29、うちにいてもいいんだぞ

 クッキーの生地を延ばして冷蔵庫に入れて、七海ななみは大きく伸びをする。


「今日できるのはここまでかな。焼くのはこちらでやって、完成品は学校に持っていくよ」

「わかった。ありがとう」


 もう、完全に「クッキーを食べに来た」ではなく「クッキーを作りに来た」状態になっているが最早そこに突っ込みを入れる気にはならない。俺たちは手を洗って、ダイニングテーブルに並んで座った。七海の向かいにはほたるさんが座っている。


 付き合うという行為への感覚について問いかけてきて以降、彼は黙って俺たちが調理している様子を観察しているようだった。正直なところ、最初は尻切れトンボに終わった会話も相まって少々居心地が悪かったが、途中から彼の存在を気にせず作業に集中することができた。今も席につこうとダイニングテーブルのほうを見やってようやく、彼のことを思い出したくらいだった。


「蛍兄さん、部屋に戻らないの」


 若干不機嫌そうな――いつも楽しそうな彼女ばかり見ていたから、この雰囲気は新鮮だ――七海に対し、蛍さんはさわやかな笑みを返す。


「もう少し、大河たいがくんと話をしてみたくてね。ゆきはいつも学校で顔を合わせているんだろう? でも僕はこういう機会でもない限り、彼と話すことはできないから」

「別にいいじゃん。私が誰と仲良くしても。今まで私の友だちに対して干渉してきたことなかったのに、どういうつもり?」

「干渉するつもりは一切ないよ。ただ、ゆきが友だちを家に連れてくるのは初めてじゃないか。しかも男の子だからね。だからどんな人なのか、興味を持ったんだよ」


 顔をしかめた七海は、横目でこちらを見やる。


「大河。嫌だったら無視していいからね。私の部屋で駄弁ってもいいし」

「それは駄目だろう」


 俺の家で、俺の部屋に七海が来ることはあったが、その逆は無かった。いくら家族の目があるとはいえ、女子の部屋に男が入るのは抵抗があったからだ。俺の回答を受けてか、蛍さんが笑みを深くする。


「兄さん、また姉さんのことをいじめてるの?」


 トントントン、という小刻みなテンポを刻んで心之介しんのすけが降りてきた。振り向いた蛍さんは「心外だな」と爽やかに返す。


「心之介だって、ゆきの友だちがどんな人なのか気になっているんじゃないか。いつも夕食のとき、ゆきに尋ねているじゃないか。『今日は大河とどんな話をしたんだ』って」

「俺、そんなに七海家で話題になってるのか?」


 他人の家で毎日のように話題に上っているというのは、かなり微妙な気分だ。しかも質問をぶつけているのが心之介となると、俺の粗探しをしているんじゃないかという気がするのでなおさらだ。七海を見やると彼女は表情を変えずに口を開く。


「世間話の範囲内だよ」

「ならまあ、いいか」

「とにかく」


 蛍さんの真横まで来た心之介は、俺の正面の椅子に座る。


「大河の話は姉さんから聞いてるから別にいいよ。でもこの場を兄さんに任せていたら、姉さんをいじめるかもしれないだろう。だから僕もここにいる」


(心之介がシスコンなのは相変わらずか)


 俺は心の中で嘆息しつつ、相対する二人のきょうだいを見やった。いつもの勉強会のようなノリで、気楽に七海の家に来たはずなのにまさか面談まがいのことをさせられるとは。七海は嫌だったら無視してもいいと言っていたが、ここで蛍さんと向き合うのを拒んだら二度と、七海家の敷居がくぐれない気がした。


(それは、ちょっと嫌だな)


 己の中でそんな感想が出てくることに驚く。七海との勉強会は彼女に提案されて仕方なく、続けていることだったはずだ。もちろん俺にも教えあうことで理解が深まるという利点はあったが、そのうち自然消滅するものだと思っていた。

 いや、まだ自然消滅の可能性は残っている。七海に彼氏ができたらこんなことはできなくなるだろうし、そもそも俺と七海の仲が疎遠になったら学校外で会う努力はしないだろう。そう考えると俺たちの関係は、薄氷の上で成り立っているのだと感じされられる。


