Track:2 - 'Round Midnight



「我らがオアシス、『バー・カケコト』へようこそ」


「…………なんでこんな場所に、バーなんかが」


 リオンの言葉に、彼が感じた全てのことが詰まっていた。



 真っ暗の中、リオンは目を凝らして眺めた。

 Qが指差すのは道路の突き当たり。バーらしき看板もない。表の室外機の上に灰皿が置かれているだけ。

 どれだけ見てみても、ビルの裏口でしかなかった。



「この裏通りは“絶望”した者が必ず引き寄せられるんだ。けったいなモンさ。こんな風に真っ暗なもんで“極夜の11番道路”って呼ばれてる」


「だからウチたちはこの場所で何でも屋をやってるの。人の“絶望”を解決するために、ね」


 リオンは立ち竦んだが、2人はその扉を開けて中に入っていく。置いていかれないように後に続いた。


 扉の先には半地下に下る階段。それを下った先に、やっとバーらしい構えの木製のドアが見えた。

 入店ベルが鳴る。


「帰ったぜ」「ただいま~」


 Qの『溜まり場』という言葉に偽りは無いらしい。

 思い思いの声に反応し、扉の向こうからドスの利いた声が返ってきた。


「おう。今夜も客はいないぜ」

「いや、俺が掴まえてきた」


 リオンはQに背中を押されて先頭に出された。


「ほぅ……? そいつは」


 サングラスをかけた大男がこちらを凝視している。表情が全く読み取れない。

 ありえないほど煙たい声。焼けた肌の色。スキンヘッド。おまけに、その右腕が異常なほどに大きかった。“拡張体ローデッド”――しかも、かつて労働者に支給された高出力モデルだ。


