第27話 本性

 霧が晴れてきた。もうかすみ程度で、歩くにも不自由しない。

 先へ行くにつれ、辺りの景色が姿を現し出す。全体的に、人間の世界と変わらない。

 さやさやと静かな音をたててなびく草も、澄んだ青空も、緑の木に覆われた山も、黒い岩肌も、豊かに流れる川の水も。人間の世界でも見受けられる光景。

 ただ。大気がどこか違う。

 優しく、ゆったりした空気の流れ。静かに過ぎる時間。甘い感覚。包み込むような暖かさ。何かに守られているような安心感。

「ここが竜の世界か。思ったより大したことはないな」

 どんな素晴らしい場所でも、何の興味も感動も持たない人間にとっては、意味のないものになるらしい。

 ノーデにとって、場所なんてものはどうでもよかった。ここに金のなる木がある、という事実だけが大切なのである。

 自然が人間に見せてくれる一番優しい顔など、用のないもの、という訳だ。

 ずいぶんと霧の中を歩いて来た。こうして霧が晴れてきた、ということはじきに竜の親に会えるのだ。

 足の裏に、マメができてしまった。だが、歩くのもあとわずかのはず。

「ザーディ、お前の両親はどこにいるんだ? そろそろわかるんじゃないのか」

 匂いがする。とても懐かしい、生まれた場所の匂い。

 ビローダの森に置いて行かれて以来、ずっと求めていた匂いだ。

 ここまで来れば、ザーディが生まれた場所からほとんど離れていない。少し目をこらして見れば、両親の姿が見えてもおかしくない程の距離だった。

 とても嬉しい。とうとう帰って来られたのだ。何日ぶりだろう。

 泣いていただけの時間は別として、本当に十日近く過ぎたのだろうか。

 ひたすらここをめざして歩いた。簡単に十日と言っても、ザーディには気の遠くなるような長い時間だ。

 その淋しさを紛らせてくれたのは、ルーラだった。ルーラが声をかけてくれなければ、ザーディは泣き通しのままだったかも知れない。

 いや、知れない、ではなく、本当にあのままだ。

 だから、帰れたのが嬉しい反面、ルーラがここにいてくれないのがとても淋しかった。

 そして、代わりにこの男達がいるのが恐かった。

 確かに、数日の行程を共にしたけれど、それは間違ってもザーディの望みではなかったし、今もって落ち着かない。

 でも、両親なら彼らが何かしようとしてもどうにかしてくれるだろう、という安心もどこかにある。

 色々と悩んでるザーディの目に、誰かの影が映った。

 はっとして顔を上げ、そちらを向く。

 そこには、人間の姿をとった母のルシェリが確かにいた。ザーディ以外に人の気配を感じ、竜の姿を隠したのだろう。

 彼らは滅多なことでは、人間に竜の姿を見せようとはしないから。

「母様……」

 ぽつりとつぶやくように言ったザーディの言葉を、もちろんノーデは聞き逃さなかった。ずっとこの時を待っていたのだから。

「あれがお前の母親か。ほぉ、なかなかの美人だな」

 人の姿をとったルシェリは、確かに人間では滅多に見られない程の美しさを持ってそこにいた。

 流れる銀の髪。深い青の瞳。ザーディと同じ色だ。透き通るような白い肌。きゃしゃな身体。柔らかな笑みを浮かべた優しい表情。

 本当に竜なのか、と疑いたくなる。竜を感じさせるものは、彼女のどこにもない。

「お帰りなさい、ザーディス」

 母がにっこりと笑う。ザーディはたまらず、そちらへ駆け出した。

 その後ろを、ノーデとモルがおかしくない程度について行く。

 そのノーデの手は、ポケットの中に入れられていた。

「母様ぁー」

 ザーディは手を差し出す母に飛び付きかけ、でも直前で自分の身体を押し止める。

 ルシェリは少し不思議そうな顔をして、目の前に立つザーディを見ていた。

「ただいま、母様」

 ゆっくりとザーディは背伸びをして母の首に腕をまわし、その頬に優しくキスをした。

「少し大きくなりましたね、ザーディス」

 嬉しそうに、母もザーディの頬にキスを返す。そっと髪をなでる母の手は、温かい。

「前のあなたなら、間違いなく飛び付いていたでしょうに。それに、ちゃんと魔法が使えるようになったのね。姿を変えられたということは」

「うん、気が付いたら、なってたの。魔法の呪文もよくわからないけど」

「別れる時に魔法なんてわからない、と言ってた時よりずっと成長しているわ。父様のやり方も、功を奏したみたいね」

 こんな弱々しい性格の子をあえて置いて来るなど、あまりに厳しすぎるのでは、と思った。だが、息子はちゃんと成長して戻って来たのだ。

 ここにはいなくても、ラルバスの声が聞こえるように思える。

 うまくいっただろう? と誇らしげな調子で。

「あのね、ここへ帰って来るまでに」

「わしらが一緒について来て差し上げたんですよ」

 ザーディの言葉を、後ろから近付いて来ていたノーデがひったくる。

「そうですか。道連れとして、彼らと行動を共にしたのね、ザーディス」

「あ、あのね、母様」

 ザーディの言葉を、またまたひったくってノーデが続ける。

「いやぁ、ここまで来るのは大変でした。わしが魔法使いでなければ、普通の人間ではここまではとても辿り着けんでしょうなぁ」

