第5話 ホブゴブリンと鮮血の姫
町の中心地も深夜となれば静まり返る。このアバロン倶楽部劇場を除いて。
ドーム状の三階建。普段は歌劇や舞台が公演されているエンターテイメントの象徴。しかし週に一度、劇場の地下空間では国内中の異端者が集い、音楽や踊り、酒と性に溺れる。
俺とイリィスは賢者メスフクのご厚意で変態舞踏会へ招待してもらい、彼に連れられて劇場の裏口から地下へ入っていく。
暗い階段を下っている時には既に地下から漏れる音楽が鼓膜を震わした。
「ガラン様・イリィス様、変態舞踏会は決して“乱痴気騒ぎ”ではないということは心得て頂ければと思います。ここは生まれ持って授かった“性”を救済する場——」
賢者メスフクそう言って、身に纏っていたマントを脱いだ。現れたのは女騎士の制服を着た姿。
「かつて剣は男が振るう物でした。しかし時代は進化し、今は女が男を守ることだってあります。“女騎士”とはまさに進歩の象徴。
『女騎士になりたい』——それがわたくしの性なのです」
イリィスは目を丸くして感銘を受けていた。
「では、参りましょう」
扉が開いた。
暗いホールは少数のランタンに照らされて、楽器隊が激しい音楽で踊りやすい雰囲気を作っていた。
仮面を付けた者、性別とは反対の服を身につけた者、病で異形になった者、卑猥な格好の者、各々が酒や踊りを楽しんで、他者と交流する。
「誰とでも、好きに話して踊って良いのです。わたくしは友人に会ってまいりますので、宜しければご案内は以上を持ちまして終了させて頂ければと思います」
「はい! 賢者メスフクさん、本当にありがとうございます」
「では、また」
賢者メスフクは人の波に消えていった。
俺とイリィスは踊る人や音楽で目が回ってしまいそうで、とりあえず空いている丸テーブルに付いて一旦様子を伺う。
「イリィス、こりゃあ凄い雰囲気だ。普通の格好で着た俺たちのが浮いてるよ」
イリィスは一応仮装か。
雰囲気に押されて、魔薬をやっても正直霞んで目に留まらない可能性すらある。一先ずもう少し誰かの目に留まりやすいポイントをきょろきょろしながら探していると、
「あらぁ見ない顔〜」と一人の女性に話しかけられた。
フェミニンな真っ黒コートを着て、カールがかかった薄ピンク色の長い髪。イヤリングやネックレス、指輪など全体的にお洒落で20代前半くらいか、俺と同世代くらいの女性だ。
「なになにお二人ぃ〜どういうかんけぇい?」
老いた雌猫みたいな癖のある声。彼女は有無を言わさず俺たちのテーブルに着いた。
「あ、どうも。俺たちは仕事仲間……みたいな感じですかね」
「ふ〜ん、そっかぁ。私ヌーコ。ヨロシクねぇ〜」
ヌーコという女性は黒い皮手袋を嵌めた手で俺とイリィスに握手を求めた。
「初めまして、ガランです」
「私はイリィス」
ヌーコという女性はそれぞれ握手を交わし、イリィスのことを不思議そうに見て、指を刺す。
「きみは〜騎士?」
「限りなく正解」
イリィスは他人に対しては素性を正直に明かさない性質があるらしい。ヌーコさんは一瞬止まって、「ふむ」と特に追求することはしなかった。大人だ。
「ごめんねぇ急に話しかけちゃってぇ。二人とも初々しくてさ〜
図星を疲れて唾を呑む。
「いいよ〜そんな険しい顔しなくてぇ。私もその一人だからさぁ〜。私はね魔術師なの〜。魔術の研究の一環として人間観察してるんだぁ。人の欲や性は魔術において良いスパイスになるの」
「魔術師……ですか。良いんですかそんなこと告白して」
魔術師と聞いて俺は肝を冷やした。
2年前の疫病が流行った年、王家は疫病の正体を魔女の呪いだと断定して、国中の魔術師を“魔女狩り”と称して虐殺した。結果、疫病が終息することは無かったが、この国において魔術師を自称することは、特に女性においては命に関わる。
「あら〜私の心配してくれているのぉ? ガラン君優しい。でも大丈夫〜。王家との追いかけっこは慣れてるから」
「私が本物の騎士だったら大変だよ」
イリィスの言葉にヌーコさんはのらりと笑顔で返す。
「こんなに可愛い騎士様なら是非捕まりたいなぁ〜」
イリィスは何も言わない。ヌーコさんに完全に騎士じゃないことを見抜かれてる。
ヌーコさんに魔術について質問をしようとしたその時だった——頬に何か液体が付いた。正確には飛び付いた。
それはイリィス、ヌーコさんも同じ。俺たちは付いた液体を手の甲で拭いて正体を確かめる。一瞬で分かった。血だ。
飛んできた方を見ると、女の人が人じゃない形をしていて、その場で倒れる。尋常じゃない出血量。既に死んでいる。死体には切り裂かれたような跡があった。
その遺体から天井に飛び移る黒い影。子供くらいの大きさ。