 こんなにも危ない印象を煮詰めたような人がいるのか、とリオンは驚きと恐怖をもって感じた。


 そんな男が食い入るようにリオンを見つめている。トラウマになるには十分すぎるほどの時間だった。

 彼は満足したのか、リオンから視線を外し、後ろのQに尋ねる。


「……金が無ェからって、他所さんのガキを誘拐するこたないだろうによ」

「小さいようだが、これでも依頼人だ」


 大男はそうか、と小さく答え手元の新聞に注意を戻した。Qがリオンの背中を押す。



 ずかずかと上がり込んだ空間は、店のようには見えなかった。


 まず何よりも悲惨に思えるのは、天井に開いた無数の穴。その真下にはバケツが並べられている。いくつもだ。その天井が本来の姿を失ってしまったということはよく分かる。


 さて、手前左側には大男――もとい、この店のマスターが鎮座するカウンター。


「マスター、“メニュー表”と救急セット、シュガーのメンテ箱。俺は……そうだな“XYZ”をもらう」

「じゃ、ウチはチェリーコーク! リオンは何にする?」


「え? え、えーと……ミルクってありますか?」

「あるぜ。マズいやつがな」


 リオンは苦笑いを浮かべながらカウンターの前を通り過ぎる。怖かった。


 真っすぐ行ったところの突き当りの壁にはジュークボックスが2台、並んでいた。その裏側にはぎっしり詰まったレコード棚。色のばらつきがバーコード柄のように見える。

 いずれも年季を感じさせる。味のある一角だ。


「これ、何か聴けるんですか?」


 マスターに訊いたつもりが、返答したのはQだった。


「カントリー、ブルーグラス、ブルース……その他なんでもござれ、だ。ここのモンは俺の私物なのさ」

「ウォークマンもそうでしたけど……Qさんは音楽がお好きなんですね」


「……古いものならな」


 含みのある回答だった。

 バーはそこから右へ折り曲がるようにして、奥のほうへとテーブル席が続いている。そこの壁には半地下らしく、採光窓が上の方に取り付けてあった。


 3人は最奥の席へとつく。テーブルには漫画が積まれていた。


「ここ一番の特等席だぜ。悪いが怪我人が使わせてもらう」

「あっずるい! ウチだって歩き疲れた~」


 Qとシュガーはソファーに深く腰を下ろす。リオンは向かい側の椅子にちんまり座った。

 向こうのバーは客が多い代わりに治安が悪かった。しかし、ここには客がいないから治安そのものがない。


 自由で心安らぐ空間――そんな印象だった。


 リオンが物珍しそうにバーを見回していると、すぐにマスターがやってきた。


「“メニュー表”、救急箱、メンテ箱」


 彼は救急箱と工具箱、そして1枚のファイルをテーブルに置いた。


「それで、コイツは“また”やったのか」

「“また”やったんだよ。今回ばかりは流石のウチもヒヤッとしたケドね~」


「おいおい、マスターまでそれを言うのかよ。俺がいなきゃリオンは値札を付けられてたんだぜ? それに、金が無いんだから仕事を掴まえなきゃなんねえだろ」


 リオンはすかさずにお礼をする。それに対してQは、いいよいいよと救急箱とファイルを取って、それぞれの中身を取り出した。


 ファイルの中に入っていたのはたった1枚の紙。『契約書』の3文字を見たリオンは思わず身構える。


 Qは自身の右足の応急処置を始めながら、リオンに話しかける。シュガーもまた、自分の義足――“拡張体ローデッド”の整備を始めた。


「リオン……お前を助けたのはバーで絡まれてたからじゃない。本命はお前さんの“悩み”のほうだ」

「へ?……な、悩み、ですか?」


 素っ頓狂な声を上げるリオン。しかし、Qは至って真面目なままに続けた。マスターも黙って耳を傾けている。


どうして・・・・1人でバーになんか・・・・・・・・入ろうとした・・・・・・?」

「そ、それは……」


 リオンは言い淀む。詰問されているかのような問い質され方だった。


「俺たち以上に後ろ暗いヤツなんてそうそういない。どんな秘密があったとしても、俺たちは驚いたりしない。口外もしない。約束しよう」


 リオンはQ、シュガー、マスターの3人からの視線に耐えかねて、口を割った。


「実は、“ペンデュラム・カクテル”を飲むためにバーに入ったんです」

「フッ、ほらな。言った通りだろ」


 Qは得意げな顔をマスターに見せる。マスターのほうはサングラス越しでもバツが悪そうな顔をしているのが分かった。


「――この店にも“ペンデュラム・カクテル”はある」


 マスターのその言葉に、リオンは分かりやすく反応した。


「本当ですか!?」

「ああ。だがよ、坊主。お前はあの“溺れ薬”が何なのか分かって言ってるんだよな……?」


 リオンは力強く頷いた。


「“異能力ペンデュラム”を開花させるお酒です」


「なら、条件があることも分かっているな?」


「はい。“絶望”を味わうこと……ですよね」


「俺には坊主がそんな経験をしてきたようには思えない。Qは目がいい。だが、人を見る目なら俺のほうがいい」


 マスターは雨漏りバケツをひっくり返し、腕組みをしてバケツに座る。向こうのバーの店員も似たような反応だった。

 腕を組み、子供だからと突っぱねる。そんな応対。


 リオンが折れかけていると、Qが口を開いた。


「なぁマスター。分からず屋につけるべき薬は“痛い目”だと思わないか?」

「もし違ったら金が勿体ねェだろうが」


「……コイツがダメなら、俺が俺用に頼む。それなら構わないだろ?」

「バカ言え、お前は禁酒中だろ」

「そうだそうだー」


 シュガーが茶々を入れる。Qは観念したように口調を改めた。


「お願いします。リオンがペンデュラムになれなかったら10000ジュドル肩代わりするので」

「それなら俺は5000賭ける。二言はないぜ」


 マスターは重い腰を上げて、そそくさとカウンターに飲み物を取りに行った。


「Q、あんな賭けしちゃって大丈夫なの?」

「大問題だ。俺に10000も手持ちは無い」


 それでもQはリオンを試したがっていた。当の本人はへっぴり腰になりながらQに尋ねる。


「も、もしダメだったら、そのときはぼくが払います……」

「それもダーメ。Qにも痛い目をつけるべきだと思うんだけどね~」


 シュガーは肘で彼の右足を小突く。Qは痛みに耐えながらも、小さく声を震わせた。


「バッ……カ野郎、めちゃくちゃ痛ェってのに……」


 シュガーは満足げに息を漏らし、工具箱の蓋を閉めた。


「漫画いいとこだったのに無茶言うQが悪いんだよ~」


 何を、と食って掛かるQだが、それよりも先にマスターが戻ってきた。片手にグラス4つ。もう片手に黒い瓶を持っている。


「ほらよ。“痛い目”だ」


 ――“溺れ薬”、“痛い目”、散々な俗称を持つそれこそ、リオンが求めに求めた“ペンデュラム・カクテル”だった。


 我知らず、リオンはその瓶を手に取った。


「おっと、グラス持ってきておいたんだがな。瓶ごと行くか。豪快だな」


「そいつが願いを叶えるかどうかはリオン次第だ。異能力ペンデュラムを持つ資格があるのなら、それを飲んだら倒れちまう」


「カクテルに選ばれなければ、お前は“苦い顔”をしたまま意識を保っていられる。さァ、俺に勝利の味を教えてくれ」


「……分かりました」


 リオンは瓶の栓を抜く。3人は固唾を呑みながら、静かにその様子を見守った。


 リオンは瓶に口をつけ、一気に仰いだ。

 ゆっくり、ゆっくりと、その味を確かめながら、リオンは溺れるように飲んでいく。



 リオンが瓶の中のものを全て平らげた時、彼の身体は左へ、右へ、大きく揺れ――そして、ぶっ倒れたのだった。

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