第4話 最高裁判決

 令和●年●月●日 午前0時

 最高裁判所大法廷には静かなる熱が満ちていた。

 162席ある傍聴席は誰一人掛けることなく着席し、裁判が始まるのを心待ちにしている。検察・弁護のそれぞれの席にもすでに原告側、被告側が着席しているが、判決が出る日のためだろう、互いの手荷物は限りなく少ない。

 取り込んだ光で照らし出すことができる大法廷の巨大な吹き抜けからは、深夜の満月がちょうど真上に差し掛かり清輝が静謐を伴って降り注ぎ、凛とした輝きが空間に満ち溢れている。吊り下げられている巨大なタペストリーは前後が入れ替えられ、月のタペストリーが正面へ太陽のタペストリーが背面に据えられて夜の法廷であることを体現していた。

 法廷の両側に用意された記者席に腰を下ろしている熟練の記者達も、ペンを握る手に緊張のためだろう、時よりハンカチや服で拭って汗を拭きとっていた。

 やがて開廷の時間が迫ってくる。皆がまだかまだかと心待ちにしながら、腕時計をチラチラと見ては視線を裁判官席の方へと向けた。


「ご起立ください!」


 裁判官席の一つ下にある書記官長席の女性が立ち上がり、澄んだ声で叫んだ。最高裁判所長官が座る席の真後ろの門のように見える大扉が開かれる。そして最高裁判事が1人、また1人、と黒衣の法服ではなく、月下裁判での正装である白衣の法服を纏い、法廷内に姿を見せては、各自の席へと左右へ分かれて席へと腰を下ろした。


「着席願います」


 各自が腰を下ろし、そして、大法廷は白雪の積もった月夜の平原のように呼吸音以外のありとあらゆる音が消えた。


「開廷します」


 普段、そのような事を発語することのない、最高裁判所長官であり、そして裁判長が開廷を宣言した。そして左右に顔を向けて各裁判官と視線を合わせアイコンタクトをしたのちに、入室時に持ち込まれた使い込まれた革製のクリップボードファイルから、和紙でできたA4サイズほどの用紙を1枚取り出すと、それに視線を落として読み上げ始めた。


「本件事項は、主文、並びに最高裁判事全員一致の補足意見を述べるに留めるものとする。また、本判決文は特例にて妖精言語へと翻訳したものも含め、退廷時に各自へ配布するものとする」

 

 そこで言葉が切れ、そして、コホンと喉を整えるように咳を放った裁判長は、ゴクリと唾を飲み込んで姿勢を正した。


 判決文の読み上げである。


「主文、原判決を破棄する。また、補足意見として妖精管理法においては法の欠缺を否定できず違憲と判断する」


 響いた主文の読み上げの後、小さな、本当に小さな、消えそうなほどの泣き声があちらこちらから上がった。

 記者達が急いでいるが静かに法廷外へと出てゆき、扉の外で待機していた裁判所職員からペーパーを受け取って外へと駆け出していく。それに続いて傍聴席の数人もまた同じように最高裁の門前まで向かい法廷に入れずにいた支援者達やマスコミのカメラに向けて垂れ幕を広げていく。

 

 妖精に対して憲法下で庇護されるべきという画期的な判決であった。

 

 明朝、与野党合同で妖精管理法廃止を目的とした国籍法改正案及び関連法案が提出された。

 法務委員会での即日審議、即日採決ののち、開会中であった国会に緊急上程され、深夜の衆議院、参議院に両議会において採決にかけられ賛成多数で可決成立と至る。驚いたことに真夜中にも関わらず、首相自ら天皇陛下の元へ法案を大急ぎで上奏し、即日公布、即日施行となったことが、皇居前にて行われた首相記者会見において発表された。

与野党合同の異例ともいえる法案提出は物議を醸したが、鵺の住む政界で各党首が水面下で根回しを行ったのが功を奏したのは間違いないだろう。

 

 それから1年後、ちょうど法律施行記念日にあたる「妖精の日」に、職を辞した元裁判官は妻と小さな娘達に見守られて、その命を終えたのだった。

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