第24話 わだかまり

 今までになく、歩き方が速かった。

 小走りのように、でも走ってもいず。追いかけるというよりは、逃げてるような歩き方。せわしく、左右の足を交互に出す。

 息はずいぶん前から上がっていた。視線は前しか向いていない。一切、脇見をしないようにしているみたいだ。

「おい、ルーラ。無茶すんなよ。急ぐ気持ちもわかるけど」

 ルーラよりは息の上がっていないレクトが、後ろからそう声をかける。

「わかってる……」

 それだけ言うが、ルーラの歩くスピードはそのまま。こちらを見ようともしない。わざと見ないようにしている様子だ。

 ドリーが消え、ことさら元気にルーラは出発の声を上げ、それからずっとこの調子なのである。

 そして、出発してからレクトの方を全然見ない。

 理由はわかっている。ノーデの魔法の解き方に、問題があったからだ。

 あの方法しか元に戻らなかったとはいえ、やはりどうしてもわだかまりがあるらしい。

「ルーラ……おい、止まれよ。少し休憩しよう」

「そんな暇、ないわよ。ザーディがあいつらに何をされるか、わかったもんじゃないもの」

 とりつく島もない、といった口調。

 レクトは小さくため息をついたが、ルーラの腕を取った。半ば強引に、レクトはルーラを引き止める。

「ルーラ、止まれって言ってんだ。無闇に歩いても、先に自分の方が倒れちまうぞ」

 後ろからついて行くと、木の根にけつまづいているのか、ふらついているのかわからない時がある。本当に大丈夫なのか、と疑いたくなるのだ。

「わかったわよ……」

 腕を取られ、ルーラはしぶしぶ立ち止まる。

 レクトの手を振り払い、近くの木の根に腰を降ろした。その間、ずっとこちらを見ない。

 ……これ、完全にさっきのことを根に持ってんな。

 その様子を見て、レクトは心の中でため息をついた。

 あれしか方法がなかったのはドリーの説明でわかってんだろうし、納得したみたいに思えたんだけど。頭で理解しても、感情が受け付けないって訳かな。まぁ、多感な時期の女の子だし、さっきのあの泣き方を見りゃ、こうなるのも仕方がないと思うけど。

 一方、ルーラは軽く深呼吸して息を整えた。でも、上気して赤くなった頬は、そうすぐには戻らない。

 それがすごくいやなのだが、顔を冷やすものがここにはないのだ。手だって熱くなっているし、そんな手で頬を触っても、余計に赤くなるような気がする。

「ルーラ」

 ふいにレクトが声をかけた。わずかにルーラの肩がピクッと動く。意識しすぎてるみたいだ。

「な……何?」

 半分だけ顔を向けて返事をする。でも、その角度ではレクトの顔は見えない。

「さっきの……悪かった」

 優しく穏やかな声で、レクトは言った。

「ど、どうしてレクトが謝るの? あたしを正気に戻す方法って、あれだけだったんでしょ? だったら、あたしがお礼を言うことはあっても、あなたが謝る筋合いなんてないじゃないの」

