10、俺たちは実験道具じゃない
一拍置いた
「私は考えました。過去に戻ることはできない。でも、今の高校生たちに私と同じ思いはしてほしくない。であれば、どんな工夫をすれば、高校時代に友だちをつくることができるのか。本当の己を理解してくれる人が現れるのか。
普通に生活するだけでは、理解者を得ることは難しいです。内向的な人もいますし、外見的な特徴が原因で誤解をされやすい人もいます。かつての私のように。であるならば、強制的に他人と中身を入れ替えることができたら、相手のことをよく知ることができるのではないかと思いついたのです」
「だいぶ飛躍した話ですね」
素の感想が漏れる。再び
「普通の人からすると、
「では、なぜ男女を入れ替えたんですか? 友だちを作る、本当の自分を理解してもらうという目的なら、別に同性同士でもいいですよね」
七海の的確な質問に、漁火は彼女の方に顔を向ける。
「確かに、友だちを作る目的だけなら同性でも構いません。しかし、本当の自分を誤解なく知ってもらうには、異性の協力が不可欠だと、私は考えました。特に容姿による誤解は、異性から生じやすいものです」
「背が高いとイケメンとか、顔が可愛い人は性格も可愛いだろうとか、そういうことですよね」
「はい、七海さんの言う通りです」
いずれも男子同士の会話で聞いたことのある内容で、俺も心の中で納得せざるを得なかった。とにかく俺たちは見た目を話題にしがちだ。だからBIG4などという称号もつくのであり、彼女らが注目の的になるのである。
「容姿による誤解を解くための手っ取り早い方法は、男女で精神を入れ替えること。そうすれば、入れ替わりの期間を乗り切るために二人で協力せざるを得なくなる。その過程でお互いのことを知るきっかけが生まれ、表面的な付き合いではない、内面の部分も理解できる。そんな期待を込めて、入れ替わりの薬を作りました。皆さんに使った理由も、今の話でわかってもらえるでしょうか」
「漁火先生が友だちをつくりたかったと後悔しているのが高校時代だから、ということですかね」
「ええ」
頷く漁火の瞳に嘘は感じられない。科学者というのはえてしてこんなものなのかもしれないと思う。自分の目的のためには手段を選ばない。というか、目的を実現する過程で実験対象となる人たちの考えには思いも及ばない。俺が口を開きかけたところで、漁火は七海さん、と呼びかける。
「次に、七海さんの質問ですね。事前に薬の正しい効能を伝えたら、飲んでくれない人が多く出ると予想されたからです。特に女子は、男子と入れ替わりたくないと思う人が専らでしょうから」
「当然ですね。男子でも女子と入れ替わりなんてまっぴらごめんですよ」
異性の身体になることを拒む気持ちに、男子も女子も関係ないと思う。これには漁火も同意したのか、ひとつ息をついて頭を下げる。
「並木君の言う通りですね。私はどうも、異性の感情の機微に疎くて。申し訳ないです」
「まあ、それは今は問題ではないので」
俺が軽く流そうとすると、横から七海が身を乗り出してきた。
「ということは、漁火先生は、この薬が受け入れがたいものだとわかっていながら、私たちに飲ませたということですね」
「ええ。ただし、心理的には受け入れがたくとも、相互理解を深めるきっかけを得るという当初の目的は必ずや達成されると信じていました。ですから、色々な方を説得して教育実習初日に、薬を飲んでもらえるように計画を立てたのです」
「そうですか」
七海は体勢を元に戻すと、俺に顔を向ける。言葉はないが、質問の答えに満足したのかと確認されているのがわかった。俺は一瞬だけ七海と目を合わせてから、再び視線を漁火のほうへと戻す。
「漁火先生の薬を使った目的と経緯はわかりました。しかし、それでも俺は納得いきません。男女が入れ替わって、それをきっかけに話す頻度が増えて、相互理解が深まる。確かにそういうこともあるかもしれません。でも、本当にその夢を叶えたかったのは漁火先生自身じゃないですか」
科学者の動機は個人的な興味から端を発するものなのかもしれないが、今それは重要ではない。大事なのは、俺たち被検体にも意思があるのだと伝えることだ。
「いま、あなたがやっていることは自分の望みを俺たち赤の他人に、代理で実現してもらおうとしているだけです。俺たちにとってはいい迷惑ですし、漁火先生自身が高校時代の同級生と仲を深められるわけではありません。この薬は、双方にとっても得にならないんですよ」