 長い沈黙をものともせずに、蛍さんは微笑みを浮かべて、心之介はやや不機嫌そうな表情で、俺の様子を伺っている。俺と話したいと言って座っている割にはほったらかしな対応だが、これもまた蛍さんが俺を知るために必要だと考えての行動なのではないかと思うと尻の座りが悪い。結局、黙っているのはよしてこちらから口を開くことにした。


「蛍さんは俺のことを知りたいと言っていましたが、具体的に何を知りたいんですか?」

「そうだね。一番気になるのは、ゆきとの相性、かな?」

「相性?」


 また結婚うんぬんの話を持ち出されるのではないかと思い身構えると、心之介が俺に向ける視線が鋭くなった。それで、蛍さんが言わんとしていることを察する。


「ゆきは小さいころから男まさりな性格だったんだ。その割に異性の友だちが少なくてね。並木くんはそんなゆきが連れてきた、初めての異性の友だちだ。もちろん入れ替わりという、特殊な状況下に身を置かれたがゆえの対応だったことは理解しているよ。でも、解消後も引き続き仲良くしてくれている君は、ゆきとはかなり相性がいいんじゃないかと思ってね。ゆきにとって相性のいい男子は貴重だから。ゆきの話を聞いて、君たち二人の会話を見た限りはその推測は外れていないと思ったのだけれど、大河くん自身はどう思っているのかな」


 やはりそうか。俺は心之介に「七海を女として見ていないのは嫌だ」と言われたことを思い出す。蛍さんの表現はもっとマイルドだが、彼が本当に聞きたいのは「友人としての相性」ではなく「異性としての相性」なのだろう。しかしここで異性としては興味がないと言うのが正解だとは思えない。だからあえて、論点をずらした回答をすることにした。


「確かに、七海は女子の中では話が合うほうだと思います。会話が途切れて不安ということもないですし、気は楽ですね」

「なるほど。ゆきは?」

「大河と同じだよ。大河とは話が合う。一緒にいて楽しい。それだけだ」


 いつも以上にぶっきらぼうな七海の答えに、蛍さんは笑みを深くする。


「ならいいね。大河くんはずっとうちにいてもいいんだよ。ゆきと仲良くしてくれて嬉しいし、これからも仲良くしてくれるともっと嬉しいからね。当然僕も心之介も、今はいないけどいさおも歓迎するよ」

「はあ」


 意図がつかみかねず、俺は曖昧な返事をしてしまった。女子の家族から、うちにいてもいいと言われてしまうと、同棲を認められたかのような錯覚に陥ってしまう。むろん俺にそんなつもりはないし、七海とていきなり兄にそんなことを言われたら困るだろう。


「蛍兄さん。大河をいじめるのはやめなよ。私は今のままで満足しているんだから。余計なことを言わないで」


 案の定、七海は厳しい口調で兄に迫る。蛍さんは大してこたえた様子もなく、首をすくめてみせた。


「もちろん、今のは僕の私見を述べただけだよ。決めるのは大河くんだ。ただ僕たちが大河のことをどう思っているのかを知っておいてほしかったんだ」

「だったら『話がしたい』じゃなくて、『話を聞いてほしい』じゃないの?」


 なおも食って掛かる七海に対しては、微笑みを浮かべたまま返事をしない。見えない火花を散らす彼らから視線を逸らすと、その横で厳しい表情をしている心之介と目が合う。


(この前僕が言ったこと、忘れてないよね)


 心之介の瞳はそう語っている気がした。


 なぜ、俺の周りの人たちは皆七海を女子としてみろとか、もっと親しくなれとかけしかけてくるのか。どうせ高校生の間だけの関係だというのに。そう憤る一方で、俺自身が虎門に対して似たようなことをけしかけたのを思い出す。もっとも、俺がしたのは高嶺とより会話ができるようになることを願っての行動だったが、導き出される結果は近しいものになるような気がした。


(結局、俺がしたことは自分に跳ね返ってくるというわけか)


 話は終わったとでもいう風に立ち上がる蛍さんの背中を見ながら、俺は七海との関係をどうするべきか頭を巡らせるのだった。

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