41、俺はひとりじゃない
「
「なんだ?」
授業間の休み時間に、ゆきが俺のほうへと椅子を寄せてくる。「いつも通り」の様子にほっとしながら、顔を向けた。
「ほら、この前勉強会の話を断ってしまっただろう? でも、私の中で心の整理がついたから、またやりたいなと思ったんだ。一度断っているから、予定を入れてしまっていたら仕方ないが」
「ああ、その件か」
間に色々なことがありすぎて、ゆきにそんな話をしていたことも忘れていた。しかし、せっかく勉強会も再開しようということになったのだ。ならばまた、約束をすればいい。
「俺は年中暇だからな。ゆきが良ければ、予定通り週末に行くよ」
「わかった。そうしよう」
頷いたゆきは顔を上げて、俺の後方を見やる。その視線を追って振り返ると、真後ろに
「
「どういうことかな、
俺と同じく、ゆきも赤時とはあまり親しくしているわけではない。しかも俺は、色々とどたばたしていたこともあり赤時と漁火が繋がっていることを、ゆきに伝えていない。彼女の疑問はもっともだ。しかし強い眼差しに動じることもなく、赤時は真っすぐに俺だけを見据える。
「そうだな。だが他言無用だ」
ゆきに事情を伝えたいのはやまやまだが、今は目の前にいる赤時への対処のほうが重要だ。俺が睨みつけると、赤時は肩をすくめて見せる。
「私には並木の言葉に従う義理はないよ。でも、どうしてもというんだったら来週末、バーベキューに行かない? 七海や
「どういうことだ」
俺の意図は伝わったはずだ。なぜ、赤時から漁火に俺の情報を漏らすなと言ったことに対する返答が、バーベキューへの参加になるのか。意味が分からず聞き返すと、赤時は表情を変えずに言葉をつづけた。
「交換条件だよ。人間観察は私の趣味だけど、一歩引いて観察しているだけではわからないこともあるってね。せっかくBIG4で集まれるチャンスがあるのなら、逃すべきではないと思ったんだ」
「BIG4って、お前知っていたのか」
男子の間では公然の秘密として呼びならわされていた通称だが、当の本人が知っているとは思わなかった。思わず突っ込みを入れると、その返答は背後から返ってくる。
「“公然の”秘密なんだから、女子が知っていてもおかしくはないだろう。噂に疎い私でさえ知っているんだからな。情報通の鳥子が把握していても不思議はない。それより、鳥子は私たちと親交を深めたいということか? いまいち話が見えないんだが」
ゆきの最もな問いかけに対し、赤時は視線を彼女のほうへと向ける。
「そういうことになるかな。あお……知り合いにも言われたんだ。私は人の観察をしてばかりで、クラスメイトと親交を深める努力をしていないんじゃないかって。それは、私の人生においてすごくもったいないことなんじゃないかって。だから手始めに、BIG4と呼ばれている皆で集まってみたいんだ。男子たちにひとくくりにされている割に、私たちは交流したことがない。七海からすると唐突かもしれないけど、私は交友関係を築くのが不得手なんだ。だけど、来てくれるとありがたい」
「いいよ」
「おい、ゆき」
即答したゆきを押しとどめようとするが、彼女は涼しい表情でこちらを見返してくる。
「交友を深めたいと言っている人間を拒む理由なんてないだろう? 私も鳥子とはあまり話したことがないからね。どういう人なのか気になっていた。それに、何か訳ありなんだろう? 後で聞かせてもらおうか」
ゆきの言葉の圧に気おされそうになるも、俺は何とか視線を赤時のほうへと戻した。
「バーベキューに行くことで、他言無用の約束は守られるんだな?」
「うん。約束するよ。例の件、七海に話してもいいし。そのうえでバーベキューの参加有無を決めたほうがいいだろうからね。野間と野口には私から声をかける。高嶺と竹内には、並木から声をかけてもらえるとありがたい。詳細はチャットで送るから」
言いたいことだけ言うと、赤時は自席へと戻っていった。
「で、どういうことなんだ、大河? あの分だと鳥子と大河の間で、秘密のやり取りがあったような印象を受けるんだが」
「大体合ってるよ。混み入った話だから、放課後話す。ゆきは即答していたが、話を聞いてから考え直したほうがいい」
赤時と話すとどっと疲れる。俺は椅子に思いきりもたれかかりながら、宙を見つめた。いずれにせよ、面倒な話は放課後に後回しだ。
・・・
「つまり、鳥子は漁火先生と繋がっていて、今でも1-Aのクラスメイトたちの動向を先生に報告しているというわけか」
「ああ。俺がさっき他言無用と言ったのは、俺たちのことを漁火に話すなという意味だ。おそらく赤時にも意味は伝わっているはずだ。その代替条件が『赤時とバーベキューに行く』なのは意味が分からないがな」
俺とゆきは七海家のリビングにいた。どこか適当な空き教室に行ってもよかったのだが、あまり他のクラスメイトに聞かれたい話でもないので家が一番安全というわけだ。俺の話を一通り聞いたゆきは、うーんと唸って天井を見上げていたが、しばらくしてから視線をこちらに戻した。
「私は、鳥子が漁火先生に報告している件については、何とも思わないがな」
「本気か? 赤の他人に個人情報を垂れ流されているんだぞ」
思わず椅子から立ち上がった俺を手で制しつつ、ゆきは話を続ける。
