逃げられない。リオンは俯いて、その事実をゆっくりと飲み込んだ。
「いいのよ、マーズ。レオナルド君は我々の味方なんだから」
「ぼくが『味方』……? それってどういうことですか」
「そう、我々はヘックスだ。市民は守るべき存在であり、愛すべき隣人。当然のことでしょう」
そんな答えは求めていなかった。
守るべき存在であれば、こんなにも強引に連れ去ったりしないはずだ。リオンには分かっていた。彼女たちは権力の名のもとで横暴を行っていると。
もはや虫の良い言葉で絆されるような段階ではない。やはり彼女たちはリオンの味方ではないのだ。
カレンは手を引っ込めて腕を組む。彼女は指で腕をトントン叩き始めた。
「さっきも言ったでしょう。私は貴方の父親とも仕事をしていた……いや、それどころか仲間ですらあった。手助けをしない道理はない」
「それならカレンさんがやったらどうですか。どうしてぼくにさせようとするんですか」
リオンは食い下がる。カレンとの間に“信頼”を感じられなかった。こんな状態で彼女の願いを聞き入れるなど、到底できない。
Qも言っていた。依頼は“信頼関係”の上に成り立つ、と。
カレンたちはわざわざ連れ去ったのだ。リオンにも、そのことが保証する自分の立場を分かっている。どんなことがあっても折れるべきではない。そう信じていた。
リオンの決意は硬い。その思いの強さは顔にも出ていた。
彼女は机から降りて、リオンと目線の高さを同じにする。
「……貴方であれば、情に訴えかけて“彼”を殺すことができる」
「ぼくは……ぼくの戦いを他人に利用されたくないです。汚れ役をさせようったって、無駄です」
その一言でカレンは目を伏せた。どういうわけか、彼女は言い返してこない。
その代わり、机に置いていたファイルを手に取って、リオンの前で開いてみせた。黒塗りばかりのページを。
「まさか……!」
思わず言葉が漏れ出た。リオンは食いつくようにして内容に目を走らせる。
カレンは大げさに感情を込めて言った。
「まずは謝罪をするわ。ごめんなさい。
「……実験中の事故じゃないことくらいは分かっていました」
――まさか。そう、そのまさかだった。ここには父の死に関することが載っている。望んだ情報がまさにそこにあった。
『午前2時頃、ティモシー・コーエン博士は■■■■所属のハリー・ジェンゼールの銃撃を受け、その場で死亡。その後、市街地へと逃走したハリー・ジェンゼールは■■■■によって射殺。午前3時に死亡が確認された――』
「犯人は……“ハリー・ジェンゼール”? 当該職員は……死亡が確認された…………?」
望んでいない情報もそこにあった。
「貴方はその男を知っている」
彼女は口をすぼめて、その名前を口にした。たった一文字、一度聞いたら忘れないその名前を。
「そ……んな…………」
リオンは全身の力が抜けていく感覚に襲われた。
信じられなかった。信じたくもない現実を、否応なしに突きつけられる。
「騙されてた? 最初からぼくのことを知って、こうならないように仕組もうとしてた……?」
「私も騙されていた。まさか、まだのうのうと生きていたなんて」
何もかもが宙に放り出されたようで、思考が定まらない。頼りにしていた線がぷっつりと切れてしまったようだった。
「『復讐を遂げたらどうする』……? そんなことを聞いてきて、アイツ、きっと気付かれるのが怖かったんだ」
彼が発した言葉の数々が、全て裏返って思い出される。どれほど浅ましく、愚かで仕方のないことか。全て彼の保身だ。何もかも完全に騙されきっていた。
リオンはうわ言のように彼の言葉を反芻する。
そんな茫然自失とした様子のリオンを見兼ね、カレンが声をかけてくる。
「ふふ……彼のこと、殺したい?」
――この恨み、果たさずにはいられない。殺しただけでは、この怒りはおさまらないだろう。
だが、それではカレンの目論見通りだ。復讐は自分の力で成し遂げる。そこに自分以外の思いなど必要ない。
「ところで貴方、銃は使える?」
「……触ったことすらないです」
彼女は机の上に拳銃と銃弾、紫色の缶を並べていた。カレンが赤髪の部下に目配せをすると、リオンの手錠が外される。
自由になった彼は立ち上がり、拳銃をその手に持った。手の震えはまだ止まらない。しかし、これは恐怖の震えではなく、武者震いだった。
「銃で人を殺すことなんて猿でもできるわ。もちろん、私以外なら、だけど」
リオンが紫の缶に手を伸ばすと、それよりも先に彼女が取り上げた。
「これは私の。それとも貴方、もしかしてペンデュラムを……?」
――リオンは拳銃を向け、引き金に指をかける。問答無用だった。
「な――!? “
リオンとカレンの立ち位置が変わったとき、缶を手にしていたのはリオンだった。
プルタブを引っ張って缶を開けたとき、リオンは背後から掴まれる。
「貴様! 大人しくしろッ!!」
だが、それよりも早く缶の中のものを飲んだ。
「貴方、何を……!!」
掴まれた腕同士で指を組み、マーズの手を振りほどく。予想よりもマーズには力が入っていなかった。
リオンは彼女の股下をくぐり、扉まで走る。
「ハッ! バカなヤツだ。パスコード式だぞ?」
身体がひとりでに動く。自分の意図していない動きで番号が打ち込まれる。
扉が開くなど、その場の全員が思いもしなかった。
小さく機械音がした直後、背後から凄まじい破裂音が聞こえてきたが、リオンはすでに部屋の外へ飛び出していた。
「貴方もッ!! 私の期待を裏切るの!?」
部屋の外、廊下は全くの暗闇で、明かりのひとつもなかった。それでも道がわかった。どこに逃げ道があるのか、頭の中で把握できていた。
このような得体も知れない場所はリオンの記憶にない。だが、なぜか勝手を知っていた。
リオンは廊下を駆ける。背後からは2人分の足音が迫っている。
彼は走りながら直感した――ここは研究所だと。
そして、それを理解できたこと、知りもしないパスコードを打ち込めたことこそ、彼のペンデュラムの力だと。
乗り移り。リオンの中に入り込んできた温かみに、彼は懐かしさを覚えた。
『私を呼び出してくれてありがとう』
「久しぶり……お父さん…………」
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