第8話

「――――ほんっとーにっ、すいませんでしたぁっ!」


 太老の前でビシッと頭を下げるねねこの少女。

 ねねこのお蔭で説明の機会を与えられ、ようやく誤解が解けたことにホッとする。


 ただ野良猫に襲われたり追われたりしたことは話したが、さすがに相手が妖だったといったようなことは黙っておいた。言ったところで通じないだろうし、余計に話が混乱するだろうから。下手をすれば変質者に逆戻りになるかもしれない。


「あーいいっていいって。あの状況なら誤解されても仕方ないしさ」

「うっ……本当にごめんなさい」


 先ほどの勢いはどこへやら。意気消沈しながら頭を垂れる少女の姿は、傍目から見たら注目の的になっている。


「ほらほら、もういいから! だから頭上げてくれ! 目立ってるし!」


 その言葉にハッとした彼女は、周囲を見て恥ずかしさで顔を紅潮させる。

 とにもかくにも太老としては誤解さえ解ければそれで問題はない。過去と比べれば最高の結果と言える。何せ警察を呼ばれていないのだから。


 他の屈強な男たちに「この犯罪者が!」と言われて組み伏せられてもいないのだから十分である。


『おねえちゃん、そそっかしい!』


 そう書かかれたタブレットを掲げるねねこに、少女は頬をひくつかせる。


「あのね……これもすべてはねねこが迷子になったせいだからね!」

『ちがう! おねえちゃんがまいごになったもん!』

「はあ? 言うに事欠いて私が迷子!? ……明日のおやつ抜きにするわよ?」


 すると目に見えて動揺したねねこは、助けを求めるように太老を見てくる。こういう目にはとことん弱い。


「あーえっと、二人とも仲良くな。ほら、ねねこちゃん、お姉ちゃんも必死に探してくれたんだ。心配かけたんだったらどうすればいい?」


 膝を折って目線を合わせながら、できるだけ優しく諭すような声音で言う。

 ねねこは、少し目を伏せて考え込む仕草を見せたが、すぐに少女の前に立つとタブレットを見せる。


 そこには『しんぱいかけて、ごめんなさい。あと、さがしてくれてありがと』と書かれていた。

 それを見た少女も不機嫌さを吹き飛ばし、頬を緩めて返事をする。


「うん、お姉ちゃんも迷子になっちゃってごめんね」


 そこはやはり姉か。妹のために折れてくれたようだ。


(二人とも、良い子だな)


 喧嘩するほど仲が良いというが、この姉妹の絆の強さを実感できた瞬間だった。


「それじゃ、お姉ちゃんも見つかったことだし、俺はもう行くな」


 これ以上姉妹の間をかき回すのはいけないと思い立ち去ろうとしたが、クイッと服が引っ張られて足が止まる。見ればいつの間にかねねこがそこにいた。


「……ねねこちゃん?」


 困惑する太老をよそに、ねねこが右腕をキュッと掴んできた。その瞬間、ズキッと痛みが走ったせいで顔が歪む。慌ててねねこが手を離すが、そのせいで少女が腕の傷に気づいてしまった。


「え……それ血……ですか? まさかねねこを助けた時に怪我を!?」


 だからさっさとここから消えようとしたのだが、残念ながらその作戦は失敗に終わった。


「はは……まあ大したことはないから」

「ダメです! ちょっと見せてください!」

「え? あ、あの……」


 物凄い勢いで詰め寄ってきた少女が、太老の腕をソフトに持ち上げて確認し始める。袖を捲り、そこに刻まれた傷を見て眉をひそめた。


「――こっちに来て!」

「は、はい? こっちって……」

「いいから来るの!」


 その剣幕に思わず言葉が詰まり、少女が固まっている太老の左腕を掴むと、逆の手でねねこの手を握って歩き出した。

 そしてそのまま真っ直ぐ、商店街を抜けた先にある広場へとやってくる。そこには手洗い場として設置された蛇口があり、そこまで連れられてきた。


「痛いかもしれませんけど、我慢してくださいね」


 そう言いながら、太老の腕を蛇口の傍に近づき水で洗い始める。流水の刺激に痛みが走って歯を食いしばる。

 水は血をどんどん洗い流していき、噛まれた傷跡がくっきりと見えた。


 少女はしばらくそのままでと言うと、持っていたポーチを漁り、そこから傷薬やガーゼ、包帯まで取り出した。


(……用意が良いな)


