第2話 知るということ

 前任者が心筋梗塞で亡くなってしまい、急遽、臨時の最高裁判所長官となって数か月が経過したときのこと。

 いつもの通りに仕事をこなし、いつも通りの時間に退庁して国立劇場の脇を歩いていた時、視界の片隅に見えていえた生垣が不自然に揺れていたので思わず気になって足を止めた。


「‥‥」


 小さくか細い声が聞こえてきた。

 それは恐怖に震えるような声でいて、声の元をたどる様に覗き込んだ先には、妖精がこちらを見て私が見つけてしまったことに恐れおののいて震えていた。製造時にはしっかりとしていたはずの体躯も小枝のようにやせ細って肌の血色もかなり悪く、1人目に隠れていて気がつかなかったが、その奥に身を横たえた妖精がもう1人いた。

 前者の妖精は右手がなく、後者の身を横たえている妖精は両足がなかった。透き通り美しかったであろう羽はまるで網戸のように穴だらけで、工場かまたは商業施設から逃げ出し、ここまで必死になって飛んできたのだろう。近くに転がっている煙草の吸殻の表面には何かがベットリと張り付いていて、妖精達の傷口を見るにそれで無理やりな止血をしたことは明らかなことが容易に想像ができてしまう容姿だ。

 現在、各地方裁判所や高等裁判所において公判中の訴訟の1つであり、国際的な問題となっている妖精。それが私を見て震えながら両手を合せて拝むように見逃してくださいと言わんばかりの身振り手振りで訴えていた。


「大丈夫、なにもしないよ」


 肩掛けのダレスバックからポケットティッシュを取り出し数枚を取り出して、驚かさないようにゆっくりとした動作で妖精たちへと差し出した。右手のない妖精がしばらく様子を伺うようにこちらを見たのち、震えている細い左手が伸びてくる。やがてティシュを受け取ると、横になったままの両足の欠けた妖精の身体にそれを被せた。

 手当てのつもりだろうか、だが、掛けられた妖精の体は濁ったような皮膚色をしていて、このままいけばその小さな命は消えてしまうのは間違いないだろうと容易に想像ができる。季節は真冬だ。この厳冬下に薄着の妖精達が生き残ることは難しい。なにより、このような場所に居ては野生動物、ネズミや猫に襲われる可能性もある。傷口はもしかしたら襲われた後なのかもしれない。正常な状態なら撃退できるほどの力を持つ妖精だが、このままでは早晩、生きてはゆけないだろう。

 鞄を再び開いて予備に入れておいたハンカチを取り出した。そのまま手の上に広げてから、そっと妖精達の近くの地面へ手を差し向ける。ゆっくりと頷いて見せて敵意がないことを勝手にアピールしながら手のひらを数度揺すってみた。

 数分の迷いが妖精達には見受けられた。

 当たり前だろう、妖精達に非道な仕打ちをして痛めつけたのは人間であるのだ。恐れ慄き警戒されてしまうこともしかたない。だが、今の私にできることはその時間を待つことだけであった。しばらくじっと見つめ合いながら待ってみると、それが功を奏したのだろうか、寝たままの妖精を抱き寄せたもう一人の妖精が震える足で手の平へと乗ってくれた。

 スマホのバイブレーションと同じくらいの震えが私の手の平に伝わってくる。


「ありがとう。家へ行こう」


 こんなおじさんの笑顔では喜ばれないかもしれないが、私は微笑んで見せてから寒い風が当たらないようにハンカチで妖精達を包み、姿を隠す様にして帰路を急いだ。


「あら、お帰りなさい。早かったわね」


 裁判官舎の階段を年甲斐もなく小学生のように二段飛ばしで駆け上がり、肩で息をしながら扉をやや乱暴に開けて帰宅すると、ちょうど土間の靴箱の上に置かれた植木鉢の花に水やりをしていた妻の絹子が驚いたような顔をしてこちら見ていた。確かに足早に帰ってきたせいだろうか、玄関にある掛け時計はいつもよりも30分程度は早い帰宅時間を告げている。


