33、いつまで逃げるつもり?

 放課後の情報実習室は、前方の三ブロックを大人しそうな男子グループが占拠していた。俺はそれを横目に、窓際の一番後ろの席へと向かう。遠目から見ても、そこに赤時あかときが座っているのがわかったのだ。


「そこに座って」


 俺と目が合うなり隣の席を手で指示してきたので、横並びで腰かける。野間のまを同席させるのを拒んでいたから、もっとひっそりと話をするつもりなのかと思っていた。ゆえに意外とにぎやかな情報実習室を対話の場所に指定してきたのは謎だ。


「誰もいない小部屋より、これくらいざわついている大部屋の片隅で話をしていたほうが案外、秘密は漏れないものだよ。前にいるパソコン部の人たちは、こっちに全然関心を示さないし。後これはついでだけど、彼氏から他の男と二人きりになるのは避けてほしいって言われてるからさ」

「むしろ最後のが重要なんじゃないのか」


 俺の突っ込みは無視されて、赤時は無言でパソコンを操作する。こちらから口を開こうにも、何と切り出してよいのかがわからず気まずい時間が流れる中、彼女は先ほどの情報の授業中に映していたテキストファイルを開いた。


「前振りは無意味だから、すぐ本題に入ろう。私がさっき、授業中に書いていたこのレポートは、あおい先生への報告書。入れ替わりの過程を通して、クラスの人間関係がどう変化したのかをまとめてる」

「何で、赤時がそんな作業をしているんだ?」


 すぐに質問を投げかけると、彼女は表情を変えずにパソコン画面を眺めたまま言葉を紡ぐ。


「私は入れ替わりの被験者には選ばれなかったから。並木は覚えてる? 蒼先生が入れ替わりの薬を皆に飲ませたとき、私だけ隣の席の人と入れ替わらなかったことを」

「そういえばそうだったな」


 入れ替わりでクラス中が混乱に陥る中、赤時だけが淡々と入れ替わっていない旨を表明したのを思い出す。その理由は彼氏持ちだからという、何とも理不尽なものだった。


「もちろん、蒼先生はうちのクラスの誰が彼氏持ち、彼女持ちかまで事前に把握していたわけじゃないから、私が入れ替わり対象外であったことは偶然。でも、それを理由に蒼先生がしてきた提案は偶然じゃなかった」

「どういうことだ?」


 回りくどい言い回しに若干の苛立ちを覚えつつ問い返すと、彼女はふうっと軽く息を吐く。


「蒼先生は、あの日すぐに私が入れ替わり対象外だと気づいた。それで私に提案をしてきたんだ。入れ替わりの起きた日から、1-Aの皆の様子を観察して記録してくれないかって」

「なんで赤時はそんな面倒な提案を受けたんだ? 元々知り合いというわけじゃないんだろう」


 彼女のペースで話させていたら、本題に行くまで時間がかかりそうだ。率直に問いを投げ掛けた。


「もちろん、蒼先生とはあの日が初対面だよ。でも、先生は私に言ったんだ。『あなたとは初対面な気がしません』って。私は人間観察が好きなんだけど、人を客観的に見るくせがあるのが蒼先生と似ているんじゃないかっていう話だった」

「はあ」


 漁火いさりびの人間観察が好き、というのは研究対象として、ということだろう。要するに実験物扱いだ。そんな漁火に同族認定されている赤時とは極力関わりたくない。とはいえ、自称似た者同士の彼女らの行いを質すまでは、問いかけをやめることはできない。


「ともかく、クラスメイトたちの言動を観察して記録することは、私にとって苦ではなかった。ただ、それを整理して蒼先生と共有するだけ。蒼先生は私の報告によって、このクラスに干渉することはないって言っていたから別にいいかなって」


 はしないかもしれないが、がっつりはしているだろう。思わず心の中で突っ込みを入れてしまった。結局赤時がいま現在も漁火と繋がっている以上、俺たち1-Aのメンバーが彼女の研究対象のままでいることに変わりはない。


「なんで、漁火と赤時はそんなに俺たちのクラスにこだわるんだ? そうすることがプライバシーの侵害になるとは思わなかったのか? さっき文章が少し見えたが、誰と誰が付き合っているとか、かなり踏み込んだ話を書いていただろう。勝手にそんなことをされていい気分はしない」

「こそこそやっていることが知れればそうだろうね。でも、別に人間観察なんて誰でもやっていることでしょ。クラスで誰と誰が付き合ったとか、噂レベルで聞いて本人に確かめたり、傍観したり。それが自分にとって耳寄りな情報だったら、友だちとか家族に報告するかもしれない。私がやっているのはそのレベルのことだよ。この情報を外部に拡散したり、誰かを脅す材料に使ったりするつもりはない」


 無表情の赤時から真意をくみ取るのは容易ではない。だが、少なくともこの件に関して罪悪感を感じているようなそぶりは一切見受けられない。本当に悪いと思っていないのだろう。言われてみれば自然と耳に入ってくるクラスの噂話を書き留める行為自体は、そこまで悪いことでもないのかもしれないという気がしてきた。

