19、高嶺にはもっと前向きになってもらいたい

「で、どういうつもりだったんだ。さっきの音読」


 虎門こもんと帰るのは久しぶりだ。七海ななみには先に帰ってもらい、肩を並べて歩く。元々彼は口数が多いほうではない。しばらくの沈黙ののち、発したのはひとことだけだった。


高嶺たかみねのためだ」


「それはそうだろう。だが、虎門は目立ちたくないんだろう。さっきも言ったが、あんなことをしたらお前の存在もかなり印象に残るぞ」


 もう一度、真意をただすべく問いかける。虎門はちらりとこちらを見やり、表情を変えずに口を開く。


「おれが目立ちたくないことと、高嶺が思うように声を出せなかったことに相関性はない。せっかく、声を出しても好奇の目にさらされないと本人が理解したんだ。この身体は高嶺のものだから、彼女が元の身体に戻ったときに生きやすいようになっていたほうがいいだろう」


「お膳立て、ってことか」


 俺の言葉に虎門は頷く。


「いくら自分の声が好奇の目にさらされることはないと頭では理解しても、身体がついてくるかはまた別の話だ。だったら入れ替わっているいまのうちに、おれが行動を起こしたほうがいいと思ったんだ。おれが高嶺の声の良さをクラスに広めることができれば、彼女はもう少し生きやすくなるんじゃないかって」


「そうか」


 頷きつつも、俺は納得しかねていた。虎門が言いたいことは理解できる。高嶺自身が変わるのにはかなりの努力が必要だ。反面、別人である虎門ならば過去のトラウマやしがらみにとらわれることなく、動くことができる。“入れ替わり後に生きやすくするためのお膳立て”が有効に働く可能性が高い。

 しかし、それをやっているのが虎門というのが謎だ。目立ちたくない、女子と関わりたくないというポリシーの彼にとって、さきほどの音読は両方に反する行為だろう。そうまでして高嶺のためを思えるのは何故なのかが理解できない。


「虎門、お前そこまで利他的になったのはなんでだ?」


 なぜ高嶺のためにそこまでできるのか、と問いたかったがそう聞くと何だか高嶺を貶める表現になる気がして、抽象的な質問になってしまった。しかし、いわんとすることは伝わったらしい。虎門は視線を前に向けて、小さく息をつく。


「入れ替わりについて、高嶺はおれのせいじゃないし、おれと入れ替わってむしろありがたかったと言うんだ。おれは無口なほうだから、目立ちたくないっていう思惑で一致できるからってな。でも、本音でどう思っているかはわからん」


「だろうな」


「だからせめて、おれと入れ替わったことが原因で嫌な思いはしてほしくないんだ。大河はおれが女子と関わりたくない理由、知っているだろう?」


「ああ」


 そこまで聞いて合点がいく。虎門が女子を避けるようになったのは、以前虎門と親しくしていた女子が嫌な思いをしてからだ。彼のふるまいをみていると、女子嫌いなんじゃないかと推測しそうになるが違う。むしろ女子たちのことをひとりの人間として大切にしている。だからこそ、自分と関わって不快な思いをする女子が現れることをよしとしないのだ。

 そのように考えると、高嶺に協力的な彼の姿勢も腑に落ちる。入れ替わってしまった以上、彼女と全く関わらずに生活するのは不可能だ。ならば、せめて彼女が嫌な思いをしないように最大限の配慮をする。それが虎門のやり方というわけだ。


「数日前、高嶺に相談されたんだ。入れ替わりが元に戻ったあと、自分はうまくクラスメイトたちとの会話に溶け込めるだろうかって。今でこそ俺の声だから支障なく話せているが、いざ自分の声に戻ったらまた話せなくなるんじゃないかってな」


「それは、高嶺次第としか言えないんじゃないのか」


 トラウマを克服できたか自信がもてないという悩みはわからなくもない。しかし、それは己で解決しなければならない問題だ。虎門に相談したところでどうにかなる話ではないだろう。しかし虎門は首を横に振る。


