16、何かできることはないだろうか

「勉強会の話、冗談かと思っていたぞ」


「冗談じゃないよ。並木なみき、聞くところによると英語が得意らしいじゃないか。私はちょうど英語が苦手でな。教えてもらえるとありがたい」


 今週からは七海ななみの家に居を移している。広いリビング・ダイニングが主な居場所になるのは、俺の家と同じだ。大きなリビングのテーブルに教科書と問題集を広げつつ、七海はすっかり「教わる人」モードだ。俺は小さくため息をつく。


「別に、予習はするつもりでいたから横で一緒に勉強するのは構わないが。俺は、虎門こもんにしか教えたことがないから教えるのが上手い保証はないぞ」


「構わないよ。野間のまも言っていたじゃないか。教えることが勉強になるって」


 それは方便だろうといいかけて、そもそもの話の流れを思い出した。


「七海、お前“聞くところによると”って言ったが、俺が英語が得意なこと、虎門に聞いたのか?」


「他に誰がいる?」


 何を当たり前のことを、という風に聞き返されて俺はしばし黙った。現状はイレギュラーの極みにあるから、高嶺とサシで話すことはあるだろう。しかし彼女以外の女子と一対一で言葉を交わすなど、虎門のポリシーからすると考えられない。


「もっとも、竹内たけうちは私の方を見もせずに、ひとこと喋っただけでその場を離れてしまったがな。あれを会話と呼んでいいのかと問われると、私は否と答えるな」


「ああ……」


 状況が容易に想像できて、嘆息する。ならば納得だ。七海は押しが強いから、返答せずに無視したらいつまでもついてこられる。だから必要最低限の答えだけ返して立ち去ったのだろう。


「前から気になっていたんだけど。虎門は何であんなに女嫌いなんだ?」


「英語の勉強はいいのか」


「私は自分の興味があることがらについて優先させたい質なのでね」


 身を乗り出してきた七海を両手で押しとどめながら、俺は小さくため息をつく。


「ざっくり言えば高嶺たかみねと同じだ」


「女子絡みで変な噂を立てられたってこと?」


「まあそんなところだな」


 七海にそこまで詳しく事情を話す必要もないだろうと思い、曖昧な程度の表現にぼかしておく。彼女はふーっと息を吐いた。


「中学女子の噂話は、ろくなことがないね」


「全くだ」


 心の底から同意の言葉が出る。それは、七海の言葉に共感したからだけではない。七海が、「噂話をする女子」に与していないという確信が持てたからでもある。それは先日の高嶺についてあれこれ言っていた女子たちとの対面時にも思ったことだし、共に生活をしていてわかってきたことでもある。

 七海は本人も言うように好奇心が強く、気になったことには自ら首を突っ込んでいくタイプではあるが、対象となるものごとに対して陰でこそこそコメントをするタイプではない。その点において、俺は七海を信頼できると思っている。本人に言ったらどや顔をされそうだから絶対に言ってやらないが。


「虎門は悪い奴じゃないんだ。ただ、人とのかかわりを避けているだけで。俺はそれを、勿体ないと思う。もっとあいつがいいやつだってことを、みんなに知ってほしい」


 だからだろうか。つい本音がぽろりと口をついて出た。七海は目を瞬かせてから、ふっと笑う。


「君はつくづくお人よしだな」


「そうでもないだろう」


「いや。入れ替わりが起きた時から、今に至るまでずっと、並木は竹内の心配ばかりしている。竹内が嫌がると思って、漁火先生に食って掛かったんだろう? 華の件だって、解決しないと入れ替わり相手である竹内が上手くしゃべれなくなるから首を突っ込んだ。そして今は、竹内本人の気質を気にしている。これがお人よしと呼ばなくて何と呼ぶんだい」


「友だちなら、それくらい普通だろ」


「友だち、か」


 七海の笑みが寂しげなものになり――俺の表情筋はそんなに豊かだったかと、首を傾げたくなる――、ふっと天を仰いだ。


「そこまでするのが友だちだというのなら、私には並木が定義するところの“友だち”はいないのかもしれない」


「そうなのか?」


 言動も性格もさばさばしている七海は、BIG4の中でもとりわけ女子人気が高い。噂話に惑わされるタイプでもないから、信頼してくれる友だちができそうなものだが、案外違うのだろうか。


「わたしは“かっこいい”とか“ひとりでも生きていけそう”と言われることが多くてな。人の相談に乗ったりすることはあるし、クラスの人たちとも普通に話はするが、並木が竹内にするほど、親切にしてあげようと思う相手はいない」


「でも、高嶺の件で一番精力的に動いてくれたのは七海じゃないか」


 動かしがたい事実を指摘する。そもそも七海が同級生の連絡先を知らなかったら。高嶺に声をかけなかったら、先日の計画は実現しなかった。それは十分「親切にしてあげようと思っている」といえるのではないだろうか。


「あれは、いつもの好奇心でやったことだよ。他人になぜ、そこまで力を割けるのか。並木がどういう行動原理で動いているのかが知りたくて、協力した次第」


「で、わかったのか?」


「いや。ただ並木が並外れたお人よしだっていうことはわかったよ」


「普通のことだって言ってるだろう」


 にやりと笑う七海に、俺は顔をそむける。さっきから話が堂々巡りだ。そして一方的な羞恥プレイを受けさせられている気がしてならない。


「まあ、並木のそういうところ、悪くないと思うけどね」


「はあ」


 何とも言えないフォローをされて、妙な返しをしてしまう。恐らく今の俺は間抜けた顔をしているだろう。こちらを見ることもなく、七海は立ち上がった。


「並木をからかうのはこれくらいにして、真面目に勉強しようか。ちょっと英語のプリント取ってくる」


 そのまますたすたと階段のほうへと向かった。自室の鞄からプリントをとってくるのだろう。


・・・


(らしくないことを言ってしまった気がするな)


 階段をのぼりながら、私は先ほど自分が放った言葉を咀嚼していた。


『並木のそういうところ、悪くないと思うけどね』


 個人的にはかなり褒めたつもりだったのだが、並木にはいまいち伝わらなかったらしい。ぽかんとした間抜け面――しかも顔は私のものだ――が視界に入ったら恥ずかしくなってきて、さっさと席を立つ選択をしてしまった。

 思いがけないリアクションを取られたら、原因を追究するのが私のスタイルだ。そんな私が逃げるようなそぶりをするなどらしくない。


「姉さんは回りくどいんだよ」


「しんちゃん」


「その呼び名やめろって」

 すれ違いに階段を降りてきた弟に声をかけると、彼は嫌そうに首を振った。


「しょうがないから、僕があいつと話してくるよ」


「余計なことは言わなくていいからね」


 私の念押しには答えずに、弟はリビングへ……並木がいるほうへと向かっていく。


(しんちゃんが余計なことをする前に、私も戻らないとね)


 私は急ぎ足になって、自分の部屋へと駆け込むのだった。

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