第2話 魔薬の誕生


 「ボゥ」と暗闇を照らしたのは木の枝を組んだ小さな焚き火。揺れる灯が岩肌に映る二人の影を揺らしていた。イリィスはよく野宿をするみたいで火打石と油を常備していたらしい。


 竜に追われていた俺たちだが、最終的に山から滑落した。そう、恥ずかしい話だが結局転けた。

 山道から外れて森林の道なき道を転がり続けた結果、竜は俺たちを見失って何処かへ消え去り、俺たちは浅い洞窟を発見して今に至る。休息を取りながら竜が飽きて山から離れる頃を待っていた。


 元騎士候補生さんは焚き火の前で体育座りをしてうずくまっている。スカート姿でそんな体勢をしているものだから、この位置からだと目のやり場に困る。


 成熟した竜との対峙でイリィスは気落ちしていた。ここは傷ついた彼女のプライドを埋めてあげるのが先決だ。


 「にしても、イリィスの強さには驚かされたよ」


 「ん?」


 イリィスは足に埋めた顔を上げて、不思議そうな表情。


 「あんな竜に丸腰で突っ込むなんて。竜も内心ビビっただろう」


 「まあ騎士候補生の中ではセンスがあった方だし、竜のことは何でも任せて」


 平然と言うイリィス。

 ツッコミ所しかないが、敢えて言わなかった。


 ただ幼竜退治は本当に見事だった。やはり中退とはいえ騎士を志し、一応竜殺しを生業としているイリィスの腕は確かだ。


 「幼竜を倒す時もあんな遠くから矢を当てたり、剣で正確に急所を突いたり、熟練者って感じ」


 「幼竜は200体以上倒しているから、あれくらいはお茶の子さいさい」


 「え、200体以上!?」


 思わず声が出た。彼女、ゲームで言うところの雑魚狩りばかりしてる異端の玄人みたいな人じゃないか。


 「だけどね、幼竜を狩っててもそんなにお金にならない。成獣に比べて鱗は柔らかいし角も短い」


 「ええ意外だ。一匹どんなもんなの?」


 「うーん、一匹で大体120ゴルくらい。(※日本円にして1万円程)。こんな単価だからさ、新しい服も買えない。パンツだけ買ってる」


 パンツの情報は反応に困るからやめてほしいが、言う割に幼竜の相場はそんなに悪い値じゃない気もする。まぁ月に4、5匹しか見つからないと仮定したら月500ゴル前後は確かに苦しい生活になるけど、


 「大体月に何匹くらい狩れる?」


 「月に10匹くらい」


 「いや、なら服くらいは買えるんじゃないか?」


 「食費で7割飛ぶ」


 「食いしん坊か」


 「美味いものばっかりあるこの世が憎い」


 イリィスは頬をぷくっと膨らませ、過食の責任を世界に押し付けた。


 「でもさすがにその服、結構傷んできてるし、ちょっとは我慢した方が……というか、その服どこで手に入れた? 一応正式な騎士の制服だよね?」


 イリィスは視線を逸らし、切ない表情。


 「この服の経緯……話しずらいんだけど——」


 しまった、死んだお母さんの形見とかだったら嫌なことを思い出させてしまう。


 「あ、いいよそんな無理に話さ——」


 「城下広場の古物市で買った」


 余計な心配をした。


 「なんじゃそりゃ。というか元騎士の人でも古物市で店構えるんだ」


 「いや、おじさんが売ってた。女物の服が好きで集めてたんだって」


 「やべぇ変態おじさんじゃないかそれ」


 「まあ、たしかに様子は色々おかしかった」


 そこまでして騎士の制服を買うとは狂信的だな。


 それから俺はイリィスが何故騎士候補生を中退したのかを聞いたが、その話は元を辿るとイリィスの本名が『イリィス・スキンドレド』であることが関係していた。


 王家に従える者というものは元来、由緒正しき家柄であることが条件。それは騎士とて例外ではない。

 イリィスの生まれたスキンドレド家というのは別段貴族でもなく、民の一部に過ぎなかったが、彼らの祖先を辿ると行き着くのが何百年も昔にこの国を治めていた『スキンドレド帝』だ。


