第26話

「何もないな」


 書籍の一冊一冊、ページをめくって目を通したボールが嘆くように言った。


「こっちもです」


 世那は最上段の引き出しを閉めた。


「あとは……」


 クローゼットに目をやる。


「そんなところに何があるというんだ」


 呆れたようにボールが言った。


「何があるか、見れば分かるわ」


 普段着に外出用のスーツ、冬用のコートに下着、……クローゼットの衣類は少なかった。


「これは……」


 世那は息をのんだ。クローゼットの隅に隠すように置かれた木箱の中に灰色のローブが納められていたのだ。


「へー、珍しいね」


 ボールが目を細めた。


「そうなの? こんなローブ、私も持っていたわよ。戦闘用のローブらしいわ」


「ローブじゃないよ。木箱の方さ。魔界でも珍しいバブバブの木で作られている。しかも、その紋章は……」蓋の裏側の紋章を指した。「……おそらく天使の紋章だ」


「天使ですって!……なによ、それ?」


「おい、おい、天使は知っているだろう?」


「それは分かるけど、どうしてそんなものがあるのよ?」


「俺が知るかよ。ただ言えるのは、これのせいでウイルの千里眼でも、この中身は見えなかったということだ」


「そうなの?」


「バブバブの木も天使の紋章も、魔力を弾く効果があるといわれているのさ」


 なるほど、魔法にも弱点があるのか。それならこの中に秘密が。……ドキドキしながらローブをそっと取り出した。……はたして、それはあった。ローブの下に……。世那あての手紙だ。


 ――世那、お前がこれを読んでいるということは……――


「私はこの世にいないだろう。……よくあるやつだな」


 隣で手紙を覗きこんでいたボールがつぶやく。


 ――……お前は魔王の娘、国王の座につく資格のある者なのだ。それについて告白しなければならない。……お前は私を恨むかもしれない。いや、すでに恨んでいるのかもしれない。魔王の娘が、どうして貧しい暮らしを強いられたのかと。……そして、当然、なぜ連れ去られたのか、疑問に思い、怒っているだろう……――


「怒ってなんていないわよ。ただ、早く教えてほしかった」


 世那は手紙に浮かぶ安国の顔に向かって話した。


 ――……お前はブライアン家にとって危険な存在なのだ。……あぁ、こんな書き方をしてはいけなかった。ただ世那を不安にするだけだ。問題は私、ヒイロ・ブライアンにあるのだ。私は愛してはいけない人を愛してしまった。君の母親、メグ・ブライアンを。世那は、私の子供かもしれないのだ……――


 私がおじいさんの子供?……頭が真っ白になる。手紙を見つめる瞳も、それを握る指や腕も動かなかった。まるで石のように、……心も固まっていた。


「オゥ、どういうことだ?」


 ボールが声を上げた。それで我に返った。


「なぁ……」


 彼がべったり寄り添っていて、無遠慮に世那の顔を覗く。


「ちょっと、黙っていて」


 世那は肘で彼を押しのけた。彼が興味本位で手紙を読んでいるようで面白くない。だからといって、自分1人では冷静に読める気がしない。


「しかしこれって、俺みたいな他人が知っていいことではないよな?」


 彼は知的だった。常識もある。……そう世那は考えた。そんな彼は、いつ魔界に戻れるか分からないことを知っているはずだ。場合によっては、一生もどれない。だから、隠し事をすべきではないと思った。今の2人は一蓮托生なのだ。


「ボールは私のペットでしょ?」


「ア、マァ、そうは言ったが……」


「私、ペットとは、全てを共有することにしているの。だから、読んでもいいわ」


「そんなに信用されてもなぁ」


 世那は応じず、手紙に目を移した。


 ――……若い彼女が私などを愛してくれるはずがない。それで私はジャックになった。信じられないだろうが、私は他人に化けるのが得意なのだ。そうして思いを遂げたものの、とても後悔した。それで旅に出た。天神照と出会ったのは偶然だった。メグを忘れることができるかと思った……――


「アマガミショウだって!……この世界の女帝じゃないか」


 ボールが目を丸くして手紙の文字を見つめていた。


「おじいさんが女帝と……」――陽彩乃安国様、あなたはこの世に80年もの間貢献し、偉大な足跡を残しました。皇帝天神照はここに感謝の気持ちを表します。……葬儀での照のメッセージを思い出した。


 あれは特別なものだったのか?……手紙の文字に目を走らせた。


 ――……帰ってみると、世那が産まれていた。もし自分の子供ならば、世那を次期国王にしては申し訳ない。いや、世那を自分の子として育てたい。そうしてこの世界に再びやって来た。天神照を頼り、普通の人間として暮らすことにした。世那はすくすくと良い子に育った。私は幸せだったよ。ありがとう――


 その手紙は〝私のためにすまない〟という言葉で締めくくられていた。


「魔法を使って成りすましたとはいえ、王家にはとんだスキャンダルだな」


「そんな風に言わないで」


 ボールから手紙を隠した。その手紙では、自分がジャックの娘なのか、安国の娘なのか、分からなかった。安国も調べようとはしなかったようだ。とはいえ、そうした不安があったから、彼が自分を魔界から連れ出したのは理解できた。


 フー、……世那は長い息をはいた。憤りもあったが、孤独な老人と考えていた安国が1人の魔人としてメグを愛したのだと知って暖かなものが胸の中にあふれるのを嬉しく感じていた。


「おい、もう1通あるぜ……」


 彼はたたんであったローブの中に隠されていた封筒を見つけていた。


「……こっちのほうが新しいみたいだ」


〖世那へ〗と表書きにあった。手に取って見ると厚みはなかったが、中が空洞なのは間違いない。ところが、どこにも紙を張り合わせた場所がなかった。それを作っているのは、人間の技術ではなく、魔界の技術だ。完璧な封印だった。

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