第27話

 世那は魔界の封筒を見つめて固まっていた。何故か、それを開けてはいけないような気がしていた。それには自分の出生の秘密より深い闇が封印されているような予感がする。


「開けないのか?」


 ボールが訊いた。


「どうやって開けるの?」


 いやな予感については言えなかった。


「知らないのか?」


「ええ、こんなの初めて見た」


「なら教えてやろう。中には魔法で作ったものが封印されているのさ。音声のメッセージのこともあるし、映像のこともある。ただ、それが作動するのは、開けた最初の一度きりだ」


「一度……」その言葉を噛みしめた。はたして今、開けるべきだろうか? 動揺のために聞き逃したりしないだろうか? 開けたくない。見せたくない。……そんな気持ちもある。


「開けようぜ」


 ボールが催促する。どう見ても興味本位だ。


「でも、一度だけなのよね?」


「録画したらいいじゃないか。その中の変な機械で」


 彼が世那のバッグを指していた。


「スマホかぁ、なるほど。そうよね」


 開けない理由がそぎ落とされた。


 スマホの録画機能をオンにしてレンズを向け、封筒を開けるように頼んだ。


「無理だよ。それを開けられるのは指名された者だけだ」


「そうなんだ」


 スマホをボールに預け、封筒とハサミを手に取った。


「開けるわよ」


「いいぞ、いつでもやってくれ」


 スマホのレンズが向けられる。


 ハサミを手にした指が小刻みに震えていた。


 あけるんだ。世那!……自分を励まして封を切った。


 封筒の切り口が震えた。まるで唇が言葉を発するようだ。そして、実際、封筒の中から声がした。


『私はここに謝罪する。犬養レンを殺したのは私だ。すまない、世那』


 短い告白だった。


「レンを……」


 衝撃だった。彼を殺したのはカーズだと思っていたから……。


「……どういうことよ」


「ウイルのやつ。見誤ったようだな」


 ボールは他人事のように言った。


「そんな……」


 カーズに悪いことをしたと思った。


「ヒイロは、どうしてレンを殺したんだ?」


「彼は生きているわ」


「そうか、セナが治療したんだった。……って、そういうことじゃない。どうして殺そうとしたのか、その理由だ?」


「私をとられると思った、……から?」


 世那は首を傾げた。


「新たな謎だな。他に手紙は残していないようだぜ」


 彼は木箱をひっくり返して言った。


 その後、クローゼット内をくまなく探したが、手紙はもちろん、メモ書きひとつ見つからなかった。




 翌日、世那が出社すると「ご愁傷様」と同僚に慰められた。祖父の死は、世那にとっては109日も前の出来事だったけれど、彼らにとっては三日前の出来事だった。


「三日会わないだけで、ずいぶん雰囲気が変わったわね」「おじいさまとはいえ、2人暮らしだもの、ショックだったわよね」仲の良い同僚はそんなことも言った。


 一方、その日も休んでいた犬養レンに対する言葉は厳しかった。「ラブホで事故にあったらしいな」「隣の解体工事現場から鉄骨が落ちてきて当たったらしいの」「もうぴんぴんしているのだけど、医者に止められたそうよ」「ラブホの事故でぴんぴんだなんて、笑っちゃうな」「初心に見えていたのだけど、残念な奴だったのね」といった具合だ。


「相手は誰だ?」そんな声が上がった時には、世那の血の気が引いた。


「ラブホぐらい、誰でも行くじゃないですか」


 彼の弁護をしてみたが、退屈な日常に投じられたユニークな話題を消すことはできなかった。


 とはいえ、「でも、無事でよかったわよね」「一時は人事不省に陥ったというから、奇跡だな」「不死身なのかもしれないぞ」と、最後は彼の人の良さが、彼自身を救うような結果で落ち着いていた。


 翌日、レンが出社した。


「事故で、脳死判定される間際で復活しました。皆さまにはご心配をおかけして申し訳ありません」


 彼は朝礼で挨拶し、拍手喝采を浴びた。そうして照れる彼の元気な姿に、世那は思わず涙した。同時に、〝愛させる魔法〟を見つけてこなかったことを深く後悔した。


「何を泣いているのよ」


 同僚にからかわれて笑ってみせたが、涙は止まらなかった。


「あのう陽彩乃先輩ですよね?」


 レンが目の前に立っていた。その他人行儀な話し方で、――今度の休みの日、僕とつきあって下さい――と子犬のように慕ってくる彼はいないのだ、と実感した。


「退院、おめでとう」


 涙を拭いて、彼との距離を探った。


「こちらこそ、お見舞いに来ていただき、ありがとうございます。病院で聞きました。先輩が来てから、僕は突然回復したそうです。それで思ったんです。、って」


 そう話す彼の表情は、子犬のようだった。


「なんだ、なんだ」


 レンの堂々とした告白を、同僚がはやし立てた。


 世那は驚いていた。突然、彼に手を握られたからだ。彼の顔がぐいっと近づき、安っぽい整髪料の香がした。あのデートの日にかいだのと同じ匂いだ。しかし、それだけではなかった。魔力を帯びた世那は、獣人の匂いも感じ取っていた。もちろん人間の匂いも。そして別な匂いも感じた。それは魔人のものではなかった。


 人間でも獣人でも魔人でもない。残されたのは、霊界の住人、……天使?……世那は天使と会ったことがない。それで天使の匂いを知らない。彼から感じる香が、天使のそれなのか、別の異界のモノのものなのか判断できなかった。


「今度の休みの日、僕とつきあって下さい」


 世那は、思わずうなずいていた。


 同僚たちが再度はやし立てたが、それは世那の耳には入らなかった。彼の鳶色の瞳の奥に広大な宇宙が輝いて見えた。握られた手から身体の芯がうずくような温もりが伝わってくる。


 今日からやり直すのだ。……考えると胸の中が甘いものでいっぱいになった。それが、波がひくように消えたのは、4カ月後、ジャックが率いる魔界の軍団が攻めてくるのを思い出したからだ。


 どうする、自分!……レンの手を握っていた腕に力が入ると、彼が顔を歪めた。


 やっぱり頼りないわ、レン。でも、そこが可愛い。……胸がキュンと鳴った。


                     ――帰郷編 了――

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魔王の娘は妄想上手 ――帰郷編―― 明日乃たまご @tamago-asuno

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