18、おれの美声を聞け

 入れ替わりという特異な事象が起きた割には何事もなく、日々が過ぎていく。二週間ちょっとも経つと人間は慣れるものだ。先日の野間のま野口のぐちのように、身体能力の違いによるトラブルがあったり、十分間の入れ替わりの間に入浴が終わらなくて裸体を目の当たりにしかけたりする(とっさに目を瞑って未遂に終わった模様だ)ペアもあったようだが、他に男子同士の雑談で問題が起きたというのは聞いていない。

 ただ、虎門こもん高嶺たかみねのように傍目にはわかりづらい不便さを感じているペアはいるかもしれない。俺は虎門以上に親しい友人はいないので、あまり突っ込んだ話は知らないが。


 ともあれ、先生方も段々慣れてきたようで、今では目を合わせる相手と話しかける相手を間違えずに声をかけてくる。いくら姿が違うとはいえ、呼び間違えられるのは地味にストレスだ。それがなくなってきたのはありがたい。


 午後いちの授業は、毎回のように先生からの指名が入る現代文だ。大体の場合、まずは今回新しく読む部分を誰かが朗読して、その部分についての文章解説を先生がしていくという流れになっている。

 正直後半部分は延々と話を聞くだけなので、眠くなる授業筆頭候補だ。音読パートを前半と後半一回ずつ入れればいいのにとも思うが、そうなると指名される確率が上がるので提案するのも面倒だ。

 というわけで、指名されないように目線を黒板に向けて――先生を見つめたり、逆に極端に目をそらしたりするのは良くないと経験で学んでいる――いると、少し離れた席から聞きなれた声がする。


「先生」

「何ですか、竹内たけうち君」


 声の主は虎門だ。彼はすっくと立ちあがると、先生の目を見て口を開く。


「今日の朗読、おれがやってもいいですか」

「自発的に、ですか。もちろんいいですよ。では、教科書の二十三ページからお願いします」

「わかりました」


 俺は目を瞬かせる。目立つことを好まない虎門の性格からすると、今の行動は考えられない。どうした風の吹き回しか。


「竹内とはな、何だか面白いことになっていそうじゃないか」


 隣から七海ななみがささやきかけてくる。俺は小さく頷いた。確かに、高嶺が絡んでいると考えた方が自然だ。とはいえ高嶺も虎門と同様、目立ちたくない性格だったはず。


(いや、目立ちたくないんじゃなくて、声を聞かれたくない、だったか。だが彼女の考えは先日の一件で見直されている)


 中学校の同級生を交えた対話の後、高嶺はほんの少しだけ、以前より教室内で会話する姿が増えたように思う。だが、あくまで「少し」だ。まだクラスの男子たちの間では「滅多に声が聞けない高嶺之花」というイメージが根強い。日頃、虎門と高嶺と一緒に昼食をとる俺とは違い、まだ高嶺の声をきちんと聞いたことがない人が多いだろう。


(つまり、虎門は高嶺の声をクラスメイトに聴かせたい、ってことか?)


 俺がそこまで思い至った時、席について教科書を机に立てた虎門が、背筋を伸ばして声を張った。教室にざわめきが起きる。


「虎門音読うまくね? 抑揚が聞きやすいっていうか、いい声だし」

「声は、華ちゃんのものだよ」

「あ、そうか。高嶺ちゃんってこんなにイケボだったんだな。初めてちゃんと聞いたかも」


 後ろから野間と野口の会話が聞こえてくる。他のクラスメイトたちも、近くの席の人と言葉を交わしつつ、虎門の音読に耳を傾けている。適度なイントネーションに遅すぎないスピード、落ち着いた声色。それでいて眠くならない声の張り。これほど聞き心地のよい音読は聞いたことがない。


 しばらくの間、朗々と音読を続けていた虎門が教科書を机に置く。と同時に、後ろから野間が大きく手を叩く音が聞こえてきた。


「音読上手いな、虎門!」

「聞きやすかった、です」


 野間と野口の言葉に振り返った虎門は、軽く頷いてみせる。教室の拍手がより大きくなった。


 虎門の音読のおかげで、今日は眠くならずに最後まで現代文の授業を受けることができた。それはクラスの皆も同じだったらしく、すごいものを聞いたという興奮が教室を包んでいる。


 終業後、俺は席を立ち虎門のもとへと向かう。ある程度予想はついたとはいえ、彼がなぜいきなりあんなことをしたのか、本人の口から確かめたかった。しかし声をかけたのは野間のほうが早かった。


「虎門、音読すごかったぞ。オレちょっと感動しちゃったよ」

「ありがとう。いとこによく読み聞かせをしてやってたから、音読には慣れているんだ」


 表情を変えず淡々と答える虎門に、野間が身を乗り出す。


「声は高嶺ちゃんなんだろ? 今のオレも野口ちゃんの声なわけだし。てことはさ、虎門の喋りの技術と、高嶺ちゃんの声が合わさったからできたってわけだ」

「そうだな。おれの地声じゃここまで上手くはいかなかっただろう。高嶺はいい声をしている。それをみんなに知ってもらいたいと思ったんだ」


 概ね予想通りの虎門の答えに、俺は心の中で唸る。目立つことを嫌い、とりわけ女子と関わることをよしとしなかった虎門が、高嶺のためにそこまでするとは。俺の知らない間に、高嶺と何かあったのかもしれない。

 そんなことを考えている横で、野間は大きく頷いている。野口の姿でそれをされると、小動物のようだ。


「高嶺ちゃん、見た目も良くて声もいいとか、パーフェクトじゃん。声が滅多に聞けない神秘的な高嶺ちゃんもありだけど、清楚系お嬢様な見た目かつイケボで喋る高嶺ちゃん最高だよ」

「今は中身はおれだけどな」

「だとしてもさ、声が聞けて良かった。あと虎門の知らなかった才能も知れたし。今日の授業は収穫が多かったわ」


 ふふんと胸を張って席に戻る野間は、野口の身体の使い方を覚えてきたのかもしれない。野間本人がやったら絶対に腹が立つポーズなのだが、野口の身体でされると可愛らしいと思ってしまうから、小柄巨乳のプロポーションは罪だ。


「虎門、無理していないか」


 嵐のような野間が去って、ようやく虎門に話しかけることができる。彼は間髪を入れずに頷く。


「問題ない。今の行動で目立ったのは高嶺であって、おれじゃない。じきに入れ替わりはもとに戻る。そのとき他の人たちの記憶に残るのはいい声で音読をする高嶺の姿だ。中身が俺だったなんてことはすぐ忘れるだろう」

「それはどうだろうな。さっき野間も言っていたが、音読は虎門の語りと、高嶺の声が合わさったから上手くいったんだろう。あの抑揚が虎門によるものだって、覚えている人は覚えているんじゃないのか」


 俺の指摘に、虎門の表情はわずかに曇る。嫌なところを突いてしまった自覚はあるが、それでもなお彼が立候補までして音読をした背景を確かめたかった。


「……放課後空いてるか? 帰りに話す」

「わかった」


 虎門の口調は先ほどとは打って変わって歯切れが悪い。教室で聞かれたくない話なのかもしれないので、すぐに引き下がる。席に戻りながらも、虎門を動かした高嶺の存在について、思いを巡らせずにはおれなかった。

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