「痛いところを突きますね」
漁火は苦笑を浮かべる。
「並木君のいう通り、確かにこの薬の開発動機と、今回の実験目的は一致しません。でも私は、私と同じような後悔をする高校生を減らしたかった。決して、皆さんに迷惑をかけたかったわけではありません」
「漁火先生の話、わからなくもないです」
なおも反論しようと口を開きかけた俺の脇で、七海が言葉をかける。顔を向けると、彼女は漁火のほうへと真っすぐ視線を向けていた。
「入学して一か月で、大体の人間関係は固定されてきました。この薬がなければ、並木くんとこんなに話すことはなかったでしょうし、他の、入れ替わりで苦労しているクラスメイトと会話をすることもなかったと思います。確かに、薬をきっかけに新しい人間関係は構築されつつあるかもしれません」
「そうですか」
「でも、困っているクラスメイトだっているんです。この薬、入れ替わりの期限は一か月と言っていましたが、すぐに元に戻すことはできないんですか?」
七海の言葉にほんの少しだけ口角を上げた漁火の様子にいらだちが生じ、俺は二人の会話に割り込んだ。漁火は再び俺のほうへ顔を向け、頭を下げる。
「現時点で、入れ替わった二人の精神を元に戻す特効薬は完成していません。一か月経てば自然に元に戻るので、それまで辛抱していただきたいのです。困っている人にはお手間ですが、申し訳ありません」
頭を下げる漁火に、謝る相手が違うのだと言いたくなる。俺と七海は今のところ大きな問題は起きていないが、本当に困っているのは高嶺や虎門だ。野口と野間もマイナスの方向で影響が出ている。
「本当に申し訳ないと思っているなら、クラス全員に謝ってください」
「大河、そんぐらいにしとけよ」
突然背後から声がして振り向くと、化学実験室の入口に
「いつからそこに?」
「通りすがりだよ。ほら、野口ちゃんの身体でサッカーはできないことがわかったからさ。何となく校舎をぶらついてたら、大河たちのことが見えたから」
七海の問いかけに首をすくめて答えた野間は、俺のほうへと向き直る。
「確かに、漁火先生のやり方は強引だったし、俺も、野口ちゃんもまだ手探り状態だ。オレ、たぶん野口ちゃんに嫌な思いもさせていると思う。でも、なっちゃったもんは仕方ないだろう? ことを起こした漁火先生を責めるのは簡単だけど、それよりも現状をうまくやり過ごして、楽しい高校生活を送る方法を考えるほうが現実的だと思うけどな。だって女子と入れ替わるなんてそうそうできない経験だぜ? せっかくの機会なんだから、色々楽しみたいとオレは思っているよ」
「楽観主義なお前はそれでいいかもしれないが……」
「野間の言う通りかもしれないぞ」
野間の言葉に、七海も同調するそぶりを見せる。
「一か月の間、入れ替わりが戻らないことがわかったんだ。だったら、戻らないことを前提にどうすれば上手く生活していけるかを考えたほうがいい。私たちの生活にめどが立ちそうなら、他の入れ替わり組に意識を向けてもいいかもしれない。いずれにせよ、現状と自分のできることを照らし合わせて、できることをやっていけばいいんじゃないのか」
七海の意見は的を得ているように感じられて、容易には反論できない。確かに、漁火から聞きたかった最低限の情報は得られた。あとは、漁火を責めるよりも他のこと――
「わかったよ。とりあえず、漁火先生に今聞きたいことは以上です」
「そうですか」
突然の野間の乱入にも動じる様子を見せなかった――俺たちの側を向いていたから、野間が立ち聞きをしていたのには前から気づいていたのかもしれない――漁火は、ゆっくり頷く。
「また何か質問があれば、いつでも聞きに来てください。私の専門は化学ですので、化学の勉強でわからないことでも構いません。答えられる範囲でお答えします」
「わかりました! じゃあオレは先に失礼します。じゃあな、お二人さん」
野間は勢いよく扉を開けて去っていく。こちらからお暇の言葉を切り出した以上、俺たちも長居をする必要はない。俺と七海はほぼ同時に立ち上がった。
「失礼します」
「今日はお時間を頂き、ありがとうございました」
いくら野間と七海になだめられたとはいえ、完全に腹落ちしているわけではない俺は最低限の挨拶だけして背を向ける。反面七海は丁寧にお辞儀までして、実験室を後にした。
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