9、漁火の目的

「さて、化学準備室に行くか」


 伸びをしながら呟く七海ななみに、俺は頷き立ち上がる。後ろでは野間のま野口のぐちが話す声が聞こえていた。


「さっきは本当にごめん。入れ替わりの間は軽くストレッチをするだけにしておくから。ただ、ユーチューブのストレッチ動画を送るから、野口ちゃんもできれば毎日やっておいて欲しい。オレの身体がなまったらちょっと悲しいからさ」

「ぜ、善処するね」

「家も近いわけだし、難しいところあったら遠慮なく教えるよ。何しろオレの身体だからな。どんなふうに動かせるのかは自分が一番よくわかってる」


 荷物を持って教室の出口に向かいながら、俺は七海に問いかける。


「結局、野間は野口の身体でサッカーできたのか?」

「まさか。いくら中身が野間とはいえ、月乃の身体は運動に慣れていない。すぐに転んで、周りの男子たちが心配して、今日はやめておけという話になった。別に野間も悪気があってやったわけじゃないから、すぐに謝って、一緒に弁当を食べたよ」

「そうか」


 確かにその流れなら、先ほどの会話に繋がる。得心していると、七海はにやりとした表情を俺に向けてきた。


「私からも問おう。並木なみきはなとお弁当を食べた感想は?」

「何で知ってるんだよ」


 俺が虎門と一緒に部屋を出たのは、七海たちがサッカーコートに向かった後だ。釈然とせずに問いかけると、七海は当然というように指を立てる。


「華は、目立ちたくないが竹内たけうちとコミュニケーションを図ろうとはしている。だから、何処か人目につかないところで、一緒にご飯を食べているんじゃないかと思ってな。並木が竹内と昼食をとるつもりなら、必然的にそこには華もいることになる」


 あまりにも的確に状況を言い当てられて、一瞬言葉に詰まる。七海は高嶺たかみねとあまり親しくないと言っていた気がするが、充分人となりを理解しているといえるのではないだろうか。そこまでわかっているのなら隠す必要もないかと思い、口を開く。


「まあ、思ったより普通の奴だったな。もっとお高くまとってる系か、誰とも口をききたくない系だと予想してたんだが。普通に会話できたぞ」

「そうなんだね。私も華とはあまり話したことがないから、羨ましい。明日の昼は、私も混ぜてもらえないか」

「高嶺と虎門こもんが了承したらな」


 雑談をしている間に化学準備室の前に着く。ちらりと視線を横に向けると、七海が手ぶりで先にどうぞというジェスチャーをした。朝の出来事を少しは反省しているらしい。俺は頷き、扉を押し開けた。


「失礼します。1-Aの並木と七海です。漁火先生はいますか」

「はい。お待ちしていました」


 俺が喋っている途中で顔を出した漁火いさりびは、小さなノートを手に持ち隣の化学実験室に視線を向ける。


「今日は科学部の活動日でもないようですから、あちらで話しましょうか」


 漁火が扉を開けてくれたので、俺と七海は先に部屋に入る。三人で使うにはだだっ広い実験室の真ん中の机に二人で並んで座る。漁火は一瞬悩んでから、俺の前に腰かけた。


「入れ替わりの実験について、聞きたいことがあるんですよね。何でも質問してください。答えられる範囲で、答えますよ」


(答えられる範囲で、か)


 俺は心の中で苦笑する。それは隠し事がある人間の常套句ではないか。とはいえ真っ向勝負で質問をすると決めた以上、いまさら方針を変えるわけにはいかない。俺は鞄からノートとシャープペンシルを取り出す。隣で七海も同じ動作をするのが見えた。見開きのページには、質問事項が整理して羅列してある。


「まず、単刀直入に聞きます。何で、俺たちのクラスに入れ替わりの薬を飲ませることにしたんですか? 普通、薬の実験であれば、治験者を募集して実験室か何かでやるものでしょう」

「私たちの高校で教育実習生が実験をするというケースはなくもないです。しかし、事前に説明もなくだまし討ちのような形で行われるというのは聞いたことがありません。なぜこのような方法をとったのか、教えて欲しいです」


 俺の問いかけに、七海が補足する。質問したいことは事前に話し合っていたから、この辺りの連携はスムーズだ。漁火は俺たちの顔を交互に見て、頷く。


「そうですね。まず、並木君の問いに答えましょうか。少し長い話になりますが、構いませんか」

「はい」


 俺は無言で頷き、七海は返答をする。納得する答えが得られるのであれば、長くなろうが問題ない。居住まいをただした漁火は虚空を見上げる。


「私は、こんな見た目なので、男性に間違われることが多いです。学生時代も同じでした」


 薬のインパクトで忘れていたが、確かに漁火は中性的な容姿をしていた。先を促すべくじっと見つめると、彼女は言葉を続ける。


「それを言い訳にするのは情けないですが。でも、事実として私は、学生時代友だちができませんでした。同性からは『かっこいい人』扱いされて、異性からは『女なのに女子にもてる邪魔者』扱いされたからです。男子にも女子にも、本当の私を理解してくれる人はいない。そんな風に思いました」

「はい」


 話の着地点が見えない。雑に相槌を打つと、七海に横目で見られた。それを無視している間にも漁火の話は続く。


「大学生になってからは、見た目を問わず同じ趣味、同じ研究分野などで繋がれる仲間ができました。でも、だからこそ思うのです。私は、高校時代のクラスメイトともっと仲良くしたかった。色々なタイプの人が集まっていた高校時代に友だちができていれば、私の人生はもっと豊かなものになっただろうと」

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