第12話 十字架

 月が浮かぶ夜。俺は親方がいる小屋に半ばぶっ倒れるように入った。竜の脊髄と薬草を詰め込んだバックパックを背負い、調合器具が敷き詰められた鞄で両手は塞がっていた。これらを担いで持って、ゴブリン牧場までの登山をやっとの思いで完遂。肺が破裂したかと思うくらい息苦しい。


 「はぁはぁはぁはぁ……」


 俺の到着に気がついた親方は小屋の奥、仕切りの向こうから顔をひょいと出して、「おつかれー」と出てきた。床に放り出された荷物と瀕死の俺を眺めながら、「いや荷馬車呼べよ」と至極真っ当な意見を言う。


 「なんか、あんまり悟られたくないんですよ色々と。特にこれら荷物は僕らの商売の根幹なんで」


 「……なら、あいつイリィスに手伝ってもらえないの?」


 バツが悪そうに視線を逸らして言う親方。


 「イリィスは幼竜を狩ってくれてるからね。そっちに専念してもらってるよ。今のところ幼竜を狩れるのはイリィスだけ、魔薬を調合出来るのは俺だけだから、今後はそういった属人化も人を増やして解消していきたいね」


 ちなみにブルースはというと今頃、


 『ホブゴブリンだ』


 と、黒いローブに身を包みながら町を駆け巡っていることだろう。我ながら“ホブゴブリン”という存在を覆面にしたのは正解だった。交代制が通用する。


 そして今回俺が考えているのは、調合し終えた魔薬を“巻いたり包装する”行程をゴブリン達に担ってもらおうと思っている。その中で更に器用な奴が現れれば調合も任せたいところ。


 「親方、早速だけど」


 「ああ。いくか、“穴”へ。まずはお前がゴブリン達を支配しないと、何にも教えられないからな」


 小屋の玄関扉とは対角線上にある扉。そこから先はバリケードの内側。まさしくゴブリンの住処。


 俺は親方の細いしなやかな背中についていき、バリケードの内側へと足を踏み入れていく。


 この下にはゴブリンが大量にいるというのに、辺りは夜の虫の音しかない。それがかえって怖い。俺は一度、ゴブリンの脅威を間近で味わって、あの時はイリィスがいたから今の命があるけれど、とてもじゃないが敵う生物じゃないと実感している。


 そんなことなどお構い無しに親方は松明を持って穴の中へ。


 火だけが照らす閉鎖空間。ひんやりとした空気が漂う中で、小さな人影がかわいい足音を立てて暗がりで揺らめいた。


 ——ゴブリンだ!


 親方は——松明を捨ててゴブリン目掛けて猛ダッシュ。イリィス戦で見た時と同じ動きだ。


 ゴブリンが抵抗をする前に既に首根っこを鷲掴みにし、自分の頭よりも高い位置まで上げている。


 「いいかガラン。こいつらは自分より格下だと判断すればすぐに裏切る。だから穴に入ればまずわからせる」


 松明の灯りは親方の顔まで届いていなくて、“耳”もあることながら妙に悪魔めいた姿になっている親方。やってることも悪魔みたいだ。



 「よし」


 親方はさっきとは打って変わってゴブリンを地面に降ろし、よしよしと頭を撫でていた。





 「うわ……洗脳のやり方だ」








 洞窟の中でゴブリン達に魔薬の巻き方や包装の仕方を教え込んだ。彼らは好奇心の塊で見様見真似で次から次へと覚えていく。褒めれば喜ぶ仕草をするし、言葉は交わせなくとも、意思疎通が出来ている感じはする。


 ゴブリンに囲まれて見本を実践していく中、親方の様子がおかしいことに俺は気がついた。


 さっきまであぐらをかいて見学していた親方が寝転がって、腹の下の方を押さえてモゾモゾしている。


 「……親方?」


 さすがに心配になって、俺はゴブリンたちに「ちょっと待ってて」とジェスチャーをして、親方の元へ駆け寄る。


 「大丈夫ですか? なんか様子変ですよ」


 「にゃ……」


 らしくない甘えた声で顔を上げる親方。赤く熱った親方の顔。目が今にもとろけそうで、俺に対して求めるような視線を向ける。


 「ガラン……あの薬持ってくるの忘れた……」


 「あの薬って、ビズキッドの!?」


 「うん……どうしよ……今すぐ交尾したい」


 イリィスが言っていたことが走馬灯のように頭を駆け巡る——



 ——“人間よりも気性が荒くて、欲に奔放ですぐ交尾するらしい”