 歴史の教本においてスキンドレド帝は“愚帝”として記録されており、その子孫達はその名を決して誇ることが出来なかった。


 ただ、悪名は無名に勝る。スキンドレドという家柄の知名度は王家に仕えることを認められ、イリィスは騎士訓練校への入校が叶った。


 だが、騎士への憧れに胸を踊らしていたイリィスが直面したのは、まさしくスキンドレド家という家柄の呪い——イリィスは不幸にもスキンドレド帝の肖像画と同じ雪色の髪をしていて、“愚帝”と重ねられたイリィスは騎士訓練校で酷い差別を受けた。周りは正真正銘やんごとなき一族。彼らの下層に対する虐めは“退屈凌ぎ”と呼ばれていて、イリィスはその餌食となってしまったようだ。


 結果、本領を発揮出来ず成果も出せなかったイリィスは堕ちていき、中退の道を選ばざるを得なくなった。




 「——というわけで、騎士への憧れが捨てきれない怪人が生まれたという訳」


 自分をそう表現するあたり、意外と客観的に物事を捉えれる子なのかもしれない。


 それからイリィスの両親が俺の両親と同じ2年前の疫病で亡くなったことを知り、俺の中でイリィスへの親近感が増した。


 イリィスは語りに脂が乗って、話しすぎたのか「ちょっと一服」と徐に制服のポケットから物体を取り出した。布で包んだ掌サイズ。布を開けると中から白い石膏のような検討も付かない異物が現れ、イリィスはそれを落ちていた平な石と縦長な石で挟んですり潰し始めた。


 「何してんのそれ」


 「幼竜の脊髄」


 「うげ……脊髄!?」


 グロテスクな回答に面食らった。イリィスは随分と慣れた手つきで淡々と作業をこなす。


 「大丈夫、生じゃなくて乾燥させたやつだから」


 「いや、そういう問題じゃなくて」


 石に挟まれた脊髄はだんだん粉状になっていき、最終的に砂糖や塩に近い状態まですり潰された。

 

 「これを、こう」 

 

 白い粉が乗った平な石を火に掛けて、粉を炙ると白煙が上がった。それを味わい深く薫くイリィス。宙の煙がイリィスの小さな鼻に吸い込まれていく様は前世だったらあまりにも非合法な絵面だ。


 イリィスは「ん〜ん」と至福なご様子。


 「これがいいの。竜の脊髄を粉末にして、炙って吸うとなんだか気持ちよくなるの」


 「絶対アウトでしょ。憲兵にとっ捕まるぞ」


 イリィスは目をパチパチさせてきょとんとした。


 「これって捕まるの?」


 「だってそれ、法律で禁止されてない?」


 「ん?……これ私が編み出した嗜みだし、竜の脊髄をするのは私ほど幼竜を解体した人じゃないと辿り着かないと思う。だから多分誰も知らない」


 その時、雷に打たれような衝撃を受けた。この異世界人生において一番の衝撃だと言っても過言ではない。


 前世のサラリーマン時代に培った企画力とマーケティングの感性が一気にスパークを起こした。


 そうか。そうだよな。たしかにそうだ——


 ——この世界には“麻薬”の概念が無い!


