30、この変化は悪いものではないな
「おはよう。大河」
「おはよう」
登校するなり俺の席へとやってきた七海は、透明な小袋にラッピングされたクッキーを差し出してくる。いずれも二重の丸をえがいた形で、中心円にはピンク、緑、黄色の三種類がある。
「さっそく食べてみようじゃないか」
隣で七海が開封するのを見て、俺も黄色のクッキーを取り出し口に運ぶ。ほんのりかぼちゃの風味がして、甘すぎず飽きがこない。
「美味いな」
「よかった。砂糖を少し控えめにしたが、充分な甘さになったね」
「ああ。これくらいのほうが食べやすい」
俺がゆっくりと咀嚼していると、後ろから短髪頭がにょきっと飛び出してきた。
「それ、七海ちゃんの手作り? オレの分はないのか?」
「これは私と大河の二人で作ったんだ。残念ながら野間の分は用意していない」
「なーんだ。残念」
もう少しごねるなりからかうなりするのではないかと身構えていたが、野間はあっさり身を引いた。少しほっとした己の感情に戸惑っていると、彼は聞えよがしに言葉を放つ。
「なんかさ、このクラス、最近リア充増えたよな」
「どういう意味だ」
とっさに振り返り出た言葉は思いの外冷たかった。手を頭の後ろで組み椅子にもたれかかっていた野間は、俺の顔を見据えると目を細めた。
「見たままの意味だよ。入学した頃に比べて、男女で話している人が明らかに増えただろ?」
「男女で話していることが、イコールリア充ではないだろう」
俺の反論に、野間はにっと口角を上げる。七海もよくやる表情だが、彼がやると三枚目感が強いのは何故なのだろう。基本的に顔の造形が違うからか。だとすると逆説的に、七海の顔は整っているといえるだろう。
「逆に聞くけど、大河は自分がリア充だっていう自覚はないのか?」
「別に。俺は普通に生活しているだけだ」
「本当にそうか? 週に何回かは女子と一緒に帰って、女子の家で一緒に勉強をする。で、最近では一緒に料理をするようになった。こんな男子が近くにいたら、リア充だと思うぜ」
野間が口にした各場面を想像して、俺は姉さんたちが読んでいた少女漫画を思い出す。どれも漫画に出てきそうな、よくあるシチュエーションだ。つまりリア充ということだろう。
「そうかもな」
「今オレが言ったのは、全部大河の話だからな」
「……」
思いがけない指摘を受けて、言葉に詰まる。全部少女漫画的シチュエーションだとして捉えていたからピンとこなかったが、言われてみれば俺と七海の行動はリア充と呼称されるに値する。少女漫画との最大の違いは、それらの行動を起こしている俺たちの感情なわけだが、感情は外から見てもわからない。よほど仲の良い友人でもない限り、正しく理解するのは難しいだろう。
「俺が野間から見てリア充なのはわかったが、そういうお前はどうなんだ? まさかリア充が増えたっていうのは、俺だけを見て言っているわけではないんだろう」
野間の言い分に納得はしたがどうも言いくるめられたような気分が拭えない。それを解消するべく言葉を返すと、彼は大きく頷いた。
「まあな。オレの目には、大河たちを含めて五組以上、リア充が増えていると思う。もちろんそこにはオレも含まれる」
「自分を母数に含んでいるのか」
「当たり前だろ。主語をこのクラスにするんだったら、その中にオレも含まれるんだから」
俺の口調に呆れた雰囲気が混ざっているのに気づいているのか否か、野間の言葉は堂々としている。正直なところ、彼がリア充だろうとそうでなかろうと知ったことではないが、少なくとも本人は己がリア充だと思っているらしい。
「大河、それくらいにしてやってくれ。月乃が茹だってしまう」
今まで黙っていた七海がふいに口を挟んでくる。どういうことかと思い視線を少し横にずらすと、真っ赤な顔をした野口が視界におさまった。
「なんで、今の話が野口に飛び火するんだ」
本気でわからなくて問いかけると、野口はますます顔を赤くして俯いた。隣から七海が呆れたように息をつくのがわかる。
「本当に、大河は色恋沙汰には疎いんだな。話の流れからして、導き出されることはひとつだろう」
そう言われて再び、話の主体だった野間の方を見やる。彼は今まで見たことがないほど穏やかな表情で、野口に゙視線を向けていた。それでようやく、彼らが言わんとしていたことを察する。野間が言うリア充の相手は、野口だということか。彼女のリアクションからして、俺と七海を指して言うリア充とはだいぶ意味が異なりそうだが。
「そういう、ことか」
「そういうこと。ま、こうなったのも漁火先生のおかげだな」
「その言い方はちょっと気に入らない」
俺が顔をしかめると、七海がふっと笑う。
「大河は未だに、漁火先生のことを根に持っているんだな。だが先生はもういないんだ。あの人によってもたらされた状況をプラスに変えていくことが、今の私たちにできることじゃないか?」
「七海ちゃん、いいこと言うね。ともかくオレにとっては、いまのとこプラスに働いているからな。結果オーライってわけよ。大河だってそうじゃないの? 別に今の生活に不満があるわけじゃないだろう?」
漁火先生肯定派の二人を前にして、言葉に詰まる。彼らは入れ替わりが起きた当初から、この現象を自分たちの糧にしようという姿勢を見せていた。対して俺は懐疑的でありながら、七海に半ば巻きこまれる形で変化を受け入れる形になっていた。あまり望ましくはなかったはずだが、野間の問いかけに否とはっきり答えるのは難しい。
「別に漁火先生が来なかったとしても、俺の高校生活はそれなりに充実していたと思うぞ」
何とかひねり出した言葉に、野間はにやりと笑みを見せる。
「もちろん、そうかもな。でも実際に起きたことでしか結果は話せないだろう。過去は確定しているんだ。だったらその確定した過去をもとに導かれた今と、これから先が充実していることが大事だ。その意味で漁火先生がもたらした入れ替わりがきっかけで、いい方向に変化したことは疑いようがないと思うんだよな」
まんざらでもなさそうな顔の野間と、ついに顔を突っ伏してしまった野口を見ていると、少なくとも彼らがそう考えていることを否定はできないと思う。
「少なくとも、私は大河と入れ替わってよかったと思っているよ。大河はどうかな?」
更に追い打ちをかけるように、七海から直球の質問を投げ掛けられる。さすがにここでマイナスのことを言ったら七海の顔が立たない。そもそも俺は彼女との入れ替わり自体に不満をもっているわけではない。
「まあ、悪いものではなかったよ」
だからそれだけ答えると、七海と野間は満足げに頷いた。何だか二人に言わされた感が強いが、俺自身も言いくるめられているのを心の中で認めていた段階だったので致し方ないだろう。
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