道士と傀儡2

 闇に沈む大通りは灯籠とネオンの明かりに照らされている。鼓膜を破りそうなほどの喧騒の中、夕嵐シーランは一人で石畳の敷かれた道を進んでいた。陽が落ち、鬼市が開かれてからすぐ、玄礼シュエンリーが起きないうちに確認したいことがあったのだ。


 何かを探すように周囲を見回していた彼は、ふと小さな露店の前で足を止めた。視線に気づいた店主の男は愛想笑いを浮かべて夕嵐に声を掛ける。


「お兄さん、お目が高いね。これは重明鳥ちょうめいちょうの目玉だよ。災厄を払う霊鳥だ」

 小瓶に詰まった目玉を指差し、彼はそう言った。吊り灯籠の明かりに透かすと、瞳が二つ重なっているのが分かる。

「瞳孔が二つあるんですね」

「それが重明鳥の特徴だよ。双睛ともいう」

 へえ、と呟き、小瓶を台に戻した。魔除けとしてはずいぶん上等な部類だ。ざっと台に並べられた商品を確認し、夕嵐は微かに眉を寄せた。


「――ちなみにこれ、誰から仕入れました?」

 笑顔で問うと、店主はわずかに警戒した表情で夕嵐を見た。

「なんでそんなこと訊くんだ?」

「いや、初めて見たので」

「悪いが、教えられないよ。当たり前だろう」

「そう言わず」

「買わないならさっさと帰りな」

 素っ気ない態度に怯まず、夕嵐は声を低めて囁いた。

「でも、重明鳥なんて滅多に手に入らないでしょう。目玉だけとはいえこんなに安いのはおかしい。誰から仕入れました?」


「……あんた、観光客じゃねえな」

 一転、剣呑な目つきになった相手を笑顔で見つめ、小さく肩をすくめる。

「確認したいだけです。管理局に通報なんてしませんよ」


 不穏な空気に気づいたのか、近くにいた人々が夕嵐の周りから遠ざかった。夕嵐を睨む店主は、目を逸らさないままゆっくりと身を屈める。

 思ったより当たりを引いてしまったかもしれないと、他人事のように考えた。



「あれ、夕嵐さん?」


 唐突に呼びかけられ、夕嵐は一瞬表情を失くした。

「ああ、やっぱりそうだ。何してんすか」

 振り返ると、宇岡がいた。

 彼は眠そうな目で夕嵐と店主を見比べ、軽く首を傾げる。

「……なんか邪魔しました? すみません」

「いや、そんなことないよ」

 咄嗟に笑みを取り繕って、宇岡の腕を引っ張って露店から離れる。


「え、あの、なんか買い物してたんじゃないんですか?」

「もういいからさっさと離れよう。刃物を出されたらちょっと困る」

 刀剣の類は、鬼市の中では護身用の呪具として所持が許可されている。あの店の台の裏にも置かれているのを知っていた。だが今は右腕を使えないので、あの店主が斬りかかってきた時に宇岡まで庇う自信は無い。

