第7話
猫の気配を感じなくなったので、今度はそのまま表通りへと脱出した。
ああいうのに追われるのは慣れているといっても、さすがに全力疾走を続けるのは大変で身体が悲鳴を上げている。
盛大に息を乱していると、こちらを不安そうに見つめている視線に気づく。
「おっと、ごめんごめん。今、降ろすな」
抱えていた幼女をそっと降ろしてやる。それと同時に、周囲からの視線が突き刺さっていることにも気づいた。
何せ小道からいきなり幼女を抱えた少年が駆け出してきたのだから注目を浴びるのも当然だろう。
「あ…………えと、良かったら向こうで話さないか?」
そうして幼女の許可を得ると、少しだけ人の賑わいが落ち着いている場所までやってきた。
自動販売機があったので、そこでジュースを二本買って、その近くのベンチに座らせた幼女に一本を与える。
素直に受け取ってくれるか心配だったが、幼女はニコッと笑みを浮かべて手に取ってくれた。
(良かった。笑ってくれて)
ハッキリ言って恐怖でパニック状態に陥ってもおかしくない状況だったが、意外にも大人のような冷静さを持っていることに感謝した。
すると幼女は大事そうに持っていたタブレットを操作し、その画面をこちらに見せてきた。
そこには『ありがとう』と書かれている。
「はは、わざわざ書いて伝えなくても口で言ってくれればいいのに」
もしかして恥ずかしいのかなと思ったが、幼女は少し困ったような顔を見せた。
(あれ? 悪いことでも言ったか?)
そう思った直後、再び幼女がタブレットを操作した後に画面を見せてきた。
そこに映された文字を見て言葉を失う。
『ねねこ、おしゃべりできない。ごめんなさい』
次いで幼女の顔を見ると、申し訳なさそうに口をパクパクしている。
その瞬間に、どうしてタブレットで対話をしているのか、そして、あの猫に襲撃をされた時に一切の声を上げなかったのか、そのすべてに理解した。
太老もまた、そんなことを告げてしまうことになった現状に罪悪感を覚える。
「……そっか。こっちこそごめんな。教えてくれてありがと」
幼女の頭を優しく撫でながら、謝罪の気持ちを込めて言葉を送った。
すると幼女が頬を緩ませて大きく頷いてくれたのでホッとする。だがすぐに幼女の表情がまた曇る。彼女の視線の先は太老の右腕に向かっていた。
服に穴が開き、そこから赤く染まっている。
そういえば猫に噛まれたことを忘れていた。意識したらズキズキと痛み始める。
『いたい? ねねこのせいで、ごめんなさい』
またもタブレットでそう告げてくる。
「いんや、これくらい大丈夫。ほらほら」
そう言いながら腕を振る。正直今すぐ病院へ直行したいくらい痛いが、彼女をこれ以上悲しませるのは嫌だった。だからここはすぐに話題を変えるべきだ。
「それよりも、ねねこって名前なんだな。可愛い名前だ」
そう言うと、今度は照れくさそうな顔を見せてくれる。コロコロと表情が変わる子である。
『おにいちゃんの、おなまえは?』
そう尋ねてきたので、「太老っていうんだ」と答える。
『じゃあタローおにいちゃんってよんでもいい?』
若干不安そうに聞いてきたが、すぐに「いいぞ」と許可を出すと、またも嬉しそうに微笑んでくれた。
大分打ち解けたところで、そろそろ本題に入ろうと思う。
「ところでねねこちゃんは、一人でどうした? ママとかパパと一緒じゃないのか?」
『おねえちゃんといっしょ。でもおねえちゃん、まいごになった』
「……迷子になったのは、ねねこじゃないか?」
『ちがうもん。おねえちゃんがまいごなの!』
プク~ッと頬を膨らませる表情は愛らしい。ここらへんはやはり子供っぽい。
「はは、そっかそっか。じゃあお姉ちゃん、一緒に探すか?」
ねねこが『いいの?』と聞いてきたので「もちろんだ」と言うと、満面の笑みで何度も頷いてくる。どうやら相当心細かったようだ。
「それじゃさっそく探しに――」
出かけようとした矢先だ。
「――――音々呼っ!」
甲高い声音が響く。当然声の主の方へ視線が向くが、そこには一人の少女が立っていた。
勢いよく駆け寄ってきたかと思ったが、そのままねねこを抱きしめる。
「良かったぁ……やっと見つけた! もうバカ! お姉ちゃんから手を離しちゃダメって言ったでしょ!」
ねねこも実の姉のようで、涙目のまま姉に縋りついている。
(うん、良かった。能力を使うまでもなかったな)
早く見つかるように確率を操作しようと思ったが、するまでもなかったようで安堵した。
しかし迷子になったのは、ねねこが姉から手を離したせいだったからのようだ。保護者から手を離してしまう。子供がよく迷子になる理由の一つだろう。問題なく再会できて良かった。
ただ問題が一つある。それは――。
(うわぁ、俺……この人にめっちゃ睨まれてんだけど……)
ねねこを大事そうに抱えながら距離を取りつつ、敵意満々と言った様子で睨んできている姉。まるで変質者でも見るような眼差しに心が痛む。
「……もしかしてあなた、この子に何かいかがわしいことをしようと?」
大体予想はしていたが、やはり完全に誤解をされてしまっているようだ。まあ大事な妹で、しかもまだ幼い時分。そんな子に男が近づいていたら警戒しても仕方ないだろうが。
こういう場合、こちらが言い訳しても聞いてくれるか分からない。というか前の人生でも、決まって誤解され警察まで呼ばれたことがあったし。さらに不運が重なって、最近起きた放火事件の犯人と人相が似ているという理由で署まで連行されたことが……。思い出したら泣けてきた。
「え……何でこの人涙目なの……?」
過去の災難に涙してたら少女にドン引きされてしまった。
そこへ少女の腕の中からもぞもぞと動き出し解放されたねねこが、トタトタと太老の前まで来て姉に向けて立つ。
「え? ちょ、音々呼、何してるの! こっちに来なさい!」
だがねねこはそれには応じず、タブレットを素早く操作すると、そのまま姉に向かって突き出した。
「は? 何よ? えっと……『タローおにいちゃんは、ねねこをたすけてくれた!』? ……はい? ど、どういうこと?」
まだ事情が呑み込めていないようで、姉は明らかに混乱状態に陥っている。どうやらここが説明を聞いてもらえる分岐点だと察し、太老は何があったのか語り出した。
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