第3話 下すということ

 それから暫く過ぎたころ、いつも通りに出勤してすぐのことだ。

 上告審の中に妖精問題についての上告提起が上がってきていた。

 手元に届いた資料を紐解いてみると原告は妖精救済弁護団、被告は国となっている。

 判決の一部に疑問が沸いたがそれはすぐに解消された。大まかに言うならば、妖精の扱いに関して現在の妖精管理法で定められている法律上の定義は著しく生命を冒涜しており、所謂、動物愛護法に以下の扱いは生命倫理を冒涜し、そして、人間のと変わらない骨格と思考を有している生命に人権を認める必要があるとして訴訟が起こされていた。高等裁判所は「現在のところは法的にも違反ではない」という判断を下して原告敗訴となっていた。

 

「長官、審理のお時間ですが、よろしいでしょうか?」


「あ、ああ、もうそんな時間か」


 秘書の高林君が訴状をじっと読んでいる私に声を掛けてきた。周りの音が聞こえなくなるほどに訴状を読んでいたのは判事補の頃以来であった。どうしてここまでのめり込むのだろうと考えてしまうと、もちろん、我が家にいる「あや」と「まみ」のことも思い浮かんだが、それ以上に原告からは妖精を助けたい一心と、そして被告である国からの訴状にも、どうしてか、その気持ちを垣間見て読み取ることができてしまう。確定判決より何かしらのアクションを求めているような文面、こればかりは経験則であるので如何とも書き難いものがある。

 午前中の書類審理を終えて、第一小法廷にて判決を行ったのち、昼をかなり回った頃に長官室へと戻ると、困った顔をした高林君が長官室のテレビを見つめていた。


「どうしたの?」


「あ、長官…。その…このニュースなんですが…」


 リモコンを操作して公共放送のニュース録画を高林君が再生してくれた。

 そのニュースに私は思わずため息を漏らしてしまうほど驚いてしまった。


『ベンチャー企業、一般家庭用の妖精を開発、コスト削減によって実用化を急ぐ』


 正直、人間は堕ちるところまで堕ちることができるのだと実感した。

 法は確かに万能ではない、いや、最高裁長官がこのようなことを言うのは危険なことなのかもしれない、だが、法によって社会が救われているのだ。その万能ではない法を私達は判決によって育てていくのもまた使命だ。間違いを正し、正しい法を示すことこそが司法の番人たる我々の矜持でもある。

 長官机の上に置かれている銅像に不思議と視線が向いた。そこには絹子からプレゼントされたブロンズでできた正義の女神の銅像が置いてあったが、その背中から何かを問われているように思えてならなかった。


『自身の正義にも悖ることなかりしか?』


 ふと恩師の法学部東山教授の言葉が頭の中で聞こえてきた。

 地方の高等裁判所事務局長に転勤となった際、その直前に辛い判決を下した裁判があった。それが終わり一息もつかぬうちに異動の内示が出たため、高齢で持病の悪化して都内の病院に入院していた恩師を訪ねた。これが最後の挨拶をすることは明らかであった。先生は私のその裁判の委細をしっかりと存じていらっしゃって、昔の威風堂々、矍鑠とした姿からは想像もできぬほどにやせ細り、病人そのものであったけれど、その眼にはしっかりとした力が籠っていた。

 幾ばくかの会話の後に話の終わり頃に先生がそのように訪ねてきたのであった。


『はい』


 目を見据えてそう返事をすると先生は深く頷き、それ以降は学生時代の馬鹿話で忌憚なく笑われ怒られた。

 女神の背中とそして恩師の言葉が最後の背中を押してくれていたのかもしれない。

 一呼吸おいた後、黛副長官へと電話を掛けて相談を行い、私は上告提起を受理し大法廷審理として取り扱うことを決めた。それに際して黛副長官には我が家で妖精を保護していることなどを包み隠さず伝えたが、黛副長官は一言、「知るべきものを知ってることが悪いこととは限らんでしょう」とピシャリと言われてしまった。

 まだまだ、研鑽が足らないと恥じ入るばかりだ。


 書面審理を始めると高等裁判所の判決を確認しながら14人の裁判官と共に書面審理を進めてゆく。

 

 妖精の生物としての判断については、東京大学の某教授、東北医科大学の某教授、各医師の意見を聴取した。

 ①人間の遺伝子を基にしていること。

 ②解剖学的所見からにおいても、羽を除き人体構造上同等であること。

 ③知的思考においても、成長過程を伴っていないために断定的なことは言えないが、人間と同程度の思考的判断は可能であること。人工生育槽内での個体に対する職業プログラミングは「教育」と言っても過言ではなく、事実、その後、生育槽より生まれ出でた成体が製品として作業に着くまでにおいて何ら問題点がないことにおいても、人間と何ら変わりはないと考えることが妥当である。また、知能指数判定を行った外国文献によればIQはかなり高い。人間と同等の教育を施した場合においても、人間よりも高い知能を得る個体が発生する可能性は十分にあり得るだろう。