 いかにも、自分の魔法のおかげでここへ来たのだ、と言わんばかりの言い様。実際には、ほとんど魔法など使っていないのに。

 魔法を使ったと言えば、ルーラと一緒にいたザーディを追うため、追跡の小鳥を出した時くらい。

 結界を張ったり、濡れた服を乾かすためにも使ったが、どれも失敗か中途半端。

 移動はモルがザーディを背負っていたし、方向を決める魔法さえもザーディにさせていた。

 それにも関わらず、こんな大きな顔をしているのだ。

「ちが……母様、あのね」

 ザーディは、ルーラのことを言いたかった。ノーデは後から一緒になってしまったようなもの。

 だが、ノーデはあくまでもそれを邪魔しようとする。余計なことは言うな、とばかりに。

「ところで奥方。わしらが一緒に来たのは、金のなる木がある、と聞いているからなんですよ」

「金のなる木? ここには、この世界には、そんなものは存在しませんわ」

 少しいぶかしげな顔をしながら、ルシェリはさりげなくザーディを自分の斜め後ろにやる。何かおかしな空気を感じ取ったらしい。

「いやいや、ありますよ。それも、わしの目の前にね」

 ゆっくりと自然に、ノーデはポケットから手を出す。そして、その手を彼女の前でさっと開いた。

 手の中にあった、イオの実の粉が飛び散る。

 その細かい粒子を吸い込んでしまったルシェリは、むせて咳き込んだ。母が盾になってくれたおかげで、今回はその粉を吸わなかったザーディが慌ててルシェリの背中をさする。

「母様! しっかりして。大丈夫?」

 だが、息子の介抱に応えず、ルシェリはゆっくりとその場に倒れた。

 それを見て、ザーディは真っ青になる。

「母様っ、母様! 母様に何したのっ」

 ザーディがノーデを睨む。

 ザーディは気付かなかったが、誰かを睨むなんてことは生まれて初めてだった。睨む程、怒りを感じることがなかったから。

 いつも何かに怯えていたザーディが、睨むものなどなかったから。

 だが、ノーデは子どものザーディが睨んでも、全く意に介さなかった。所詮、子どもは子ども。

 もちろん、ザーディが竜というのは知っているが、ザーディの大切なもの、母親がこちらの手に落ちたのだ。こんな子どもの竜を恐れる必要など、ない。

「騒ぐなよ、おチビさん。大切なおふくろさんを、どうにかされたくないだろう?」

 ノーデがザーディを言葉で止めている間に、モルがルシェリを担ぎ上げた。巨漢のモルは、きゃしゃなルシェリを軽々と肩に担いでしまう。

 母を奪われてしまっては、ザーディもおろそかに手は出せない。

 いやな予感が当たってしまった。何かよこしまなことをしようとしている、と感じながら、こんなやからを連れて来てしまうなんて。

 自分には無理でも、両親ならどうにかしてくれると思ったのに。

 どんなに悔やんでも、起こってしまった事実は変えられない。

「母様を……どうするつもりだ」

 今までになく、低い声。隙があれば飛び掛かりそうな気配だ。

 ノーデだってバカではないから、ザーディの動きには十分に注意している。

「なぁに、ただわしらの事業にちょいと協力してもらうんだよ」

「事業って、何の……」

「それは人間の秘密ってやつかなぁ」

 そう言って、二人はゲタゲタ笑う。

 ザーディには、初めから彼らがどんな目的を持って自分を追って来ているかわからなかった。ただ、よくないことを考えているらしい、と思うだけだ。

 これが、彼らの本性だ。追って来ていた時も、一緒に竜の世界へ向かっていた時も。彼らに親切心などなかったのだ。自分の欲望だけを考えて。

 悔しい。後悔したって仕方がないってわかってる。だけど……どうすればいいんだ。

 悔しくて、涙が出そうになる。でも、ザーディはぐっと堪えた。

 ここで涙を見せるのは、負けたも同然だ。それはしたくない。これが自分のミスならば、自分で取り返さねば。

 そう。ルーラならあきらめない。必ず向かって行く。ビクテに会った時、ルーラはぼくを逃がそうとしてくれた。カグーに襲われた時も、自分の身体をはって。

 ぼくもやれる。身体をはってでも、母様を助ける。

 わずかに。ほんのわずか、ザーディの背がまた伸びた。

 でも、必死になっているザーディも、金のことしか頭にないノーデやモルも、そんな細かいことには気付かない。

「まぁ、心配するな。せっかく親子の再会を果たしたところで、すぐに引き裂くなんてひどいマネはしないから。お前もちゃんと、一緒に連れてってやるさ」

 魔法が使えれば。自分で何とか打開できただろう。

 でも、使い方をまだしっかりと把握している訳ではないザーディには、少し無理な話だった。無茶をして、母にケガをさせたくない。

「行くぞ」

 母が向こうの手の中にいる以上、おかしなまねはできなかった。それに、母がいつまでも気を失っているとも思えない。

 目を覚まし、わずかでもモルから離れれば、打つ手もあるはず。

 とても心もとない希望ではあるが、今はそれに頼るしかない。

 ザーディは先頭に立たされ、次にノーデ、最後にルシェリを担いだモルの順で、再び霧の中へと向かって歩き出した。

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