 凡そ現代っ子が所持するようなものではないが、そんな考えを悟ったのか少女は答えてくれた。


「この子がよく転んだりして怪我をしちゃうので。だからいつも持ち歩いているんです」


 なるほど。それなら納得だ。いや……それでも女子ならではかもしれない。男子だったら、そもそもポーチなんて持ち歩かないし、医療関係も持っていてせいぜいが絆創膏くらいだろう。


 太老は甲斐甲斐しく治療してくれる少女をマジマジと見つめる。

 こうしてよく見れば、今の自分とそう変わらない年代だ。しかもアイドルをしていますと言われても納得する程度には整ったルックスをしている。


 少し釣り目ではあるが、肌も白くてきめ細やかで、鼻筋も通っていて艶々しい唇には思わず視線が向く。

 若干赤みがかった髪色だが、しっかり手入れしているようで触れば心地よさそうなサラサラ感が見て取れる。


「…………あの、そんなに見られると困るというか……」

「え? あ、ごめん!」


 これはいけない。かなりの美少女っぷりに見惚れてしまっていたようだ。すぐに顔を逸らすが、少女は若干照れ臭そうにしながらも、しっかり包帯まで巻いてくれた。


「これで応急処置はしましたけど、野良猫に噛まれたならちゃんと検査も受けた方が良いですよ」

「あ、ああ……っていうか、本当に手際が良かった」


 日頃からやっていないと、これほどスムーズに対応はできないだろう。


「まあ……家がクリニックやってて、そこでお手伝いもしてるので」


 それで合点がいった。彼女のスキルは毎日の賜物だったようだ。


(家の手伝いか。妹の面倒もそうだけど、マジで良い子なんだな)


 先ほどまでかなりの痛みを感じていたが、大分マシになっていた。手当てをする大事さに改めて気づかされる。とはいえ、少女の言う通りにこのあと病院へ行こうとは思うが。


「ありがとな。お蔭で大分楽になったよ」

「べ、別に……妹がお世話になったから当然ですし」


 思わずツンデレっぽい雰囲気ありがとうございますと言いそうになったがグッと堪えた。

 そこへねねこが『タローおにいちゃん、だいじょーぶ?』と書かれたタブレットを見せてきたので、安心させるように「ねねこちゃんのお姉さんのお蔭でもう大丈夫だぞ」と言うと、嬉しそうに笑顔を浮かべた。


『おねえちゃん、タローおにいちゃんのこと、おかあさんにみてもらったらどうかな?』


 続いてねねこが少女に対して提案する。


「なるほど、そうね。お礼のこともあるし。あ、もちろん診察代は請求しませんから、これからどうですか?」


 何だかとんとん拍子に話が進んでいっている気がする。確かに病院へ行こうと思っていたし、さらに無料で診察してもらえるなら願ってもない。


「えっと……いいのか……な?」

「もちろんです。この子の恩人なんですし」


 ねねこも『だいかんげー』と書いてタブレットを掲げている。


「うーん、じゃあお世話になろうかな」


 ということで、急遽ねねこの親が営むクリニックへと向かうことになった。


「あ、その前に自己紹介しておきますね。私は富士河千咲っていいます。もう知ってるかもしれませんけど、こっちは音々呼。よろしくお願います」


 二人ともどもペコリと頭を下げてきたので、太老も若干恐縮しながらも名乗ることにする。


「俺は三森太老。こちらこそよろしく」


 そうして自己紹介を終えた三人は、一緒にその場から歩き出した。



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