魔薬王と龍殺し〜弱小薬屋に転生したけど異世界の裏社会から成り上がり〜嫌な奴らは→圧力or粛清or暗殺

山猫計

第1話 竜殺しの少女

加覧がらん君ありがと。飲み、付き合ってくれて。ねぇ今度はさ——」


 同期の瀧莉子たきりこに始めて飲みに誘ってもらった金曜の夜。

 

 22時に退勤した俺たちは近場の大衆居酒屋で1時間だけ酒を交わした。駅の改札でお別れをした時の彼女の笑顔が今でも頭にこびりついている。とびきりの笑顔に滲む黒いくま。あれは疲弊しきった彼女のSOS信号だったんだ。


 土日明けて月曜、出勤の朝。

 乗り換え駅のホームで偶然瀧莉子を見つけた俺は彼女に歩み寄ったが、声をかける寸前——


 瀧莉子の小さな後姿は線路の底へ吸い込まれていった。


 そして、通過する電車が俺の視界を遮った。


 俺たちは営業として勤めていたが厳しいノルマと長時間労働、パワハラが横行した社風に耐えかねていた。あの会社に居た俺なら分かる——瀧莉子の自殺に会社が関係しているのは明白だ。


もし、あの飲みの夜に、


『あの会社から一緒に逃げよう』


 ——と彼女の手を引いていたならば、瀧莉子は死なずに済んだかもしれない。


 ひどいタラレバだ。端からそんなことをする勇気も無いのに。


 それから会社は反省の色も見せないまま1週間が経ち、俺はやるせない思いを抱きながら外回りをしていた。


 建設中のビルを通りがかった時、何か気配を感じて上空を見上げると、大きな鉄の塊が降ってきたことに気が付いた。


 考える暇もないまま、俺は次の瞬間、






 赤ん坊として誕生していた。










 『ガラン』——そう名付けられた。この世界では“暗がりを照らす灯火”を意味するらしい。


 前世の苗字と同じ名前を付けられるとは神の悪戯なのだろうか。 


 ここは王政が敷かれた大国。王家に剣と盾を持った兵士が仕え、町の外に出れば魔物の脅威に晒される。


 そんな世界に俺は小さな薬屋の家庭に生まれた。お陰様で順調に育ち18歳を過ぎた頃、家業を継ぐことになった。


 21歳の頃、疫病で両親が亡くなった。これはだった。


 『店主が病で逝っちまうって、お宅の薬大丈夫かぁ?』


 客によく言われた言葉だ。


 “主が病気で死んだ薬屋”というのはマイナスイメージが過ぎた。客足は遠のき、常連が扉の鈴を鳴らすことも減った。店の存亡が脅かされたのだ。


 廃業の危機から脱却すべく、俺は素材を行商から卸すのをやめて、少しでも赤字を埋める為に自ら山に採りに行くことにした。


 そして早朝に家を出て、今日もまた薬草採りへ。


 より希少価値のある薬草を求めて、いつもとは違う標高が高めの山に赴いていた。岩肌が剥き出しで、斜面も急な険しい山道が続いていたが一定の標高を超えると木々や草が生い茂る森へ到達出来た。


 「おぉ……こりゃあ薬草天国じゃないっすかぁ」


 俺は積荷を下ろして採集キットを広げていると——遠くの方から何か悍ましい獣の声が耳を撫でた。


 俺の中で時が止まる。鳥肌が立っているのを全身から感じ、自然と息を殺していた。何かヤバいのがいる……


 声の主は予想よりも遥かに早く木々の陰から姿を現した。


 「幼竜!?」


 ドラゴン——の子ども。爬虫類と鳥の雛を掛け合わしたような未発達の見た目。それでも全身は紅い鱗に覆われていて、鋭利な爪と牙を持つ姿は既に捕食者として完成されている。

 

 体長は1.5メートルくらい。人と同等。


 以前、父と会話したことをふと思い出した——


 『ガラン、標高が高ければ高いほど効力の強い薬草が生えているが、標高に比例しておっかねぇ奴らが生息してる。この前も山の調査にいった町の役人が幼竜に食い殺されたらしい。素材集めは基本行商を頼った方がいいぞ』


 『ただ父さん、成熟した竜なら分かるけどさ、幼竜って翼が柔らかくて飛べないらしいし、人間と同じくらいの大きさなんだろ? なーんかギリ倒せそうだけどなぁ』——


 俺なんて浅はかだったんだ。  

 こんな獰猛な生物、太刀打ちできる訳がない!


 獲物を見つけた幼竜は猛進。奴は確実に俺を捉えている。荒息と唾液を撒き散らしながら本能だけで突き進む怪物。

 




 ——食われる!!




