第5話 告白
ヴィルは閉まった扉をしばらく見つめていたが、不意に振り向いた。
そして私を頭から足元まで眺めた。
私は窓を背にして、座っているヴィルを見返した。
「その恰好も似合っている」
私が着ているのは使用人の制服だった。
襟足の立った、簡素な黒いドレスだ。
宮殿の使用人を管轄する者として、胸元に記章がついている他は地味な見た目だった。
「それは、褒めているの?」
ヴィルは一瞬不思議そうな顔をして、慌てて手を振った。
「使用人の恰好がお似合いだと言ったんじゃなくて、意匠が似合っていると言いたかったんだ」
思ったことをそのまま口にするのは相変わらずだ。
ヴィルは武力勝負の世界で生きてきたから、言葉を小賢しく使う必要はなかったのだろう。
彼の言動の危うさは、こういう生い立ちにある。
王宮は言葉が足取りとなる世界だ。
きれいなドレスを着て、言葉を着飾る貴婦人を私はたくさん見てきた。自分の気持ちをストレートに伝える人は、彼以外に知らない。
馬上で人を殺すことを生業としているのに、心は貴婦人よりも清らかに思える。
その体裁と内面の食い違いが、彼の魅力でもあると私は思う。
「にしても、コンジュアの茶は苦いな」
これをオフィーリア様の前で言わないくらいの分別はついているらしい。
「花茶なんだって。コンジュアではよく飲まれるお茶だそうだよ」
私もオフィーリア様に勧められて飲んだことがあるけれど、実際に苦い。
茶葉のように花びらを干して、それをお湯に入れる飲み物だった。
花の独特の渋みがある。
石鹸のような爽やかな香りがするので、味というより香りを楽しむお茶なのかもしれない。
花の種類によって味も変わるけれど、オフィーリア様が淹れるお茶はどれも苦かった。
彼女の腕前の問題ではなく、それが主流らしい。
本国デスティントでは果物の皮を擦ったお茶はあっても、花びらを入れたお茶はなかった。
「先生が煎じてくれた薬も、花を使っていたな。コンジュアでは花が薬なのか?」
「黒い花は薬らしいけれど、このお茶はどうだろう」
養父が残したメモ書きには、奇病には黒い花を煎じた煮汁が効くと書いてあった。治療法については、ただそれだけだった。
他に特別な調合をすることはない。
私は花について詳しくないので黒い花の例が思い浮かばなかった。
オフィーリア様がコンジュアから観賞用に取り寄せた色とりどりの花の中に、ちょうど黒い花があった。
それをいただいて、煎じてヴィルに飲ませたら本当に回復したのだ。
薬師のノアはこの黒い花に興味を持って、デスティントに咲く黒い花でも効くのかと試してみたけれど、奇病にはコンジュアに咲く黒い花だけに治療効果があるようだった。
「そういえば、ノアはどうしているの?」
「邸宅に戻ってからも、相変わらず奇病の原因について調べているよ。僕がかかった奇病はコンジュアの病である可能性が高い、と言ってコンジュアへ行きたがっている。彼は薬師から研究者に転職したほうがいいんじゃないかと思うよ」
「治療法がわかっても、原因がはっきりしないと釈然としないんだよ。私も原因は気になるな」
不意に、ヴィルは目を伏せて微笑んだ。
「こうして先生と話すのは、久しぶりだな」
「屋敷を離れてから一週間くらいしか経っていないよ」
「その一週間がとても長く感じた」
あんまり痛切そうに言うから、茶化そうとしていた私は何も言えなくなった。
私に手紙を送ったこと、花を贈ったこと、ロゼッタ王女と婚約しているのだから私と距離を置いてほしいこと――ヴィルに伝えたいことは色々あるけれど、今の空気では何となく言い出せない。
「……私はもう君の先生ではないよ」
さり気なくそう言うと、ヴィルはあっけらかんと「ああ、そうか」と言って、でも癖で呼んでしまうんだと付け足した。
半年も先生と呼ばれていたので、今さら名前で呼ばれたら私としても少し違和感があるかもしれない。
「せめて、人前では呼ばないでね」
私は苦笑しながら言った。ヴィルは頷いた。
「先生、僕は先生のことが好きだよ」
突然、何の前触れもなく言われて驚いた。
途端に、複雑な気持ちになる。とても無責任な言葉に思えた。
「邸宅に戻ってから、よく先生のことを考えた。半年のあいだに、僕は先生がいることが当たり前になったんだ」
「……そう」
彼に告白されるのは初めてだった。
私はずっと、それを恐れていた。
切り出すなら今だろう。
けれど何から話せばいいのか、どうやって言葉にすれば彼を傷つけずに伝えられるか、頭の中で考えていると落ち着かなくなった。
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