「ただいま、すまん、救急箱を用意してもらえるか?」


 そう言うと妻の眼の色と血相が変わった。昔から顔に出やすい質なのであからさま過ぎるほどに分かりやすい妻だ。


「どうされたの!?」


 慌てて駆け寄ろうとしてくれる愛しく優しい妻に首を横に振って自身のケガではないことを告げて、手の平のハンカチを開いて隠れていた2人を見せた。

 一瞥してすぐに何かを察してくれた妻が手に持っていた霧吹きを鉢花の横に置いて室内の廊下へと足を上げた。


「見捨てることができなくてね」


「綺麗なタオルや救急箱をもってくるから、そのままリビングの机の上まで連れて行ってあげて」


「ああ、分かった」


 都内医学部の外科教授をつい最近退任したばかりの姉さん女房の絹子は、廊下の途中にある自室へと救急箱や処置に必要な器具などを取りに足早に向かっていく。

 後々考えればこの姿が私にあの決断をさせたのだろう。

 不安そうな視線を向ける妖精達に、妻、ワイフであることを鞄を下ろして自由になっている左手に年月を経た結婚指輪を見せて説明をしてみると何かしら納得をしてくれたのか、その不安な視線が少しだけ緩んだ。

 鞄をそのままに靴を脱ぎ廊下の先にあるリビングへと向かった。

 木曾ヒノキの四肢にガラス天板が載った大きな机2席の椅子と壁に掛けられた大型のテレビジョン、二人掛けの大きなソファーだけの生活感の薄い質素なリビング、私達夫婦に子供はいない。授かることができなかったという方が正しいのだろう。それ故に悠々自適な生活を営めるはずなのだが、似たもの夫婦で互いに仕事に勤しみ楽しみ、私自身も裁判官である以上は転勤で単身赴任が多かったこともあってか必要最低限の生活スタイルが確立している。

 いつも腰かけている椅子を引いて座ると妖精達の視線が私をじっと見つめてきた。


「もう大丈夫だ」


 妖精は人間言語を喋ることができない。妖精言語と呼ばれる細くか細い声で会話をしているらしいが、詳しい仕組みまでは分かっていない。作業を見せれば瞬時に理解して察することができ、それが不幸にして人間に使役される無限の労働力に組み込まれているのであった。

 リビングに入ってきた妻が新品のバスタオルとハンドタオル、そして救急箱や拡大鏡の医療器具を持ってきて、タオルを卓上に敷いて非常用の懐中電灯をその近くに灯すと即席の小さな診察台を設けた。私が2人をタオルの上に優しく置いていると絹子がスマホを手に取って操作をしていた。


「なにをするんだ?」


 私の問いに呆れたと言ったようにため息が聞こえてくる。


「もう、何も言わないで治療をしようとしても怖いでしょう、お話するのよ」


「できるのか?」


 妖精言語がきちんとした言語として機能し解読されているということに、絹子の指摘を受けるまで私はまったく無知であった。


「そういうアプリをつい最近、東都大言語学の教授が開発されたのよ。使ってみてくださいとメールが来ていて、この前お遊びに入れてみたところだったの」


「なるほど」


 その教授とは面識があった。以前、ある公判で証人として証言台に立って頂いた先生であるが、温厚で優しい丸型体型の容姿に似合わず、舌鋒鋭く、歯に衣着せぬ物言いで勇ましい方だったと記憶している。たしか、妖精訴訟の原告団の代表の1人であった。


「私は医師です、人間の医師だけど、あなた達の傷を見せてください、きちんと治療をしたいのです」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 妻の言葉が翻訳アプリで変換される、内容が聞き取れないくらいの小さく囁くような早口の音がスマホから流れると、妖精達はそれに理解を示したのかコクンと素直に頷いた。


「ありがとう、痛いところ、何があったがを教えてくれますか?どうしてそうなったかも、教えてくれる?」


「………………」


 ふと、絹子の視線が私に向いていることに気がつく、それは明らかに少し怪訝そうな視線であった。


「なんだ?」


「女性の診察よ?分かるでしょ?唐変木」


「‥‥‥‥‥」


「あ、すまん。着替えてくる」


「どうぞ、ごゆっくり」


 会話が翻訳されてしまったのだろう、少し恥ずかしそうな顔を妖精がしたので慌てて私はリビングを後にしたのであった。

 自室でスーツを着替えていて、ふと、自身の行動に嫌悪感を抱いてしまった。絹子が女性よ、と言うまで、私は妖精達をモノとして認識していたのだろう、だから、あのままじっとやり取りを見ていたのだ。


「これはまずい」


 着替えを終えて奥の書斎の椅子へと腰かけると鞄から裁判所支給のタブレットを取り出した。

 裁判所ネットワークシステムと称されるすべての裁判記録と現在公判中の記録を閲覧可能なシステムに保存されている現在公判中の妖精裁判の記録を検索してみる、検索結果は驚くほどに多く、導入当初から現在に至るまでのかなりの記録が確認できた。

 当初はワクチンなどを使うことに対しての訴訟、そして妖精そのものに対しての訴訟が大多数であったが、昨今はその倫理観や妖精自身の権利などの問題を争点としての訴訟が多くなっていた。最近の訴訟内容を1つ1つ読んでいく。妖精が如何に過酷な現状で過ごしており人間に好き放題されているかという現実を思い知らされる結果となった。