 あの状況において。

 レクトはただ、ドリーに言われた通りにしただけ。そして、魔法は無事解けた。副作用らしきものもない。

 どんな方法にしても、ルーラにとってレクトは命の恩人なのだ。レクトが拒否すれば、ルーラは一生あのままだったらしい。

 半分は方法を教えてくれたドリーのおかげでも、最終的にはレクトがルーラを正気に戻してくれたのだ。

 ルーラは正気になった途端、驚いたためとは言え、そのレクトをひっぱたいてしまった。あまつさえ、突き飛ばしたりして。

 謝るなら、ルーラが謝るべきなのだ。レクトは何も悪いことはしていない。レクトが謝る必要など、全くないのだ。

 むしろ、レクトがルーラに謝れと迫ったとしても、ルーラに拒否権はない。

「けど、怒ってんだろ? ああ、こういう言い方が違うなら……事情がどうであっても、許せないってところかな」

「そんな……怒ってなんて」

「じゃ、どうしてこっちを向かないんだ?」

 返事ができない。

「で、でもね。絶対に怒ってないわ。それだけは間違いないから」

「それじゃ、こっちを向いてくれよ。あとどれくらいの時間や距離を一緒にいるか、わからない。その間ずっとこんな調子だと、俺も気が滅入りそうだ」

 わからないでもない。助けた相手が自分の行動ゆえに不機嫌になられたのでは、立つ瀬がないというものだ。あまりにも理不尽、というものだろう。

「ごめんね。わかってるんだけど……」

 自分でも気持ちの整理がつかないでいる状態。

 あれもこれも、わかっているのだ、頭では。

 闇雲に歩いても、すぐに目的地へ辿り着ける訳じゃない。

 そして着くまでの間、ずっとレクトと共にいるのだ。何か悪いことでも起きて、二人が離れ離れにでもならない限り。ザーディが見付かるまでずっと。

 それまでこんな風に、そばにいる相手を見ないでいようとするのは、無理な話だ。それはルーラもわかっている。

 レクトが言うように、怒っているのではない。……ショックではあったけれど。

 それなら、レクトの顔を見られない、というのはなぜなんだろう。

 恥ずかしい? それもある。それだけ、だろうか。ファーストキスを奪われて悔しい? まぁ、半分事実ではあるけれど……。

 レクトも奪おうと思ってやったことではないのだし、それに対して怒るというのは、いくら何でも失礼になってしまう。筋違いというものだ。

「話をする時は、人の目を見なさいって言われなかったか?」

 レクトの声が少し軽く……からかっているような口調になる。

「父さんによく言われたけど……」

「だったら、ちゃんと守らないとなぁ。自分の教えを娘が守ってくれないと知ったら、親父さんが嘆くぞ。礼儀ってのは、人間の基本だろ」

 さっきまでの穏やかな、今までになく優しい声なんて、もうどこにもない。意地悪してやろう、という意思さえ感じてしまう。

「わざとこんな時に言うなんて……ずるい」

「そうか?」

 ムッとするルーラに、とぼけるレクト。

 一応、これでもレクトなりに気を遣っているのだ。

 真面目に話してみたところで、逆にルーラが深く考え込みそうだと感じたレクトは、からかうように言えば気持ちもほぐれると思ったのである。

 からかってルーラがそれに突っ掛かってくれば、そのうち元に戻るだろう、と。

 そして、そんなレクトの思惑を知ってか知らずか、ルーラはレクトの言葉にのった。

「少なくとも、昨夜はちゃんと俺の方を向いてしゃべってたろ。何でもないってんなら、こっち向いてほしいよなぁ」

「もうっ。向けばいいんでしょ、向けばっ」

 言葉の勢いもあって、ルーラはレクトの方を向いた。

 一瞬、目が合い、すぐにそらしたが、軽く息をついてからちゃんとレクトを見た。

「助けてくれて……ありがとう」

「何だよ、いきなり改まって」

 急に言われ、頭まで下げられるとレクトも戸惑う。

「だって、ちゃんとお礼、言ってなかったから。あなたがいなかったら、あたしは死んでたかも知れないんだから」

 レクトと一緒に行動したのは、昨日から今日にかけてのほぼ一日だけ。ノーデにひどい目に遭わされた者同士という、いわば臨時の仲間。

 深い絆がある訳でもない彼が、ルーラを放っておいても文句は言えない。自分の力を開発する旅は、失敗に終わったかも知れない。

 それどころか、人生そのものが終わっていた可能性だってある。

 確かに、この魔の森でレクトのような普通の人間が一人で歩くのは危険だろうが、その要素さえ無視すれば、レクトがルーラを助けてやる義理というものはないのだ。

「まだこの若さで死にたくないもんね。やりたいことは一杯あるんだし。カセアーナの国は、もう少しで将来有望な魔法使いを失うところだったわ」

 気分が少しほぐれてきたのか、ルーラは冗談を言ってチョロッと舌を出して笑う。

「おーおー。昨夜、腕が悪いって嘆いてた奴のセリフとは思えないな」

「昨夜は昨夜よ。あたし、いつまでも悩むの、苦手だから」

 いつまでも思いわずらっているのは、疲れる。今日のことも、色々と考えるのはやめよう。過ぎてしまったことだから。

 あたしがこうして生きてるのは事実だし、助けてくれたのは確かにレクト。ザーディに追い付かなきゃいけないのも変わってない。他に悩みなんか持ってたって、得にならないものばっかりだし。

 ルーラの表情が明るくなったのを見て、レクトも安心した。もう気を遣う必要はなさそうだ。

「さぁ、行きましょ。もう無茶な歩き方はしないから。とにかくザーディに追い付かなきゃね」

「ああ、そうだな」

 今度はレクトも反対することなく、二人は再び歩き始めた。

☆☆☆

 霧が次第に深く、濃くなってくる。

 さっきまでは、十歩前くらいなら見えていたのに。今ではもう、五歩前もわからない。目の前に来るまで、木があるのさえ気付かないようになってきた。

 急いで歩くのは危険だ。それに、危険な獣が近くにいない、とは言い切れない。

 もう竜の世界に入っていたとしても、竜の他にどんな動物がいるのか、誰も知らない。そこに棲む竜と、妖精以外は。

 そのために、今まで以上に辺りを警戒し、進んで行かなければならない。

 当然、歩く速度はこれまでよりずっと遅くなってきた。

「えーい、うっとうしい霧だな」

 もうすぐ宝が……竜が手に入ると思ったノーデは、予想より困難な霧にいらいらしていた。

 竜と一緒にいれば、自然に竜の世界に入れるのだろうが、それまでがこんなに時間がかかるとは。

 竜と一緒にいてこれでは、心外だ。もっと早く着けるべきなのに。

「おい、ザーディ。お前さんの魔法で、この霧を何とか払えないのか?」

「ぼくの魔法……? ぼく、まだ使い方がよくわかんないし……ここの霧を勝手に消しちゃうと、叱られるかも知れないもん」

「えーい、竜が竜のやることに、いちいちケチをつけるもんか。何かやってみろ」

 そうは言われても、今までザーディがやった魔法はほとんど意識しないでやっていたものばかりだ。

 急に言われても呪文すら理解できていないのに、ザーディにやれる自信なんてない。

 でも、このまま何もしないでいると、ノーデにぐだぐだと文句を言われそうだ。

 それもいやなので、ザーディは心の中でもう少し行く先が見えやすくなるように、とつぶやいた。

「お、ちょっと前が見えるようになったぞ」

 モルが声をあげた。

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