第14話

 午前中に決めていた予定通り【富士河家】へとやってきた太老。まずは診察をしてもらうためにクリニックの方へ入っていく。だが扉を見て「え?」となる。


「……休診日?」


 そこには臨時で休診日になったことを謝罪する紙が貼られていた。


(臨時ってことは今日も営業してたってことだよな。……何かあったのか?)


 軽くノックをしてみるが反応なし。というか人の気配が建物からしない。


「うーん、これは出直した方が良いかな」


 已むに已まれぬ事情が起きてしまったのなら邪魔をするのも気が引ける。幸い傷の治りは良いので、また明日でも来ればいいだろうと帰ろうと踵を返した矢先だ。


「「――あ」」


 目の前に見知った顔の少女が立っており、また同時に声を発して固まってしまった。

 その少女こそ、富士河家の長女であり昨日世話になった千咲である。向こうも目が合ったまま停止しており、その両手には紙袋が握られていた。見ればいろいろな食材などが入っているようだ。


「み、三森くん!? え、何で……あ、もしかして傷が悪化したの!?」


 太老がここに来た理由を察して驚きを慌てている。


「あー大丈夫。痛みも引いてるしな。昨日先生にもう一度来てくれって言われてたから来たんだよ」

「そ、そっか、それなら良かったけど」


 妹が関わっている以上、太老の傷の具合は多少なりとも気にしていたのだろう。もし悪化なんてことになれば、真面目そうな彼女のことだ。罪悪感で胸を痛めたはず。


「あ、でもごめんね! いきなり休診日で驚いたでしょ?」

「まあ、ね。……何かあった?」

「それは…………うん、ちょっと来てくれる?」

「え? ……分かった」


 どうやら母と音々呼は家にいるらしく、二人に会ってほしいとのこと。傷を診るならそこでもできるし、太老にも伝えたいことがあるらしい。


(伝えたいことか……十中八九音々呼ちゃんのことだろうな)


 そう推測し、黙って千咲の後についていった。玄関から中へと入っていき、そのままリビングまで案内される。


 すると――。


「……こ、これはどういう状況?」


 思わず困惑したのは間違いではないはず。

 何故ならリビングは、昨日少しだが見た時とまったく違った様相になっていたからだ。


 壁や天井には様々な飾りつけが施され、まるで誕生日を祝うために誂えたように煌びやかだった。

 呆然と立ち尽くす太老をよそに、キッチンの方へ向かった千咲が手ぶらで戻ってくる。


「えへへ、驚いたでしょ?」

「うん。誰かの誕生日……かな?」


 本当は何の祝いなのか大体察しているが、一応確認を取ってみる。


「ううん、実はね……あ、降りてきた」


 リビングの入口の方から足音が聞こえてくる。どうやら残りの住人は二階にいたようだ。

 視線を向けて待っていると、そこからはクリニックの院長先生である舞香に手を引かれたお姫様が現れた。


 誇張などではない。本当に可愛らしいオレンジ色を基調としたドレスを着込んだ小さな幼女――音々呼がそこにいたのである。

 そして二人も太老の存在に気づき、舞香が「お?」となったと同時に、


「――タローおにいちゃん!」


 と甲高い声を上げながら、小さい姫が駆け寄ってきた。

 そのまま太老の腰に抱き着くと、にんまりと笑顔を見せる。

 太老もホッと胸を撫で下ろし、彼女の頭を優しく撫でる。


「ん、そっか。治ったんだね、声」

「うんっ!」


 その笑顔だけで世界が救われるのではないかと思うほど。それほどまでに希望と歓喜に満ちていた。


「あのね! あのね! これからはね、いっぱいおしゃべりできるんだよっ!」


 明らかに興奮状態だが、太老は「そっかそっか。良かったね」と言ってやると、さらに嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねる。


「こーら、音々呼。お客様にいきなり飛びつくのは失礼でしょ」

「あぅ……ご、ごめんなさぁい」


 千咲に注意されてシュンとなるが、その姿も保護欲をそそり愛らしい。自分にこんな妹がいたらなと思わずにはいられない。

 そこへ舞香が近づいてきて、音々呼の頭に手をそっと置く。


「今日の主役がそんな顔をしたらダメだろ? ほら、お姫様は堂々と椅子にでも座りな」


 そう言われて、「はーい!」と元気よく返事をした音々呼は、大きなソファにチョコンと座り込んだ。その周りには大小様々な派手な色のクッションやぬいぐるみが置かれていて、本当にお姫様のために用意されたようなソファである。


 そして千咲に「これでも食べてて」とプリンを出され、目を輝かせながら食べ始めた。


(本当に良かった。やっぱり子供はあれくらい元気じゃないとな)


 昨日会った時も元気が無かったわけではない。ただ何となくだが子供らしさに欠けた娘だなとは感じていた。

 初対面の男性に緊張しているだろうから仕方ないと最初は思っていたが、家族と接するあの子を見てもどこかその笑顔に違和感があった。


 しかし今、あの子の笑顔には一片の曇りもない。まさに無邪気な子供らしい表情をしている。


「それよりも君は、あまり驚いていないね」


 いきなりの指摘にドキッとしてしまう。確かに他から見ると淡白な対応だったかもしれない。もっとも太老としては治っているはずだと思っていたからこその反応だったのだが。


「あ、あはは……すみません、元々あまり感情が豊かな方ではないので」


 そんなことはないと思うが、咄嗟の言い訳がこれしか思いつかなかった。


「ふむ、やはり君もどこか年相応ではないな」

「っ……そ、そんなことよりもこんな大事な日に訪問してしまい申し訳ありません。腕の怪我も痛みはないので、また後日報告に来ますね。では……」


 せっかくの家族水入らずの祝いの席だ。他人はすぐに去ろうとするが……。


「ええっ!? タローおにいちゃん、かえっちゃうの!?」


 それまでプリンに夢中だったにもかかわらず、音々呼が突然顔を向けながら声を上げた。



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