 かつて前世では底なしの需要で世界中の金を動かし、権力者や富豪を狂わすこともあれば、国すらも巻き込んで戦争を引き起こした“傾国の嗜好品”。


 ここでは目の前にいるイリィスが先駆者。始祖なんだ。

 

 もちろんこれを取り締まる法律も無い。


 閃きが暴走して俺は居ても立っても居られない気持ちになった。客の来ない店も、素材も買えない赤字も、ひもじい食事も、娯楽も無い生活も、嫌味を言ってくる町人も、これで全部覆せるかもしれない。


 「イリィス、俺たち貧乏から脱出できるぞ」


 俺の希望に満ち溢れた顔にイリィスは呆気にとられているが、俺は今にもイリィスの手を再び握りたい気分だった。


 「ガランの言ってることがよくわからないが」


 「だよこれ! その竜の脊髄が全てを変える! そいつは凄い価値に化けるんだ。イリィス凄いよ! この世界で一番の発明家だ!」


 「本当? 新しい服買える?」


「ああ!」


「美味しいものいっぱい食べれる?」


 「ああ! だけどそいつを売るってことは危ない橋を渡ることになるかもしれないし、正義も大義も無い。それでも大丈夫か?」


 「うん。この世でお利口に生きるの辛いし、それに……私が作ったものがこんなに褒められるの初めてだから」


 イリィスは目の輝きを取り戻した。   


 こうして俺とイリィスはビジネスパートナーとしての関係を結んだ。






 *



 


 それはアンモニアに似た刺激臭で神経毒の一種だと思われる。イリィス曰く竜の脊髄を生で炙るには何も効果が無いようで、乾燥させて水分を完全に飛ばすことが反応の条件。


 イリィスはこれを1年半嗜んでるみたいだが体の調子が崩れたことは無いみたいで、せん妄や幻覚を起こしたことも無いようだ。違法薬物というよりは煙草や大麻寄りの快楽に近い。


 ただ、これを商品化したとして、この臭いのキツさでは到底大衆には受け入れられない。嗜好品にしてはあまりにもゲテモノ過ぎだ。


 そこで俺が考えたのは薬草の苦味や臭みを抑える時に使う蔘国果実の酢水を使えばキツさが薄れ、香料などにも使われるカシュマの薬草から香気を蒸留させてブレンド、清涼感を付け加えれば万人受けは待ったなし。新時代の嗜好品として広まるだろう。


 これらをイリィスに説明すると、きっと理解はしていないが新しい服が買えることと美味いもんを食えるってだけで彼女は乗り気だった。


 「もし俺が言った調合が上手くいけばパッケージ化だ。あとは商品名か。なんか良い名前ある?」


 「名前……そうね、竜を素材にして、尚且つよくわかんないものを色々混ぜるから——なんとなく『魔』って感じ。シンプルに『魔薬』?」


 なんとそこに行き着いてしまったか。

 その発音だけは罪悪感と抵抗があって避けたかったのだが、しっくりくるし腑に落ちてしまうのは確かだ。


 致し方ない、


 「そうだね、うん。魔薬、それでいこう」


 そして俺たちは洞窟で半日を過ごし、竜の脅威から逃れられた。外はすっかり夕暮れで俺とイリィスは共に下山。夜になる頃には町に到着して、人気のない噴水でそれぞれの帰路につく前だった。

 噴水は水面に浮かぶ月を女神像が眺める作りになっていて、工夫の効いた作りで結構お気に入りポイントだ。


 「とりあえず帰ったら早速調合してみるよ。明日の月出の刻、またここで会おう」


 「わかった。私ももっと効率よく幼竜を狩れるように、練習しとく」

 

 一見冷淡だけど、どこか健気なイリィス。月明かりに照らされて、彼女の白い容姿が夜に映える。静寂と月夜の魔法の所為か見惚れてしまうほど美しい。


 ——いかんいかん。彼女はあくまでビジネスパートナーだ。


 

 「それじゃあイリィス」

 

 互いに別の方向に立って、軽く手を振る。

 イリィスは何か思い出したのか「あっ」と声に出した。


 

 「そういえば——スカートの中身の鑑賞料、値段決まった?」


 この期に及んで何を言い出すか。


 俺は今一番最適な言葉を返す。

 

「出世払いでいい? きっと今より額でかいよ」






 「ふふ、いいよ」



 彼女は最後に初めて笑った。


 星夜と満月を背に、その明かりに負けないくらい光るイリィス。


 純粋で程よく崩れた、意外と可愛い笑顔だった。


 


 

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