第4話 参内

 本当ならオフィーリア様は王妃ではなく、王太子妃になる予定だった。


 王太子であるアンリ殿下には妃がいらっしゃらない。


 けれど国王陛下は、オフィーリア様を自分の妃として迎えた。

 肖像画に一目惚れされたのだ。

 ゆるく波打ったやわらかい色の金髪と、滅多に微笑まない気の強そうな目をお気に召したらしい。


 和平の証として送られてくる王女を愛人にはできないので、陛下は元いた王妃を愛人になり下げ、オフィーリア様に王妃の位を授けた。


 元いた王妃がモーガン夫人だ。


 モーガン夫人はアンリ王太子殿下とロゼッタ王女の実母であり、寛大な王妃だと賞賛されていた。

 女性にだらしない一面のある陛下が、愛人をいくら作ろうと咎めることはなかった。


 代わりにモーガン夫人は、愛人との子どもに位を授けないことを条件とした。

 アンリ殿下とロゼッタ王女が権力争いに巻き込まれないように、と配慮してのことだった。陛下がこれを聞き入れたので、モーガン夫人は不貞に目を瞑っていた。


 自分の子どもだけでなく、国民に対しても身に寄り添った行動をする、よい王妃だと慕われていた。

 けれど、オフィーリア様が王妃となられてから、モーガン夫人は人が変わったように無謀な言動を繰り返した。

 自分の娘と同じ年齢の少女に王妃の位を奪われたことで、プライドが傷つけられたのだろう。


 陛下もオフィーリア様とモーガン夫人の関係を気にされて、今はどちらにも寵愛は向いていなかった。


 モーガン夫人が王妃であった頃に築いた地位は堅固なもので、未だにモーガン夫人を支持する貴族は多い。

 それに比べて、オフィーリア様には後ろ盾がない。まだ成人しておらず、社交界に出ていないので仕方がないことだった。

 今は宮殿にこもって、籠の中の小鳥のような生活をされている。


 そんな中で、私がヴィルと近しい距離になってしまったら、今度は私がロゼッタ王女から婚約者を奪うことになる。

 モーガン夫人とロゼッタ王女を敵に回せば、おそらく王太子のアンリ殿下からも敵視されるだろう。

 そうすればオフィーリア様の立場がなくなってしまう。


 おこがましいかもしれないけれど、私にとってオフィーリア様は家族のような方だ。


 私は今まで、自分が生きるためだけに働くという空虚な人生を送ってきた。

 オフィーリア様と出会い、傍仕えとして選ばれたことで、私は彼女を支えるという存在意義を見出すことができた。


 オフィーリア様を失えば、私は自分に価値を感じなくなるだろう。


 オフィーリア様と過ごした時間は一年しかないけれど、それでも彼女にはとてつもなく惹かれる何かがあった。

 一昨年の秋に出会ったとき、彼女の何かが私の琴線に触れたのだ。



***



 私が手紙の返事をしないまま、ヴィルが参内する日がきた。

 謁見の間には陛下とオフィーリア様がいらっしゃる。私はオフィーリア様の後ろに控えていた。


 彼の父親であるデレク・ローレンス卿も同行していた。

 ローレンス卿はヴィルを見舞いに屋敷へいらっしゃったことが何度かあり、そのときに挨拶を交わしたことがある。


 気さくなヴィルとは違い、ローレンス卿は寡黙な人だった。


 見舞いにいらしてもヴィルの様子を見るだけですぐお帰りになられたので、彼について知っていることはほとんどない。


 ヴィルは金の刺繍が入った黒い軍装を着ていた。

 彼の畏まった姿を見るのは、今回が初めてだった。


 気のゆるみがない、堂々とした足取りから貴族としての気品を感じた。同時に、彼が遠い人だと実感した。


 私は自分の力で彼を治したのではない。

 たまたまオフィーリア様に推薦され、たまたま養父のメモ書きを見つけた。

 この偶然が揃っていたからヴィルを介抱する機会が訪れたのであって、本来なら私はヴィルの目に触れることすらない身分だ。


 オフィーリア様の後ろとはいえ、私が檀上から彼を見下ろしているのは不適当に思える。


 礼を受けるのは両王陛下で、私はヴィルとローレンス卿が謝辞を口にするのを聞いていた。

 そのあと、陛下とローレンス卿が政務について話があるというので、おふたりは退室された。


 残ったヴィルに、オフィーリア様は親しげに声をかけた。


 「コンジュアのお茶を披露したいの。せび宮殿へいらして」


 そう言ってオフィーリア様は私に目配せし、宮殿へ案内するように仰った。私は目で頷いて、ヴィルの後ろに控えて道を指示しながら宮殿へ向かった。


 謁見の間を出て、長い廊下を歩くと人目に触れる。


 しずしずと廊下を行ったり来たりする使用人とすれ違いながら、私は無言でヴィルの後ろを歩いた。


 階段を下りるとき、ヴィルは先に一段下りると振り向いた。


 「先生、どうぞ」


 黒い手袋をした手が差し伸べられる。

 私は面食らって、しばらく立ち尽くした。周りを見て、人目がないのを確認すると、彼の手を指先でそっと押し戻した。


 「会わないあいだに口が利けなくなったようだ」


 ヴィルは茶化すように言う。

 私は微笑を湛えて黙っていた。


 どこで誰が見ているかわからないというのに、彼はまるで危機感がない。

 それも悪びれた様子がないのだから困った。


 白い石畳の廊下を歩いて、王宮の門を出る。


 そこから馬車で数分先の、湿った緑地帯の中にオフィーリア様が暮らす宮殿がある。

 王宮よりこぢんまりとしているけれど、王妃ひとりが暮らすには充分な広さだった。


 コンジュアはよく雨が降るので、曇り空の日が多いらしい。


 だから陛下は、オフィーリア様の故郷であるコンジュアの雰囲気に似せるために湿地帯の木陰の中に、暗い色の石レンガで宮殿を造らせた。

 モーガン夫人はこの宮殿を幽霊の館のようだと揶揄して近づきたがらない。


 ヴィルは宮殿を見て「まるで植物園だ」と呟いた。物珍しいものを目の当たりにしたときの反応だった。

 療養先の屋敷は日当たりのいい場所にあった。

 宮殿はそれと正反対の雰囲気を醸し出している。


 私は宮殿の客間にヴィルを案内した。

 少し遅れて宮殿へ戻ってきたオフィーリア様は、コンジュアのお茶をヴィルに振舞った。


 オフィーリア様はコンジュアを恋しく思われて、陛下に頼んで花やお茶を取り寄せることがある。コンジュアの花をインテリアに加え、お茶を自ら振舞うのはオフィーリア様の趣味でもあった。


 ヴィルはコンジュアの花に興味を持って、あれこれオフィーリア様に質問していた。

 オフィーリア様は質問に対して淡々と答えながらお茶を淹れたあと、すぐに客間を出て行こうとする。


 「王妃陛下はどこへ」


 困惑したヴィルの問いに、オフィーリア様は平然と答えた。


 「湯浴みをしたい気分になったから。私はこれで失礼するわ」

 「でしたら、私がお手伝いします」


 私が名乗り出ると、オフィーリア様は不機嫌そうに眉をひそめた。


 「大事なお客人よ。あなたが接待しなさい」


 そう言って他の使用人を連れて、客間から出て行かれた。

 気を遣ってふたりきりで話す機会を設けてくれたのだろう。

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