 「マジかよ」


 「ねぇガランお願い、一回だけでいいから……交尾しよ?」


 本当に親方の声帯から出てるのかも分からない可愛い声で俺へ擦り寄る。


 尻尾と猫耳が付いてるだけで、あとは女性そのもの。むしろ猫耳に関しては可愛さをプラスしてしまっている。


 「落ち着いて親方! ほら、ゴブリン達見てるし!」


 「二人きりならしてくれる? なら頑張って小屋まで我慢する」


 「いや小屋まで行くなら薬飲も!」


 「薬やだ。がいい」


 親方の手が危うく絶対ダメな部位に触れようとした為、俺は親方を地面に張り倒した。

「にゃ♡」と声を上げる親方はそういうプレイだと勘違いしてるみたいだ。


 俺は親方を抱き抱えて洞窟の出口を探す。


 「やべぇ……出口どこだ……」


 「教えてあげないにゃ〜。そろそろ力ずくだよ? 力ずく交尾」


 謎のパワーワードはスルーして、俺は必死に出口の方向を探る。というか何で俺の周りにはこう——酒を飲むと痴女化する奴だったり、薬を飲まないと発情する人が揃ってんだよ。




 ——そんな、パニックになって出口が見つけられない俺に救いの手を差し伸べてくれた者がいた。


 ゴブリンだ。


 彼らは松明を拾いあげ、交通誘導員の如く松明を振って出口の方向へ案内してくれた。


 「君たち……マジでありがとう! 」


 俺はゴブリンのお陰で洞窟を脱出し、親方を抱えたまま小屋へ飛び込んだ。


 さっきは荷物を抱えてぶっ倒れて、今度は親方を抱えてぶっ倒れることになるとは思いもよらなかった。


 「……やっと交尾出来るね?」



 短パンを脱ぎ始めた親方を横目に俺は机の上の薬を取って、


 「おらぁ!」


薬を親方の口へ思い切りぶち込んだ。


 親方は目を回して、暫くすると顔を手で塞いで俯いている。


 「親方?」


 「……ぁぁぁぁぁぁぁ」


 奇妙な呻き声を出して、一向に顔を上げる様子が無い。


 「……ががががガラン、あれ、どうやら私たち、ここでずっと夢を見てたみたいだな。アハハハハ」


 誤魔化すにも無理があるだろ。


 「親方、まず下、ちゃんと履いて下さい。目のやりどころ困るんで」


 親方は半脱げ状態の短パンに目をやり、「うわあああ!」とらしからぬ声を上げて、そそくさと短パンを上げた。


 「……ぁぁぁぁぁぁ」


 再び謎の呻き声モードに入る親方。羞恥心で頭がショートしているのだと思われる。


 ただ、アルコールで酔ったイリィスよりはいい。以前、あの酒癖の悪さを問い詰めたところ、『まあそういう気分の時もある』とシラフで言われたからな。それに比べたら恥じらいがあるだけ親方の方がマシだ。


 「ま、その……親方、大丈夫ですよ。そんな俺だって悪い気になった訳じゃないですから。うん、ああいう親方もギャップがあって良いですよ。可愛いです」


 親方は赤い顔のまま、


 「慰めになってないわ!」


 怒られた。









 俺と親方はそれぞれ、親方はベッド、俺は机に伏せ寝で一晩を過ごし、朝を迎えた。


 親方と朝食を共にして山を降りた俺に待ち構えていたのは町の騒々しさ。いつもと違う、それは人の声や人の動き、肌に刺さる嫌な気配がそう思わせていた。


 俺はより騒々しさがする場所へ自然と引っ張られ、群衆を掻き分けていた見慣れた顔が一人、雪色髪を揺らしながら現れた。


 イリィスの顔は今まで見たことがない、切迫して余裕の無い、泣き出してしまいそうな顔。


 「いた。ガランいた……どうしよガラン……そ、その……な、なんて言えばいいか」


 吃るイリィス。これまでに無いイリィスの焦り方に俺は血の気が引いていく。 


 何も言わず、人混みを分けながら俺を案内するイリィス。進むに連れて人の数は増えていく。


 そして——


 イリィスが震わせながら指を差した先に——







 

 等身大の十字架。


 既に亡くなっているのであろう、だらんとした人が磔にされている。劇場型な殺人。





 その被害者は黒いローブに身を包み、垂れる青髪とその顔立ちには身に覚えしかなかった。






 「ブルース……?」




 



 




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