第26話 門番

「あ、そうか」

 ルーラはポンと手を打った。

「この霧がよくないってことなら、この霧さえなきゃいいのよ。痛みをつくっているのは、きっとこの霧が傷部分にまとわりついているからだわ。それさえなければ」

「霧がなきゃって、どうするんだ? 消せるのか、こんな霧を」

「まさか。あたしにそこまで力はないもん」

 ルーラはあっさりと否定する。

「何するんだ? どれだけの範囲でこの霧が漂っているのか、わかってんの?」

「ううん、わかんない」

「……もしかして、からかってる?」

「やぁね、そんなつもりないわよ。あのね、つまりは霧に触れないようにすればいいのよ」

「ますますわからん」

 さっきから、会話に進展がないようにも感じる。それとも、傷の痛みのせいで、レクトの理解力が落ちているせいだろうか。

「結界を作るの。あなたの周りだけにね。そうすれば霧から守られるし、傷も痛まないはずよ。あなた一人だけに張るなら、そんなに難しい魔法じゃないし」

「この霧のせいで傷が痛む、なんて本気で思ってるのか?」

「あら、だって他に考えられる?」

 反問されても、レクトに答えられるはずもない。魔法が関わるとそういうのも有りなのか、と思う程度である。

「さ、そこに立って。結界張るから」

 大丈夫か、と聞きかけて、レクトはすぐにやめた。

 難しくないと言ってはいるが、ルーラにそんなプレッシャーをかけたら、余計に術がうまくかからなくなってしまう。

 それに自分がこういう状態でいる以上、ルーラに頼るしかない。不用意に声をかけてルーラが失敗でもしたら、その反動が自分にくるということもありえる。

 そんな不安が表情に出たのか、ルーラがわずかに笑みを浮かべる。

「やるわよ、あたし。ザーディのためにも……あ、ザーディを思うあたしのために、ね」

 昨夜の話を思い出したのか、ルーラが付け足す。

 やっぱり、ルーラの頭に一番にくるのはザーディか。

 わかっていたことではあったが、目の前ではっきり言われると何となく気が抜ける。

 だが、ルーラのセリフはそこで終わらない。

「あたしを助けてくれたあなたを守りたいって思う、あたしのためにも」

☆☆☆

 方向は、魔法が失敗していなければ、間違いない。今までだってちゃんと来たのだ。

 この霧で不安になってしまうが、正確に進んでいるはず。ここまで来たら、自分を信じるしかない。

「少しは楽になった?」

「ああ、さっきまでの痛みが嘘みたいにな。まさか、傷の痛みの原因が霧なんて、普通は考えないぜ」

 結果として、ルーラはうまくレクトに結界を張り、彼を霧からへだてられるようにするのに成功したのである。

 それにともない、レクトの傷はほとんど痛まなくなった。

「この霧って意地悪ねぇ。ケガ人をいじめて楽しいのかしら。痛いからこれ以上進むのはやめようって、思わせたいのかしらね。足止めするにしても、もう少しましなものにしてほしいわ」

 横にいるレクト以外は誰も聞いていないだろうが、ルーラは一通り文句を言う。

 さっきのように、ほんのわずかでも離れてしまって不安になるよりは、というので、ルーラはレクトの袖をしっかり掴んで歩いていた。

 ルーラは一人でも方向さえどうにかできれば、どこかへちゃんと辿り着ける。

 でもレクトは道に迷ったら最後、どうなるかわからない。レクトも困るし、ルーラもそんな風になってほしくはない。

 だから、こういう進み方になった。さすがに手をつないで歩く、というのは恥ずかしい。

 わずかに霧が晴れてきたようにも感じたが、前が見えにくいのはあまり変わらない。ルーラは少しでも前が見えやすくなるようにと、風を起こす呪文を唱えた。

 このままでは、あまりにも進みにくすぎる。この霧を吹き飛ばす、なんて大それたことを考えるつもりはない。もう数歩先が見えるようになってくれれば、十分だ。

 控え目にやったのがよかったのか、魔法はうまく働いたらしい。少し視界が開けた。

「今日は調子いいな。もっとこの霧、払えないか?」

「無茶言わないで。下手なことして面倒でも起こったら、困るでしょ」

 偉そうに言っているが、できない可能性の方がずっと高いからしたくないだけだ。

「……と、言ってるそばから、面倒が起こったみたいだ」

 ルーラはレクトの見ている方に顔を向け、行く手に立っているものを見て短い悲鳴を上げた。

 そんな気など全くなかったが、気付いたらレクトにしがみついている。

 そこにいたのは、異様な形の生物だった。

 立っている状態で、長身のレクトの三倍はありそうな身長。手というか足というか、とにかくそれが八本。虫の触手っぽい。

 上部には、飛び出た目らしき黒いものが五つもある。小さい時にカエルの飛び出た目が変だと思ったが、目の前の生物を見たらカエルなんてかわいいもの。

 三ツ目の魔物なら絵で見たことはあるが、五つ目を見たのは初めてだ。しかも、見事に横一列に並んで。

 その少し下にあるのは口だろうか。円形の穴が開いたり閉じたり。その奥に歯車のような歯がその円にそって並んでいる。

 身体は殻のようなもので覆われて、全体的に直立した黒いバッタっぽく思えた。

 ちょっとやそっと突いても、ダメージを受けそうにない。背中には、これまた分厚い殻のような羽が何対かある。あの羽で飛ぶのだろうか。

 こんな生物は、今までに見たことがない。新種の虫というには大きすぎるし、動物にもこんな姿のものはいない……たぶん。

 鱗はないから魚とはとても思えないし、そもそもここは水中ではない。空を飛んでも、この姿では鳥の仲間に入れてもらえないだろう。

 とにかく、不気味だ。ちょっとやそっとでは恐がったりしないルーラが、逃げ腰になってしまったのだから。

 この森の生物だろうか。精霊が姿を変えたものだとしても、何をモデルにしているのか想像できない。今まで会った精霊や魔物だって、ルーラが見たことのある生物の姿をしていた。