 ④肉体において、人工生育槽で生育されるために生まれ出でた時より成体個体であるため判断することはできないが、成長過程は人間のそれとほぼ同等に近しい。

 

 かなりの長文の意見であったが、要約すると上記の点に纏まる。


 生物として限りなく人間に近いことが証明できてしまえば、現在の妖精管理法などを焦点を当てて調べてゆくことなり、以後、私は基本的方針のみを提示して後ろへと下がり、黛副長官の陣頭指揮の元に書面審理は進んでいった。

 私の後任は黛副長官と内閣総理大臣へお伝えしている。臨時長官の私はあくまでも繋ぎとしての役割を期待されていて、もう間も無く退官が受理されることとなっていた。なぜ退官を急ぐのか、それは理由は余命が付く病気に罹患していて、命の灯火の時間は刻々と蝋燭を溶かしているからである。最後まで裁判官であり続けることも正しいことかもしれないが、臆病な私は裁判途中で体調を壊すことが恐ろしくて、職を辞すことを選択した。

 もちろん生半可な気持ちでこの職務が務まる訳もなく、粛々とこなしながら、その職責を汚さぬように勤めてはいる。


 審理が中盤に差し掛かってきた頃、例のベンチャー企業が更に研究に力を入れ始めできて実用化一歩手前までと世間を騒がせ始めた。先進各国からは非難の声が上がり、妖精伝説と繋がりの深い北欧からは国交断然の危機さえ囁かれ始めてもなお、ベンチャー企業は開発の手を緩めることなく突き進んでいた。

 この件については政府の対応は遅く、首相はこの問題を政治決着で処理をするつもりはないらしい。司法の判断を待ち、検討を重ねると記者会見で述べて、こちらへボールを投げて寄越してくる始末だ。

 最高裁判所の前には妖精裁判の支援者が集まり国会前で行われている集会のようにシュプレヒコールを上げながら、私達の判決の遅さの非難を始めていた。


「あなたも大変ね」


 色々なことでクタクタになりながら帰宅し、玄関先に座り込んだ私を見て、絹子やあや、まみが憂いを浮かべていた。


「大丈夫、これが仕事だからね」


「ええ、理解はしています。でも、大切な夫であることも分かってください。あや、まみにとっても大切な人なんですって」


 可愛らしく頷いてくれる妖精の2人に、ありがとうと声をかけて頷き返すと、和かな頬笑みを返してくれたので、きっと子供か孫がいたなら、こんな気持ちになるのだろうか、と思わず想像してしまった。

 絹子にはかなりの心労をかけてしまっていたようで、本当に申し訳ないと詫びる他はない、事実、私の背中に温かな額をつけて優しい言葉をかけてくれていて、勿体なさ過ぎるほどの素敵で立派な妻だった。

 肩に乗せられた手へそっと手を添えて、温もりを味わいながら感謝の言葉を口にした。


 2か月を経て書面審理が終わり遂に結審を迎えた。

 判決文を隅々まで読み確認してゆく、過去判例を再確認などを行い、数行ほどペンを走らせて修正を施しては差し戻して文面を整えて行き、やがて最終的な判決文へと至った。


「黛くん、今回の判決なんだけども」


 長官室で最終の判決文を再度確認しながらそう声を掛けると、応接椅子に腰かけて若干の疲れを見せていた彼がこちらへと顔を向けてきた。スッとした顔立ちに引き締まった口元、目は眼力が強くて、判決を下す姿は仁王のようであると揶揄された彼の、人間らしい一面を見れた気がして少しだけ私の頬が緩む。


「どうされました?」


「妖精言語でも作成用と考えているのだが、どうだろうか?」


「それは…、良いことだと思います。その判決文に更なる重みを感じて頂けるかもしれませんね」


「ありがとう、事務方にお願いしてみるよ」


「しかし、長官、本当によろしいのですか?、この判決を下せば…」


「いいんだ、これでいいんだ、間違いはない。それに私の最後の勤めだよ」


 卓上の正義の女神を見つめながら私はそう呟いた。

 自宅にいる妖精は自分で考えて自分で行動し、そして自己完結で生活を営むことができている。それは原告、被告双方から提出された書類にも記されている。

 それならば、世間からどういわれようとも、正しい判決を下さなければならない。


 それが、この職に就いた者の、使命なのだから。

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