 それを知る度に生物として熱いものが込み上げてくる。

 生きているモノ、いや、者に対しての仕打ちとは思えない酷さに驚きながら、提出された証拠写真の酷さには目を覆うばかりだった。数多くの刑事事件、取り分け殺人事件を審理したこともあったが、それでもここまで酷いことは無いだろうと思えるほどの写真ばかりに正直、若い頃のまだ駆け出しの判事補だった頃のように吐き気を催しては、気分が不快になる。

 地獄のような惨状を目の当たりにしてしまった。

 数か月前、アメリカの最高裁判事とレセプションで会話をする機会があったが、かの国では妖精保護法が制定されて妖精は人権は認められていないが的確に管理運用がなされているとのことであったが、それでも事件は後を絶たないと聞いている。

 保護した妖精の2人のことを思案しながら、椅子に深く腰掛けてしばらくじっくりと公判記録を読み漁っていた。


 あれから3週間が過ぎた。

 絹子の手当ての甲斐もあってか妖精達は元気よく我が家を飛び回り、そして妻の料理や洗濯の手伝いもこなしてくれている。妻が命じたわけではなく、話によると自主的にしているらしい、遺伝的にそのように作られているとも、教育されているとも噂話程度には聞いていたが、見ている限りでは、自我があり、そして、喜怒哀楽を浮かべる姿には人とほとんど変わることは無いように思えた。

 製品として過ごしている妖精達とは一線を画すほどの表情に私は心底戸惑ってしまっていた。

 妖精と共に過ごすことなどない暮らしをしてきた分、色々と分からぬことも多かったが、この2人の妖精達には身を持っての良い経験と指導を頂いたと思う。

 やがて妻は2人に名前をつけ呼ぶようになった、「あや」「まみ」言うが、その名前に妖精たちが反応を示すようになり、そして妻がお気に入りの絵本を2人に読み聞かせている姿を見ていると、ふと、私達、人間と同じように教育によって子供のように無限の可能性を秘めているのではないかと考えるようになっていた。

 一種の社会的システム運用のために、大変に失礼な言い方だが、製品として考えられている妖精、人工的に生み出されたモノだからかもしれないが人間が安易に考えているこの生物は、きっと、きちんとした社会システムを構築し組み込んで行けば人間と肩を並べるほどに立派になるのではないかだろうか。


「あや、まみ、ご飯よ、あなた、ご飯!」


 休日の昼間、書斎で物思いに耽っていると、絹子の声が聞こえてきた。最近では妖精達が先に名を呼ばれるようになっている、きっと、絹子にとっては子育てとでもいうつもりではないだろうかと思えるほどに2人を可愛がっては溺愛していた。それは妖精だからではなく、人間の子供に対しての対等な愛情の注ぎ方に絹子の優しさに触れた気がした。

 大急ぎで食卓に向かうと、同じメニューが4人分並んでいる。


「遅くなった」


「大丈夫、さ、食べましょ」


 4人で食事を共にしながら、ふと、2人が食べているものが気になった。


「なぁ、あやとまみは一緒の味付けなのか?」


 絹子が驚いたような顔をして私を見る。それに気がついたこと自体が凄いとでも言いたげな視線に戸惑ってしまう。


「いいえ、ちょっと大学の伝手を頼ってね、体型からの最適な栄養などを考えて貰ったわ、専用食といってもいいかもしれないわね」

 

「なるほど、一般食も食べれるのか」


「きちんと計算しなくてはだめだけれどね、味付けの分からない化学成分だらけのレーションではかわいそうだわ」


 食べるものが分からずインターネット通販で妖精のご飯(エサ)と書かれたものを購入したことがあったが、原材料名などは何も書いていなかった、絹子が大学で現教授の後輩に無理を言わせて分析を依頼したところ、トンでもない化学物質だらけの回答が返って来たそうで、帰宅するなりそれをゴミ箱にぶちまけ捨ててしまった。

 その夜、私が仕事から帰宅すると熱心にパソコンで何やら計算したり海外サイトを読み解いては調べていた。翌日にはそれを基にして、調剤用の天秤図りと小さなキャンプ用のガスコンロを買ってきて、100円均一で小さな調理器具を買い揃え小型の鍋で調理を始めていた。

 その甲斐あってか、妖精達には絹子の料理を大変気に入っていて、最近では自分たちで調理までするようになった。飲食でも働いている姿を目にしたことはあるので、器用だと思っていたが、専用の機材を使って作っている姿は何とも見ていて微笑ましいものであった。

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