「普段だったら大河たいがの言う通りだ。だが今は違う。高嶺の声を持っているおれの行動如何で、入れ替わり解消後の高嶺の生きやすさが変わってくるはずだ。だからおれにできることで、高嶺の声にクラスメイトが手っ取り早く慣れる方法を考える」


「その結果が、音読だったってことか」


「ああ。野間のまにも言ったが、俺は音読に慣れている。高嶺の声でやったら声を印象付けられるし、きっと野間あたりが上手く褒めていい雰囲気にしてくれると思った。クラス全体で“高嶺の声はいい声”だという合意形成ができたら、変な噂は生まれようがない。皆が同じように高嶺の声を聞いているのだから、根も葉もない話をしづらい環境になったはずだ」


「なるほどな」


「まあ、第一は、俺と入れ替わったことで高嶺に嫌な思いをしてほしくないっていうところだがな。元々あった考えと高嶺の相談があって、音読を実行するに至った」


 色々と合点がいって、俺は頷く。虎門の行動理由はよくわかった。だとしてもやはり普段の彼から考えるとだいぶ利他的な行動な気はする。高嶺と強制的に話さざるを得ない環境になったことで、彼の考え方が少し変わったのかもしれない。


「嫌な思いをしてほしくない、か」


 翻って、俺自身のことに置き換え咀嚼する。俺とて、入れ替わり相手である七海ななみに、俺と入れ替わったことで嫌な思いはしてほしくないと思う。しかし虎門ほど優しくない俺は七海のために何かした覚えがない。


(七海は、俺と入れ替わって嫌じゃないんだろうか)


 入れ替わった当初から、七海はこの状況を楽しんでいるようだった。しかし、「入れ替わりというシチュエーションを面白がる」のと「自分が入れ替わったことを楽しむ」のは似ているようで違う。七海の楽しみ方は前者のように見受けられた。だとすると、彼女は己の入れ替わりに関しては窮屈に感じている可能性がある。


(その辺、一応確認しておいたほうがいいか。あと二週間弱とはいえ、居心地の悪いままでいるのはよくないからな)


「大河?」


 虎門に声をかけられて我に返る。彼の言葉をきっかけに考え事をしてしまっていた。


「悪い。ちょっと自省していたところだ。俺ももう少し、七海のことを思いやったほうがよかったのかもしれないとな」

「大河と七海は上手くやっているように見えるぞ。あまり気にしすぎることもないんじゃないか」

「それでも、だ。確かに七海は高嶺のようなトラウマを持っているようには見えないが、かといって何も悩みがないってわけでもないだろう。虎門ほど親身になって何かしてやれることはないかもしれない。だが、入れ替わりが起きている以上、多少なりともあいつのためにできることがあれば協力するのが筋じゃないかと思った。虎門の話を聞いて初めて思い至ったんだ」


 思いつく言葉を並べると、虎門は表情を変えずに淡々と言葉を紡ぐ。


「別に、おれは自分がやりたくてやっているだけだ。大河が無理して同じようなことをする必要はない」

「同じことをするわけじゃない。そもそも高嶺と七海はタイプが全然違うからな。ただ、もう少し七海の話をちゃんと聞こうという気になっただけだ。高嶺を中学時代の同級生に合わせたくだりとか、七海は基本的に俺に協力的だろう。ならば俺も七海に協力的であるべきなんじゃないかってな」


 今考えたことを口にすると、本当にそれをやるべきなんじゃないかという気がしてきた。虎門はふうんと小さく呟く。


「大河がそう思うなら、そうすればいいんじゃないか」

「ああ。さっそく帰ったら七海に聞いてみる」

「そう言えばお前ら、同居しているんだったな」


 虎門は立ち止まり、手をあげる。


「じゃあ俺はこっちだから。またな」

「また明日」


 俺も手を上げて応えつつ、駅に向かって歩き出す。帰宅して七海に話を聞かなければと思いながら。

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