第12話 夢

 身体の節々が痛む。

 腰や膝を曲げ伸ばしすると、骨がギギギと擦れるようにきしんだ。奇病の手足が硬直するという症状はこんな感じなのだろうか、と考えた。


 尾骨が痛くて座りたくないので、ソファを借りて横になった。

 しばらく身体を落ち着けていると、だんだん眠くなってくる。


 ふと、邸宅に向かっている途中に思い出した夢が、また頭をよぎった。


 「……君が死ぬ夢を見たんだ」


 気が安らいで、考えていることが口をついて出た。

 ヴィルは床に座り込んで、真摯な目で私を見つめた。


 「断片的だから、前後はわからないけれど。屋敷に来たばかりの頃に見たんだ。君を治す自信がなくて見た夢なのかもしれない。でも、もしかしたら予知夢なのかもしれない、本当に起こるかもしれない、って考えた」


 平凡な夢であれば、目が覚めればすぐ忘れてしまう。


 けれど、その夢は現実的だった。

 その場の空気や感覚のすべてが鮮明で、夢を見ているあいだは現実だと思っていた。


 得体の知れない奇病を、名医ですら解決できない奇病を、メモ書きひとつの情報で治そうとしていた私にとってその夢は衝撃的だった。


 「だけど、僕は治った」

 「うん。君が回復していったのを見て、安心したんだよ。あれはただの夢だったんだ、って思えた。だけど、奇病の原因は判明していない。完治しても再発する可能性はある。夢が現実になる可能性がある。だから、手紙を読んだとき……すごく、怖かった」


 今でもあの夢をはっきり思い出すことができる。


 ベッドで眠ったまま動かなくなったヴィルを見た瞬間、何が何だかわからなくなって立ち尽くすしかなかったときの、どうしようもない気分をはっきり覚えている。


 ヴィルは私の手を握って俯いた。


 「僕のわがままだった。どうしても、先生に会いたかったんだ。でも、これは僕が悪いと思っている。もうこんなことは絶対に、二度としないから……」


 先生、僕を嫌いにならないでくれ、と切実な声で訴える。


 私は苦笑して、彼の頭を撫でた。

 やわらかい髪が手のひらに馴染んだ。


 「嫌いにはならないよ」


 彼の頭に伸ばしていた私の手を取って、ヴィルはそれを額に押し当てたまま、しばらく黙っていた。

 喉が渇いたので水を求めると、ヴィルは素早く立ち上がって部屋から出て行った。


 私はソファに横たわったまま、改めて部屋を見回した。


 城の外観が殺風景だったので中もそうなのだと思っていたけれど、ヴィルの部屋は物が細々としていて生活している者の存在を醸し出していた。


 天井と床は整った木目で、壁は目にやさしい緑色をしている。

 窓から差し込む月明かりと、暖炉についている火が暖かい印象を与える。


 視界の端に、白い花が映った。

 ベッド横の窓辺に、ガラスの花瓶が置いてある。そこに白い花が束になって差してあった。手紙と一緒に贈られた花と、同じ形をしていた。


 屋敷でも活けていたから、あの花がお気に入りなのだろう。

 書斎机の上には乱雑に散らばった書類や、棚から取り出して放置された本がある。


 こういったものを見て、屋敷にいた頃のヴィルがここで生活しているのだと実感した。


 少し経って、扉からヴィルが顔を覗かせた。


 「先生、何も食べていないんじゃないか?」


 確かに食べていないけれど、食欲はなかった。

 ヴィルは扉を開けたまま廊下で使用人に短く指示して、部屋に戻ってきた。


 「今、消化にいいものを用意させた」


 そう言って、水の入ったコップを差し出した。


 「客室を掃除させているから、今日は泊まっていくといい」


 私は身体を起こした。

 水を飲むと、眠気が覚めてきた。


 王宮には、ヴィルが体調を崩したという話はすでに広まっているだろうから、私が泊まっても怪しまれることはないだろう。

 これからまた馬車で帰るのは辟易するので、ありがたく泊まらせていただくことにした。


 ふと、彼の書斎机にある封筒が気になった。

 封蝋が王家の紋章だったからだ。


 晩餐会のときに話していた、ロゼッタ王女からの招待状だと思われる。


 「何を見ているんだ?」


 ヴィルが不思議そうに私の目の先を見た。

 私は起き上がって、書類に紛れている封筒を手に取り、彼に差し出した。


 封は開いたまま、金の文様で縁取られた便せんが顔を出している。


 この招待に応じ、デビュタントのパートナーとして出席すれば、ヴィルがロゼッタ王女の婚約者だという認識が世間に広がっていく。


 ふたりの婚約は政治的な意味で決められた。

 だからこそ、招待を断るという選択肢はヴィルにない。


 「私が言いたいことはわかるね?」


 封筒を手渡すと、ヴィルは真剣な顔になって私を見返した。


 「これについて話したいことがあったんだ」


 私は嘆息した。


 「何を話したって、君がロゼッタ王女の婚約者であるという事実が覆ることはないんだよ」

 「僕だって考えなしに先生を好きだと言ったんじゃない」


 ヴィルは強気に言い放った。


 「立場も状況も理解している。それでも、先生を諦めたくないんだ」


 彼のまっすぐな性格を私は好ましく思っていたけれど、同時に意地っ張りでもあることを思い知らされた。

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