俺は天井をよく見た時、ギョッとした。
同様の影が無数に蠢いている。
影は着地しては天井に飛び移る——を交互に繰り返しており、その度に人が一人殺されていく。
その姿形は小鬼。
俊敏な動き、剣で人の四肢を斬り、棍棒で頭をカチ割り、矢尻で顔の穴を貫き、獣の牙で首根っこを食いちぎる。斬殺、撲殺、刺殺、噛殺。
群れを成すそいつらは——
「ゴブリン!? なんでこんな町中に!」
楽器隊も殺され、ついに人々の悲鳴が館内に響き渡り始めた。パニックになる人々。呼応してゴブリンたちは遂に一斉奇襲を仕掛ける。
館内は既にゴブリンに包囲されていて、自然と中心へ集まる人々。横や上から襲いかかるゴブリンの脅威によって血の惨劇の開幕。
不快な鳴き声を上げ、剣を持ったゴブリンは俺たちにも襲いかかった。
しかしイリィスのが一手早かった。
斬撃をほんの少し身体を傾けて躱し、ゴブリンの両手首を掴み、腹に膝蹴りを食らわす。
剣がゴブリンの手から離れるとイリィスはそれを即座に掴んでゴブリンの首を一刀両断。
悲鳴すら上げさず、ゴブリンの頭と身体を切り離した。
すかさず俺とヌーコさんに襲いかかるゴブリンもイリィスは華麗な剣捌きで斬り倒す。
ヌーコさんは「ひゅ〜」と口笛を吹いて、俺に耳打ちをした。
「え、彼女マジの騎士?」
ゴブリン達が人々を虐殺していく中、雪色髪のイリィスは一つの白い線となる。ゴブリンを縫う針の如くゴブリンを斬殺しては次、斬殺しては次。ゴブリンが振るう棍棒や斧を剣で弾き、刺す、斬る、回転してまとめて一刀両断——力の差は圧倒的だった。
積み上がっていくゴブリンの死体。
幼竜を日常的に狩っているイリィスにとってはゴブリンなんて敵では無かったようだ。無数にいたゴブリンは遂に一匹残らずイリィスの手によって駆逐された。
舞踏場の中心に築き上がった山。それは人とゴブリンの死体。その頂きにイリィスはいた。
返り血をたくさん浴びて、白と赤のコントラストになっている様は“鮮血の姫”。イリィスの姿に舞踏場の人々が魅了されている。彼女は注目の的となっていた。
俺は駆け出した。魔薬の箱を持って、目立たないように死体の山の背後に。
これは絶好の機会だ。不幸が幸運に化けた。
「イリィス、今だよ。今だ! これを吸うんだ!」
魔薬の箱をイリィスに投げ入れて、動揺しているイリィスに「いいから!」と魔薬をやるジェスチャーを必死に伝える。
どんなやり方だっていい。
どんなに汚くたっていい。
正義も大義も無くたっていい。
——異世界に生まれて、第二の人生を歩むという奇跡に巡り会えたのに、貧乏な薬屋で終わってたまるか。
(イリィス、魔薬を!!)
俺のジェスチャーが伝わり、箱を開けたイリィスは内包された火打石で魔薬に火を点ける。
そして、イリィスは戦闘の疲れを癒すように魔薬を嗜んだ。
「なんだあれは?」「知ってる?アレ」「彼女、何をやってる?」「あれは何?」「煙を食ってるぞ!」「なんか美味そうだぞ」「すごく不思議」「なんていう名前なんだあれ」「俺もやってみたいなあアレ」「欲しいなあ」「どこで買えるんだ?」「買いたいな!」
ざわつきが館内を支配する。皆が皆、俺たちの魔薬について話している。
俺は死体の山の影から人々の前に登壇した。
「皆さん、これのことを言っておられます?」
我ながらなんと胡散臭い登場だ。
前世で死ぬほどやったプレゼンを思い出す。
それから俺は魔薬が敷き詰められた箱を皆に見せた。
「皆様、ご存知無いのですね。彼女が今嗜んでいるのは『魔薬』という新時代の薬、嗜好品でございます。今イチオシの商品です。あ、よろしければ無料お試し中なので、是非是非一本試してみて下さい。ただ——この町の薬屋さんはあまり置いてはくれないみたいで……もし気に入って頂けたら薬屋さんに言っておいて下さい。『魔薬を置いてくれ』と——」
人が俺の元に殺到した。
彼らは魔薬を取り、俺に教えられた通りに各々火を点け魔薬を嗜む。さすが異端者達、
惨劇なんて忘れて魔薬を楽しんでる。
俺が夢にまで見た光景が今、目の前で繰り広げられていた。
そんな中、調子の良い中年男が魔薬片手に俺に尋ねてきた。
「これ最高だよ! 今度から絶対買うぜ! 商人さん、アンタ名前は?」
名前……ここでスタンプ薬屋のガランだと名乗るのは悪手だ。ビズキッドや王家といった面倒くさい連中がいる以上、裏から稼ぐのが最適解。
あとは裏の名前だけど……
ふと視界に入るゴブリンの死体。
なんだっけか、ゴブリンの上位種の名前……
「えっと——『ホブゴブリン』です」
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