 腰に差した護身用の短剣すら握る余裕は無かった。


 今にも俺に食らいつこうとする禍々しい口。

 俺は歯を食いしばって、目を瞑ったその時——


 バシュっと! 肉を断つような音、それから「ギャン」と幼竜の弱々しい声。先程まで空気を震わせていた殺気が刹那に消えた。


 「え」


 恐る恐る目を開けると、


 幼竜の左目に一本の矢が刺さっている。射抜いた張本人は——木々の陰からゆらめいた白と黒の人影。微かに分かる、華奢で若い少年か少女。


 雪色の真っ白で長い髪。黒基調の正装。あの特徴的な服は騎士の制服? それにスカートタイプの制服ということは女——少女か。手元にボウガンがあることから、俺を救ったのは、まごう事なき彼女だ。


 騎士とは王家に仕える上級兵。騎士と聞けば前世で言うところの馬に乗った兵士を指すが、この世界では意味が一味違う。

 竜と対峙しようとも、その凶暴な身体に跨り竜を翻弄してしまう。まさに竜に騎乗して弄ぶ程強い兵士——すなわち『騎士』。竜退治の専門家だ。


 騎士の少女はボウガンを投げ捨て、鞘から剣を抜いたと同時に幼竜との距離を詰めていく。地にスレスレの剣先は草を斬り、騎士の少女が起こす風圧で斬れた葉が宙を舞っていく。まさに意思を持った旋風が幼竜目掛けて一直線。


 旋風は幼竜を巻き込み、騎士の少女は剣を上向きに刺す。逆手持ちに替えて、鱗を剥がす力使いで剣先を体内へと押し込み、幼竜の心臓部まで到達。完璧な致命傷だ。


 幼竜は声帯を震わせたが、微かな声はすぐに止まった。幼竜の死体が倒れると同時に騎士の少女は剣の血を払う。

 一連の動きは手慣れていて、騎士が雲の上の存在たる所以を俺は目撃した。


 「マジかよ……あ、ありがとうございます」


 少女は剣を鞘に収めて、雪色の長い髪に着いた草を払う。眩しいくらいの白い髪に、それでもって髪色に馴染んだ白い肌。顔立ちも彫刻の手本になるような端麗さ。俺の前世にいたら国宝級と崇められたくらいの美少女だぞこの人。


 ひとつなのは着ている黒基調の制服に所々穴が空いていたり、色褪せていたりと全体的にボロボロなところだ。さっきまでよっぽどの強敵と闘って破けたのか? だとしてもこの年季の入った色褪せ具合は何だ? 

 王家の武力の鏡でもある騎士が、こんな些かだらしない身なりをするとは到底思えないが……


 「何、じろじろと」


 幼竜を完膚なきまでに圧倒した豪快さに似合わず透き通った声。


 「すみません、騎士をこんな近くで見ることなくて。いつも建国記念日のパレードくらいしかお目にかかれないもんですから」


 「期待に応えられなくて申し訳ないけど騎士は辞めた。今は廃騎士」


 「廃騎士……ということは軍から独立された方ですか」


 「そうね。今は竜から採れる鱗や角を町に流してる。いわゆる『竜殺し』ってとこ」


 まさか伝説の職業とも言える竜殺しに出会えるとは。俺は何て運の良い。……でも竜殺しって凄い儲かってるイメージなんだけど、彼女からなんだか、金持ちの雰囲気が感じられない。


 「てか貴方、私が戦ってる最中、スカートの中見てたでしょ」


 否めない。だが不可抗力だ。いや、そもそも女騎士のスカートは短いが故、中にレギンスを履くのが普通だ。この人は何で生足剥き出しで、やけに色っぽい格好をしてるんだよ。


 「鑑賞料10ゴル」(※日本円にして970円程)


 そう言って、真顔で手を差し出す騎士の少女。


 「えーと……もうちょっと価値があっても良いと思いますよ」

 

 「え、あ……そう?」


 騎士の少女は雪色髪を人差し指に絡めて目を逸らす。なんか照れてる。


 「……まぁ今からこれ幼竜解体して忙しいから後で好きなだけ払って。それと貴方、なんでこんなところに? ここは幼竜達の狩場。貴方みたいな——山菜取り? が来るにしたって兵士を何人か付けないと危ない」


 「本当、色々ミスりました……実は自分薬屋で普段は薬草調合してるんですけど薬草買うお金も無くて、ついこの山に」


 「そう。まぁ運が良かったね。竜は生まれてすぐに親離れする生き物。ここ、幼竜はたくさんいるけど成熟した竜はいないの。もし竜がいたら貴方、私が竜を倒すまでに左手くらいは失ってたかも」