「個人情報とはいうが、しょせん鳥子が見聞きできる範囲のレベルの話だろう? だったら、私たちがバイト先の人や、塾の知り合いに『うちのクラスにこんな人がいて』という話をするのと大して変わらないと思うよ」
「だが、漁火は研究者だ。俺たちの話をゴシップ的に聞いているだけならまだしも、それを自分の研究に利用しようとしている可能性が高い。入れ替わり薬を飲まされた時から思っていたが、あいつは身勝手すぎる。勝手に俺たちの行動を逐次観察していい理由はない」
なるべく冷静に話そうと努めるが、声が低くなってしまうのはどうしようもない。そんな俺の様子を、ゆきは少し困ったような表情で見やった。
「仲間想いな大河が、仲間内ではないところで自分たちのことを観察されるのが不愉快だという気持ちを持つのは理解できるよ。それが君のいい所でもある。だから、この問題を解決する方法は二つしかないんじゃないか?」
「二つ?」
頷いたゆきは、右手の人差し指を立てて前にかざす。
「一つ目は、鳥子および漁火先生は私たちにとって『仲間内ではない』から、彼らが裏で何をしていようとも一切無視する。確かに私たちのことは観察されて、報告されるかもしれないが鳥子との間にしっかり壁を作ってしまえば、得られる情報などたかが知れている。他クラスの人が見てもわかるレベルの情報なら、第三者に知れ渡ってもいちいち気にしないだろう」
「……一理あるな」
それでも漁火と赤時に対する不快感はぬぐえないが、ゆきの言葉にも一理ある。教育実習生という形で中途半端に知り合ってしまったせいで、漁火を完全なる赤の他人と思えない。それが不快感の一因である可能性はある。
もし漁火が赤の他人なら、大して親しくもないクラスメイトが見聞きした俺たちの情報を話したところで気にも留めないだろう。ゆきは、それぐらい割り切ったほうがいいんじゃないかと言っているのだ。要するに俺が気にしすぎということでもある。
「もう一つは、その逆。鳥子を『仲間内』にしてしまう。最初は不快かもしれないが、一つ目の案にはないメリットもある。それは、こちらの意図を正確に彼女たちに伝えられるということだ。鳥子が何を考えて漁火先生とやり取りをしているのかの真意も見えてくるかもしれない。逆に、鳥子が私たちの考えを理解したら、本人の意思で漁火先生への情報共有をやめてくれるかもしれない。長期的に見れば、お互いに納得のいく形に落ち着かせることができる可能性がある」
思いがけない提案に、俺は言い返す言葉を思いつかずに口を開けたり閉じたりする。ゆきはふっと笑った。
「ストレスの少ないのは一つ目のパターンだと思う。でも、私たちは互いを知ろうと努力すれば、案外腹落ちすることもできると知っている。華が中学時代のクラスメイトたちの言い分を聞いて、前を向くきっかけが得られたようにね。
華のときと同じで、必ずしも相手に共感する必要はない。でも、相手のことを知ることは、自分が納得して生きるための鍵になりうる。そんな気がするんだ。それに一つ目のパターンでそのまま高校生活を過ごしたら、私たちは漁火先生や鳥子に大してわだかまりを抱えたままになる。それは個人的には、あまり気分のいいものじゃない。私たちはまだ一年生だ。相手を知る時間はたっぷりある。だからどんな結果になろうとも、まずは鳥子を知る努力をしてもいいんじゃないかと思うよ」
どうやらゆきは二つ目の案を推しているらしい。そして、そちらのほうが俺にとって受け入れがたい提案であることも理解している。言葉を尽くして理由を説明してくれているのが伝わってくるし、言わんとすることも理解できる。だが、やはり納得しきれない部分もある。
「俺は、赤時の思考が理解できる気がしない。ゆき相手だから言うが、正直言って、俺は赤時のことが少し苦手だ。何を考えているのかわからないし、対面すると緊張する。たぶん漁火のことがなくても、俺は彼女と言葉をかわそうとは思わなかっただろう」
言葉にすると、何だか俺が身勝手な気がしてきた。共感できなかったとしても、相手を知る努力をすべきだというゆきのほうがよほど大人だ。
「でも、俺はひとりじゃない。ゆきがいてくれるなら、赤時と向き合えるかもしれない。そのあと俺がどちらの案を選ぶのかはわからない。でも、今の俺はやはり、漁火に俺たちの情報を横流しにする赤時のことを受け入れがたいと考えている。それを止めるためにも、バーベキューに行かない選択肢はない」
喋りながら、考えを整理する。
「だから、ゆき。バーベキューで赤時と話すとき、俺と一緒にいてくれるか。その場で赤時のことが少しでもわかれば、その後無視するか『仲間内』になる努力をするかを決めることとができそうだ。ひとりなら難しいかもしれないが、ゆきと一緒なら何とかなる気がしているんだ」
「もちろん構わないよ。先ほど言った通り、私も鳥子とは話してみたかったからね。大河と一緒にそうすることで君の願いがかなえられるなら、一石二鳥じゃないか」
鳥だけにね、と笑うゆきの表情は明るい。来るべきバーベキューで何が待ち受けていようとも、ゆきと一緒なら何とかなる気がした。この根拠なき自信を与えてくれる彼女に内心で感謝しつつ、
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