 もしかしたら、こんな生物が世の中に生きているのかも知れないが、珍しすぎるものではある。

「ここはお前達の来る所ではない。帰れ」

 丸い穴の部分から、低い声がした。歯が鳴っているのか、カチャカチャとおかしな音をたてながら。

 こんな生物が人間の言葉を話すのは、ひどく奇妙に感じる。

 初めは気味悪がっていたルーラも、この言葉を聞くと急に大胆になって言い返した。

「いやよ。用があるからいるんじゃない。ここで後戻りする訳にはいかないわ」

 ザーディが通った時にも、こんなのが出て来たのかしら。だとしたら、恐がりだもん、きっと泣いただろうな。かわいそうに。

 ノーデ達がなぐさめてくれるとはとても思えないし、きっと心細い気持ちでいたはず。早く……早くザーディに会わなきゃ。

「ここからまだ先へ行く、と言うのなら、わしを倒してからにしろ」

「……あなたは、この辺りを守っている精霊なの?」

「お前がビローダの森の精霊のことを言っているのなら、違う。ここはもう、ビローダの森ではない。この先にある世界を守るための、いわば門番の役。森を守る者達とは別の存在だ」

「門もないのに、門番がいるのか?」

 そうつぶやいたレクトの足を、ルーラは踏んづけた。

 それよりも。ここはもう、ビローダの森ではなかった。

 いつの間に出てしまったのだろう。それならば、ここは一体どこになるのだ。

 ルーラはビローダの森を横断、もしくは縦断するつもりでこの森へ入った。この森を抜ければ、どこかの国の領域となっている林だの草原だのが広がっていると思っていたのだ。

 地図にちゃんと載っていなくても、世界はそういうものだ、と考えていたから。

 ビローダの森でなければ、もう精霊はいない。それはわかる。

 でも、目の前にいるのは、どう見ても普通の人間がいる所に棲む生物ではない。あの森は、どこか別の世界にでもワープしているのだろうか?

「このままおとなしく帰るのなら、何もせん。だが、先に進むというのならば、わしを倒せ」

「どうして?」

「何?」

 ルーラの言った意味がよく理解できず、門番の生物が聞き返した。

「あなたは、あたし達に何も悪いことはしてないでしょ。なのに、どうして倒さなきゃいけないの? この先の土地を守るために、侵入しようとしているあたし達をあなたが倒そうとするのならわかるけど。あたし達はただ、連れて行かれた子どもを取り戻しに来ただけなの。そういう事情を聞いたとしても、入れてもらえない?」

「戦わんと言うのか」

「戦う意味がないでしょ。例えば……この先にすごい宝物があるとして。あなたは門番として侵入者を食い止めないといけないだろうし、ほしがっているあたし達がそれを奪い取りに行こうとしてるのなら、あなたを倒すっていうのもわかる。でもね、あたし達はこの先にいるはずの、小さな子を助けるために来ただけなの。それでも、あなたを倒さないといけないかしら。どっちが勝っても負けても、自分のためにあたし達が戦ったと知ったら、その子はきっと悲しむわ」

 門番はしばらく黙っていたが、またふいに聞いてくる。

「その子の名前は?」

「ザーディ。本名は知らないけど、ザーディよ」

「……」

 またしばらく黙る門番。何を考えているのか、横一列に並んだその五つの目に、表情は全く浮かばない。真っ黒で、どこを見ているのかすらわからない。まばたきもしなかった。それ以前に、まぶたがない。

「その男に結界を張ったのは、お前か?」

 いきなり違うことを尋ねられ、少し面食らったルーラだったがうなずいた。

「なぜだ?」

「なぜって……えーと」

 質問の意図がわからないまま、ルーラはレクトの傷のことなどを説明した。

「一応の魔法力は持っているようだな」

 たまたま成功したものに、一応、なんて言われていいのだろうか。

 これが実力だと思われたりして、それに見合った戦いを挑まれたりしたら困るのだが……。

「いいだろう。その『ザーディを救うだけ』というのなら、特別に許可しよう」

「本当に? ありがとうっ」

 これで本当に戦うはめになったりしていたら、もうお先真っ暗である。相手の力量が全く想像できないし、戦いが長引けばそれだけで体力を使い果たしてしまいかねない。

 それに、ルーラの魔法力が消えて、ついでに結界まで消えてしまったら、ルーラと一緒にレクトまでどうにかなってしまっただろう。

「ここを真っ直ぐ進んで行けば、その子に追い付くだろう。……だが、ずっと無事でいられるか、わしは保証しない」

「どういうこと? あの子、ここを通ったのね? ザーディが危険なの?」

 何か知っているような口振りの門番に、ルーラが問いただす。

「あの方の子は無事だ。傷付くことなくすごすだろう。だが、お前達は何をきっかけにして危険になるか、わからん。ここを通り過ぎる以上、何が起きてもわしが関知するところではない」

 聞いてると、とんでもなく危険な所へおもむくような気がする。

 だが、ここで引き返せない。

「いいわ。どうせ今まで色んなことがあったんだもん。今更、恐がってられないわ」

「では、進むがいい」

 門番の姿が、霧の中に紛れて消えていく。

「戦場へ向かうより、やばそうだな」

「そんなやばい所に、ザーディがいるのよ。何をするつもりかわかんない人達と一緒に」

 ルーラは一歩、踏み出した。

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