28、とりあえずクッキーでも作って落ち着こうぜ

 もはや自宅並みに見慣れてきた七海ななみ家のダイニングにて、俺はキッチン方向を見やった。そこには明るいオレンジ色のエプロンをして、はかりやらボウルやらを並べている七海がいる。


「七海、おまえ今から何をする気なんだ?」

「先日言っただろう。私のうちでクッキーを食べていかないかって」

「それは聞いたが、今から作るつもりなのか?」

「そうだよ」


 何を当然のことを、という口ぶりの七海に俺は内心頭を抱える。別に七海がお菓子作りをすることに何ら異存はないが、俺もクッキーを作ったことがあるから分かる。あれは、調理を始めて数分で食べられるものではない。つまり今日俺が七海の家に来たのは、クッキーを食べるためではなくクッキーを作る七海を見るために目的が変わっている。他に予定があったわけではないので別に構わないが、釈然としないものは残る。


 そんな俺の心情に構わず、七海は楽しそうに準備を進めている。ここで本人に突っ込みを入れても野暮かと思い、当たり障りのない話題を探した。


「七海のエプロンって、もしかして手作りか?」


 顔を上げた彼女は、心なしか目が輝いて見える。


「わかるのか? そう、これは心ちゃんが家庭科の授業で縫ってくれたんだ。私くらいの身長になると、既製品のエプロンの選択肢は少なくてね。ぼやいていたら実習のお題にちょうどいいからって、誕生日に貰った」

「相変わらずシスコンだな」

「ん?」

「いやなんでもない」


 思わず口からぼやきが出てしまったが、あまりきょうだいにいうべき言葉ではないだろう。幸いにして七海には聞こえなかったようなので、そのままスルーすることにした。


「まあ任せてくれよ。クッキーなら、レシピを見なくても作れるんだ。きょうだいと一緒によく作っていたからね」


 七海はそういって、小麦粉を取り出し量りはじめる。本当に調理モードに入ってしまったらしいので、俺はどうすべきか悩んだ。じっと見ているのも正直退屈だし、見られながら調理するのも緊張するだろう。とはいえ惰性でしばらく観察してしまっていたが、彼女が材料をボウルに入れたタイミングで、声をかける。


「俺が混ぜるよ。七海はきょうだいと一緒に作っていたんだろう? だったら、ひとりでやるより複数人でやったほうがいい」

「そ、そうかもな。ありがとう」


 なぜか少し戸惑っている様子の七海の横に立ち、俺は泡立て器で具材を混ぜ合わせる。ほどなくして均一な黄色い生地ができあがっていくのを横から見て、彼女はほうと声をあげる。


大河たいが、手つきが慣れているな。もしかしてけっこう料理をしているのか?」

「まあ、七海と同じくらいなんじゃないか。きょうだいが多いと、皆で家事を分担したりするだろう? その一環で、俺も家のことは一通りできはする。できるだけで上手いとは限らないが」

「いや上手いよ。心ちゃんも器用だけど、料理は少し苦手だからね。ほたる兄さんに並ぶかもしれない」

「僕を呼んだ?」


 突然軽やかな高い声が聞こえて、とっさに顔を上げる。いつからそこにいたのか、ダイニングテーブルの角の椅子に腰かける短髪で長身の男性がこちらを見ていた。七海の家に来るようになってから二回くらいしか顔を合わせていないが、七海の兄で四人きょうだいの最年長、蛍さんだ。


「蛍兄さん、いつ帰ってきたの」

「ゆきが大河くんの手際を見ているときだよ。普通に帰ってきたつもりだったから二人とも気付くと思ったんだけど。それだけ集中していたんだね」


 七海にそっくりなこげ茶色の瞳を細めて、蛍さんは微笑みを浮かべる。


「それにしても、ゆきがクッキーを作るなんて珍しいじゃないか。どういう風の吹き回しかな?」

「そうなのか?」


 確かに、きょうだいとよく作っていたとは言っていたが、「作っていた」は過去形だ。俺が七海を見やると、彼女は軽く蛍さんのことを睨みつけていた。


「確かに久しぶりだけど、大河に聞かせる必要はないでしょ」

「おや、失言だったかな」


 蛍さんの表情は変わらず、感情が読めない。彼はしばらく七海と見えない火花を散らしたのちに、俺のほうへと向き直った。


「大河くんは知っていてもいいと思うけどな。ゆきはね、きょうだいでクッキーを焼いて、後日みんなで食べるのが好きだったんだ。ほら、僕たちは四人きょうだいだけど、ゆきだけ女子だろう? だから歳を重ねるごとに一緒に遊ぶ機会が減っていって、寂しかったんじゃないかな。僕たちにとってもゆきとクッキーを作ることは、きょうだいの仲を確認する行為でもあったんだ」

「兄さん」

「だから、ゆきが一緒にクッキーを作ろうとしているっていうことは、大河くんのことも身内と見做しているんだと思うよ。僕としてはちょっと寂しいけれど、これもゆきが成長したっていうことなのかな」


 それまで蛍さんに対して圧をかけていた七海が黙ったので、再度彼女の様子をうかがう。彼女の頬は、心なしかほんのり赤く染まっていた。俺は何と声をかけていいのかわからず、そのままでいると彼女はゆっくりと口を開いた。


「兄さんは何が言いたいの」

「いや、ゆきが成長して嬉しさと寂しさが同居しているだけだよ。あとしいて言うなら、大河くんはいい旦那さんになりそうだなって思ったかな」

「旦那?」


 おうむ返しに問い返すと、蛍さんは小さく頷く。


「二人の話はゆき本人からも心之介しんのすけからも聞いていたけれど、今日一緒にいるのを見てね、すごくしっくりきたんだ。だから思わずそう思っちゃったんだ。失礼だったら謝るよ」

「かなり失礼だよ。大河は彼女を作るつもりはないと言っているんだから」

「『彼女は』っていうことは、夫婦関係は否定していないんだね。だったら問題はないかな。どうかな、大河くん」


 俺そっちぬけでぴりぴりとした会話をするきょうだいに居心地の悪さを感じていたが、蛍さんは俺に話を振ってきた。鋭い視線を向けてくる七海と、真逆の雰囲気を醸し出している蛍さん。正直何と答えるのが正解なのかさっぱりわからないので、思っていることを正直に答えることにした。


「まあ、結婚はいつかしてもいいかなと思います。俺としてはどうせ別れるのに付き合うという発想が理解できないというだけなので」

「つまり、結婚を前提にしたお付き合いならいい、ということかな」

「そうなりますね」


 かなり素直に答えた結果、蛍さんは満足そうに頷き、七海は目を瞬かせていた。今の回答でよかったのか、非常に判断が難しい。

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