 「……本当ありがとうございま——


 言いかけた時、


 それは幼竜とは比べものにならないくらい、獣の声——否、怪獣の咆哮。



 その正体は巨影と共に飛来した。




 「「竜!?」」


 

 二人とも声が裏返った。



 殺意を帯びた巨影は俺たちのすぐ目の前に着陸し、その翼を広げれば背後の空をも隠す巨大さ。翼も合わせれば20メートルくらいはあるのだろうか。翼の一振りで台風みたいな強風が吹き荒れ、木々が倒れていく。俺たちは地面を鷲掴みにして、身を小さくするしかなかった。


 「そっか、今日は年に一度の妖低気圧アテマの日。竜が降りてきた……」


 「ききききききき騎士様! めっちゃ強そうなの来ましたよ! あれどうやって……


 「……ごめん。無理」


 「……へ?」


 「本当は……私騎士じゃない。私は騎士訓練校を中退した、ただの元騎士候補生……」


 「……え」





 「私は幼竜専門だから……この竜は倒せない」








 





 これが絶望の淵に立つというやつか。


 風が止み、竜は色鮮やかな瞳孔で俺たちを俯瞰していた。車くらいある大きな口から垂れる唾液。腹を空かせた生物から放たれる食欲という名の殺意。竜は王者の風格を放ちながら巨体を動かし、地へ伏せた俺たちへ寄っていく。


 恐竜映画のモブみたいな最期が俺へ差し迫っていた。




 「…………ちたい。…………だちたい。」



 隣の元騎士候補生が何か言っている。竜の唸り声で最初は聴こえなかったが、


 「……最後の時くらい、騎士として誰かの役に立ちたい……!」


 振り絞って、力強くそう言っていた。


 元騎士候補生は手で拳を作り、剣を握りそれを支えにゆっくりと立ち上がる。一瞬、彼女の背後から風が吹いて、雪色髪と騎士の赤いスカートが靡いた。その一コマは英雄の肖像画のような浪漫と美しさがあった。


 彼女は何かを決心した勇猛な表情で、竜と対峙する。その目は燃えていた。雪色の肌を溶かしてしまうくらい、熱く、輝こうとしていた。


 「薬屋の人、町の人に言っておいて、


『“竜殺しのイリィス”は勇敢にも竜を食い止めて、朽ち果てた』 


 ——と」




 イリィスは


 








 手を広げ、竜の殺意を受け入れるかのように、その身を委ねる。




 「……お、おい!」



 竜の巨口が扉のように開いていく。エンジン音のような息遣いと視界いっぱいに広がる凶悪な歯牙たち。到底、人間が敵う生物じゃない。まさに幻想から飛び出した虚構のスケール。俺は恐怖することしかできない。




 

 「私が食べられている間に逃げて……さぁ竜よ、お食べ」





 イリィスの小さな後ろ姿が竜の巨口へ吸い込まれていく。





 待て



 待て待て待て、



 この光景……俺は知ってる。






 不意に頭に過ぎる、前世——瀧莉子がホームから飛び込む映像。








 

 

 重なる。目の前の光景と。






 俺は——









 イリィスの小さな手を取った。



















 「一緒に逃げよう!!!!」










 前世の無念を晴らす勢いで。

 腹の底から——心の底から叫んだ。




 竜の巨口が閉じる寸前だった——イリィスを引っ張り、それが功をなして竜のを不発に終わらせることが出来た。そこで生まれた、ほんの僅かな隙。

 

 竜に背を向け、

 駆けた。ただただ駆けた。

 イリィスと共に。



 心臓が破けそうになるくらい必死に駆けた。彼女の手は絶対に離さない。背後で何が起きているのか、竜がどこまで追い着いているのか知らない。今はただこの子と逃げることだけを考えて、急な斜面が続く山道を下る。次第に身体に掛かる重力が増して、自分の力では出しえない程のとてつもないスピードが出てる。


 足はもはや制御不可。このまま斜面を下り続けたら足から骨が飛び出してしまうかと思うくらいの勢いだ。

 『転けたら死ぬ』そう思いながらもイリィスの手の感覚を感じて、


 彼女をまだ掴んでいることを掌で確認して、




 駆けて駆けて駆けて。














 ——まさにこれは俺とイリィスがこの異世界を駆けていく物語。


 この時はまだ駆けいるけれど、俺たちは後にこの国の——いや、世界を揺るがした二人として名を馳せることになる。


 この日の出会いが無ければ俺は元薬屋の廃人だったかもしれないし、イリィスは騎士の格好をした変人として生涯を終えていたかもしれない。 

 

 しかし、貧乏を凌ぐ為に山に赴いた二人が

運命の出会いを果たしてしまった。



 これから始まるのは、


 “世界で一番悪い奴ら”と称された者達の旅路の物語である。

 


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