 それでも、解せない点は残る。


「俺からすると、赤時から漁火に報告している時点で『外部に拡散している』んだよ。何の断りもなしに入れ替わりなんていう、ふざけた効果のある薬を飲ませた奴を俺は信用できない。赤時には他に情報を漏らさないと言っていたが、何かの研究に利用されたり、また俺たちを対象に実験を目論んだりしている可能性を否定できるのか?」

「蒼先生が情報を漏らすことはないよ。だってあの人は、生粋の研究者肌だから。良くも悪くもね。研究者にとって、研究対象の情報の保護は基本中の基本。並木の言う通り今後の実験に今回の成果を活かすことはあるかもしれないけど、その時には私が報告している情報は抽象化されているよ。私が事細かにレポートにしているのは趣味の一環でもあるからね。蒼先生がそのまま情報を使うとは思えない」


 漁火が研究者肌であるという点は否定しがたいので、小さく唸った。それでも赤時が自分の趣味で細かすぎる人間観察レポートを漁火に送っているのは生理的嫌悪感を覚える。俺がそう主張したところで、赤時はそう思わないと返してくるだけだろうから、結局話は平行線になりそうだ。であれば、もっと生産的な質問をした方がいい。


「さっき、赤時は自分がやっていることがクラスメイトに知られたらいい気分はしないだろうと認めたよな。だが一方で、俺には事情を話してもいいとも言った。この二つは矛盾しないか? 俺にレポートの存在がばれたからという考え方もあるが、思えばさっきの情報の授業、お前は俺にわざとあの文章を見せたようにもとれた。なんで漁火に否定的な俺に、この話をしようと思ったんだ?」

「理由は二つある」


 赤時はパソコンから目を話し、こちらに身体ごと向き直った。


「一つ目はさっきも言った通り、蒼先生から許可が下りているから。並木が蒼先生に対してネガティブなのは明らかだったから、そのうち入れ替わりが起きなかった私に矛先が向くんじゃないかと思ってたんだ。だからあらかじめ蒼先生に、問い詰められたら白状してもいいかって確認済み。結果的に入れ替わり中に並木から声をかけられることはなかったけどね」

「それどころじゃなかったからな。お前と違って」


 入れ替わりがなかった奴はのんきなことだ。薬を飲まされていない他クラスの人と比べるのはナンセンスなので考えてすらいなかったが、同じクラスであれの影響を受けていないやつが眼前にいるというのはやはり理不尽に思えてならない。

 言われてみれば、漁火の入れ替わりの目的を探るために、赤時を調べるという手はありえた。しかし俺たち――俺と七海ななみ――は自身の入れ替わりのことも考えねばならず、そこまで頭が回っていなかった。俺たちは入れ替わりペアの中でもそこまで障害が大きくなかったと思っているが、思考は制限されていたらしい。

 むっとしている俺の様子に構うことなく、赤時は言葉を続けた。


「二つ目は個人的な理由から。他の入れ替わりペアの顛末は、大体見聞きしている情報から明らかになっている。でも並木たちはわからない。特に並木が何を考えているのかが知りたかったんだ」

「今までの話の流れで、俺が情報を渡すと思ったのか?」


 声のトーンが女子相手にあるまじき低さになってしまったが、やはり赤時は全く動じる様子をみせない。


「入れ替わりで、隣の席の異性と関係性が大きく変わったペアは何組もいる。並木と七海もそのうちの一組だ。だがあと一歩がなかなか踏み出せていない。思い立ったら即行動するタイプの七海が踏み出せないというのは相当なことだ。理由は簡単。踏み出したい相手である並木が、何を考えているのかがわからないから。あれだけ並木と一緒にいる彼女でさえそうなんだ。遠目で観察しているだけの私に理解するのは難しくてね。七海と付き合いたいとは思わないの?」

「お前に答える筋合いはない」


 俺はキャスター付きの椅子から勢いよく立ち上がった。そのまま椅子は前のほうへと動いていくが、気にせずに荷物を抱え赤時を睨みつける。やはり彼女とは思考回路が違いすぎる。まったく理解できる気がしない。このままだと話にならないどころか、彼女のペースに飲まれそうで不愉快だ。ならばさっさと退却するに限る。


「ひとつだけ忠告しておくよ。思わせぶりな態度で女子を待たせる男は罪だ。逃げてばかりじゃ、何もいいことはない。お互いにね」

「俺が、逃げている?」


 完全に背中を向けて、もう会話をすまいと決意した矢先に更に油を注がれて、俺は振り返った。赤時は相変わらず表情の読めない顔で俺としっかり目を合わせている。


「並木がどういうつもりだろうと私には関係ない。でも、態度をはっきりさせないと七海が可哀想だ。これはいち彼氏持ちの女子の意見だから、それなりに説得力はあると思うよ」


 赤時が何を言いたいのかさっぱりわからない。己にはそう言い聞かせているのに、彼女の言葉は胸の奥にずしりと刺さった。痛いところを突かれた気がするが、それを認めたら色々と終わりな気がする。

 結局俺は彼女を睨みつけるなり、捨て台詞を吐くなりする余裕もないまま情報実習室を後にした。

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