 宇岡は驚いたようだったが、大人しく従った。



「……すみません、あの、今から事務所の方に伺おうと思ってたんです。遺体を、そのー、回収しないといけないじゃないですか」

 小声で言われたその言葉に力が抜けた。十分離れたと確認してから歩調を緩めて手を離す。

「ごめん、驚いたんだよ。知り合いに会うと思わなかった」

 脇の路地に逸れて壁に凭れる。動揺が表に出ない身体で良かったと、初めてそう思った。


 宇岡は気まずそうに目を揺らし、遠慮がちに言った。

「本当に、体温無いんですね……」

 ああ、と思わず声を漏らした。

「そうだね。冷たいだろ」

 手をひらひらと振って見せると、宇岡は表情を緩めた。

「尾崎さんに聞いちゃって……すみません」

「別に隠してないからいいよ。怖がる人もいるから言わないだけで。死体が動いてたら嫌だろ?」

「そう――かも。でもあんまり死体っぽくないですよ。あ、いや、悪口じゃなく」

「それは玄礼のおかげだな」

 そうなんですね、と呟いた宇岡の顔に一瞬翳が落ちた。怪訝に思う間も無く、それは消える。


「でも玄礼さんは、何のためにあなたを――作ったんですか?」

 ぽつりと問われ、虚を衝かれて一寸黙った。夕嵐はまじまじと宇岡を見つめる。

「僕の家族がもし死んだとして、その死体を動かしたいとは思わないなって。やっぱ、ちょっと嫌なもんじゃないですか」

 宇岡は独り言のように言ってから、はっとしたように目を瞬いた。


「あ、すみません。要らないこと言いました」

「いや、俺もそう思うよ」

 夕嵐はゆっくりと頷いた。

「玄礼が何のために俺を使ってるのか、正直よく分からなくて困ってるんだ」

「は……?」

「――もしかしたら、便利なお掃除ロボットくらいのつもりなのかもな」

 破顔して言うと、冗談だと思ったのか宇岡は付き合うように笑った。ただ顔色は悪い。


「宇岡くん、玄礼のことが怖くなった?」

 問うと、彼は分かりやすく狼狽えた。

「いや、うーん……どうっすかね……」

「普通は怖いよ。倫理観ぶっ飛んでるよな、あいつ。兄貴の死体を道具みたいに使って」

「……あの」

 宇岡は躊躇いがちに口を開いた。

「でも、あなたは玄礼さんの兄では――」

 夕嵐が瞠目した時、不意に表の通りで悲鳴が上がった。



 わずかに遠いが、悲鳴は切迫している。夕嵐はすぐ路地から飛び出し、遅れて宇岡も続いた。

 火事だ、という怒号が聞こえた。まさかと思う。迫る夜闇に立ち上るいっそう黒い煙と炎。遠目からでもよく見えた。

 方角は――玄武門。


「あ、あれ、あっちって、事務所の方じゃ」

 青ざめる宇岡に答える余裕は無かった。無意識に拳を握りしめ、爪が皮膚に食い込む。痛みは無い。ただ身体中から力が抜けて、眩暈がするほど吐き気がした。

 ――玄礼を置いてきた。

 莫迦だった。上手くいけば一人で片付けられるかもしれないと欲を出したのだ。玄礼が死んだら意味が無い。



 唐突に走り出した夕嵐を見て、宇岡は慌てて追いかけた。玄武門の方から逃げてくる人々とぶつかりながら必死に夕嵐の背を追う。

「ちょっと、待って、くださいよ!」

 尾崎に連絡しなくてはと頭の片隅で考える。それもすぐ、押し寄せる人の多さに呑まれてしまった。


 夕嵐は躊躇いもせず通行人を押しのけていく。玄武門に近づくほど人はまばらになり、やがて燃え盛るビルが見えた。時折爆発するような音が響いて、その度に火の勢いが増す。野次馬さえおらず、通りには砕けたコンクリートやガラスの破片が散っていた。


 焦げ臭さと熱気が吹きつける。夕嵐は蒼白な顔でビルを見つめ、すぐに入り口へと向かった。火の海と化したビルの中に本気で入ろうとしているのが分かり、宇岡は慌ててその腕を掴んだ。

「何やってんですか! さすがにヤバいっすよ、これ!」

「玄礼が中にいるかもしれない」

 夕嵐の声は一切の感情を失くしていた。

「死んでたら――とにかく、確認しないと」

「でも、とにかく、尾崎さん呼ぶんで」

 焦って携帯を取り落としそうになり、その隙に手を振り払われた。なおもビルに向かおうとする夕嵐に唖然とし、どうすればいいのか分からず立ち尽くす。


「――馬鹿野郎!」


 いきなり背後から怒鳴られ、思わず身を縮めた。夕嵐は弾かれたように振り返る。

「勝手に、行動、するなって言っただろ!」

 喘鳴混じりに怒鳴ったのは玄礼だった。


 彼は向かいの路地の奥からふらついた足取りで出てきた。血糊で髪は濡れ、片足を引きずっている。力尽きたようにうずくまったのを見て、宇岡は慌ててそちらに向かった。


「うわ、だ、大丈夫じゃないっすよね。どうしよう、夕嵐さん――」

 夕嵐は半ば茫然としたようにうずくまる玄礼を見下ろしていた。玄礼は痛そうに額を押さえて宇岡を睨む。

「……尾崎さんとこのバイト?」

「あ、一応、はい」

「連絡、してくれますか……死体が……燃やされた」

 切れぎれだったが、十分意味は通じた。顔を強張らせた宇岡に対し、玄礼は淡々と続ける。


「知らない連中が、急に押しかけてきた。招魂されないように、だと思う。たぶん、昨日の女と同じ……」

 玄礼は思い出すように眉間に皺を寄せる。額の切り傷から血が溢れ、地面に点々と染みを作る。

「あの、先に手当てとか、した方が」

「いりません……それより先に、トランクを移動させる。夕嵐」

 呼ばれ、夕嵐はぎこちなく表情を作る。だがそれは笑みにもならず、妙に歪んでしまっていた。


 玄礼は貧血で朦朧としながら夕嵐を見上げて問う。

「お前、今まで、何してた……」

「――君が起きないから、ちょっと外に出てただけだろ。いつものことだよ」

 その言い訳を聞いているのかいないのか、玄礼は邪険に手を振った。

「嘘をつくな。……あいつらを入れたの、お前か?」


 一瞬、奇妙な沈黙が落ちた。宇岡は二人を見比べ、取りなすように曖昧に笑う。

「いや、あり得ないですよ。夕嵐さん、普通に鬼市歩いてたし……」

「そうだよ。ひどいな、俺が君を危険な目に遭わせるわけないのに」

 軽い口調で言いながら、夕嵐は手際よくタオルで額の傷を押さえる。玄礼は嫌がるように身じろぎした。

「じっとしなよ。ガラスか何かで切った?」

 痛むのか、玄礼は小さく呻く。タオルに血の染みが広がっていくのを、宇岡は茫然と眺めていた。


「玄礼、あのトランクは? 盗られた?」

 夕嵐が問うと、ややあって不機嫌そうな返答があった。

「……いや、別の場所に保管してある。たぶん、盗られてない。あれが何か見当はついたから、あとは管理局に任せる……」

「見当ついてたの?」

 夕嵐は驚いたように目を見張った。

「当たり前だろ。……夕嵐、トランクを持ってこい。いつもの場所にある。絶対に俺のところに持ってこいよ。途中で失くしたとか言っても信じないからな」

「信用無いな」

 苦笑して夕嵐は立ち上がる。そのままどこかに行ってしまい、宇岡は気まずく玄礼の方を窺った。玄礼はタオルで傷を押さえたまま、痛みを堪えるように目を閉じている。



「……宇岡さん、どこで夕嵐に会ったんですか」

 目を瞑ったままで唐突に訊かれ、戸惑いながら答えた。

「大通りの方です。店の前にいたから、声掛けて……あの、僕は遺体回収しに行こうとしてたんで」

「店? ……どんな?」

「よくある厄除け売ってる店です。なんか、重明鳥の目玉売ってたけど偽物っぽかったですね」

「へえ……」

「……」


 沈黙が居たたまれず、宇岡は何か言おうと口を開いた。

「あのー……えっと、なんというか、夕嵐さん、マジで玄礼さんのこと心配してましたよ。だから、その……」

 疑うのは良くないのでは、とぼそぼそ呟いていると、玄礼はわずかに口角を上げた。

「――あいつは俺がいないとただの死体に戻るから」

 玄礼の掠れた声は冷えていた。

「だから俺の言うことを聞いてるだけです。腹の中で何を考えてるのかなんて知らない」

 彼は薄っすらと目を開いた。


「夕嵐は完璧な傀儡じゃない。信じない方が良いですよ」


 宇岡はただ言葉を失って、玄礼の冷淡な目を見つめていた。

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ゴースト・ブレイク・タウン 陽子 @1110

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