第20話 うまくいかない魔法

 焦ったが、足の短いノーデと眠った子どもを背負ったモルでは、身軽なルーラやレクトにどんどんと差を縮められてゆくだけだった。

 やがて、ルーラが先を逃げる男二人の姿をとらえる。

「待ちなさいよっ。止まんなさい!」

 ルーラは両手を組み、人差し指だけを突き出して二人の足元へ向けた。指先から力が飛び出し、二人の足元の土が弾けた。

「止まらないと、今度は足を狙うわよ。本気だからねっ」

 ルーラが本気なのは、その声音からしてわかった。かなり興奮している様子だ。

「ルーラ、あんま無茶すんなよ」

 レクトがこそっと耳打ちする。

 さっきの妖精の言葉を言っているのだ。わかってる、と言うようにルーラは小さくうなずいた。

 盗賊二人は、しぶしぶと立ち止まる。だが、あきらめた訳ではない。

 ノーデは片方の手をポケットに突っ込む。

 ルーラとレクトが、とうとう盗賊達に追い付いた。息を切らせて相手を睨んでいる。

 ルーラはザーディがモルの背中にいて、こちらを見てないことに気付いた。すぐに眠らされているとわかる。

 レクトの話していた薬を使ったのだと言うことも。

 ルーラの声を聞いて、ザーディが眠ったままでいるはずがない。

「あんた……どこまでひどいことするのよ」

 怒りで声が震えている。強く握った拳も。

「その子は……ザーディはまだ小さいのよ。そんな子どもに薬を使うなんて。どんな薬か知らないけど、使い方によって薬は毒にもなるのよ。わかってて使ってるのっ?」

 母のキャルが薬剤師をしていたので、少しくらいならわかる。

 薬というのは使い方次第では、症状に合わないものであったり多量に使うなどすれば、とても恐ろしい毒になるのだ。

 最悪、死だってありえる。生死を左右する代物なのだ。

 ましてノーデが使っているのは魔法が関わっているらしいから、どんな副作用を及ぼすかわかったものではない。

 おまけに、使われているのは、まだ子どもで身体の小さなザーディなのだ。

「竜にとっては大したことじゃないさ」

「まだ言ってるの? その子は竜じゃないってば。竜の子だったら、そんなにか弱い性格のはずがないでしょ」

 ザーディが起きて聞いたら、赤面しそうなセリフを大声で言う。

「たばかっているのかも知れんぞ。まぁ、お前に正体が見破れんでも、仕方がない」

 それから、ノーデはレクトを見た。

「よく生きていたな。森の獣に喰われたかと思っていたが」

 悪いと思っている様子など、まるでない。悪運の強い奴、とでも言いたそうだ。

「あいにく雨が降ってたもんでね。獣はみんな、自分の巣穴にいたらしい」

 言い返すレクトの表情はひょうひょうとしたものだったが、その目は穏やかではない。

「とどめを刺さなかっただけ、ありがたいと思えよ。生きていれば、そのうち幸せもくるってもんだ」

 モルもノーデと同じく、何とも思っていない様子だ。

 ただ、子どもを背負いながら言う姿は、間が抜けてるようにも見えた。

「俺を殺す程、そのガキが大切って訳か。いや、そのガキがもたらしてくれる金だよな。わしの前から去れって言われる日がいつか来るだろうとは思ってたが、まさかこういう形で言い渡されるとは、さすがに俺も思ってなかったぜ」

「ふ……ん、お前は今まで役に立ってくれたよ。だが、わしが欲しいのは、思うように動いてくれる奴だ。お前みたいに、色々と言い出す奴はうっとうしいだけだからな」

 ノーデは冷たく言い放つ。レクトの目から表情が消えた。

「まあ、あんたがそう思ってやったことだとは予想していたさ。命の恩人に殺されかけるってのは、なかなか体験できることじゃない。感謝するべきかな」

「謝んなさいよっ」

 こらえ切れないように、ルーラが叫ぶ。

「謝っても許せないけど……謝りなさいよ。あんた達、自分が何をしたのかってわかってんの? 盗賊も許される訳じゃないけど、人をあやめたりするのってもっと許されないのよ。それを何でもないような顔で、うっとうしかったからなんて……仲間だった人でしょ。それなのに……人間として最低だわ!」

 ルーラが自分の代わりに怒っているのを見て、レクトは内心驚く。

「あいにく、お嬢ちゃんの説教を聞く気はないね」

 モルがぺッと横につばを吐く。ルーラの理性の糸が千切れ飛んだ。

 今まで静かだった周囲が、急に風で騒がしくなる。その風はルーラの方から吹いていた。段々と強くなり、軽い葉や小枝が舞う。そのうちに小石が浮き始めた。

 それらがノーデとモルに向かって吹き付けられる。

「ふん、半人前が偉そうに」

 腕で顔を守りながら、ノーデの口は減らない。カチンときたルーラが風の勢いを強めた。

 が、ふいに風があらぬ方向へと吹き出す。

 ノーデ達へ向かっていたのに、全然人のいない所へと風が吸い込まれてゆく。ついには、さっきまでの静けさに戻ってしまった。

 違う。あたしの失敗じゃない。確かに手応えがあった。魔法が失敗したんじゃない。でも、それならどうして……?

 すぐに答えはわかった。さっきの妖精の言葉だ。

 この辺りは空間が歪んで、魔法が正常に働かない、と。だから、少しうまくいっても、すぐに駄目になってしまったのだ。

 どうしてこんな時にこうなるのっ。

 一方で、ノーデはこの好機を逃さなかった。

 ポケットに入れていた手を出すと同時に、自分の近くにいたレクトに向かって粉をかける。

 自分にまであの粉を使われると思っていなかったレクトは、完全に油断していた。

 息を止める間もなく、細かい粉がのどの奥へ入って来る。レクトが咳き込んだところを、すかさずモルが刀の柄を彼のみぞおちに入れた。

 子どもを背負っているとは言っても、ザーディは軽い。これくらいの動きなら、モルにとって大したハンデではなかった。

 短い呻き声を出して、レクトはその場に倒れる。粉の効果に加え、強い衝撃で一気に視界が暗くなった。

「レクトッ」

 駆け寄ろうとしたルーラを、モルが持っていた刀を返して首を打った。衝撃がルーラを襲い、意識を遠くへ連れて行く。

「モル、こいつら二人を別々の木に縛り付けとけ。放っておけば、森の誰かが始末してくれる」

 命令されたモルは背負っていたザーディを一旦下ろし、ルーラとレクトを少し離れた木にそれぞれしっかりとくくりつけた。

 それが終わるのを見届けると、ノーデの目が嬉しげになる。ルーラが見れば、嫌悪感しか抱けない顔だ。

「もうすぐ……この森も終わる。そうすれば竜の世界だ。金のなる木が生えた世界に着くんだ」

☆☆☆

 どれくらい、時間が経ったんだ……。

 レクトはゆっくりと目を開いた。

 ぼんやりした頭で考え、それから急に意識が鮮明になる。

 俺は……そうだ、あの眠りの粉をかけられて。量が少なかったよな、あのチビ助に使ってたよりも。モルにみぞおちやられたから、あんまり粉を吸い込んでなかったのかも。

 少し胃の辺りが痛む。が。それよりも。

「陰険だな、あいつら。性格、変わったんじゃないか?」

 身動きできない自分を発見して、レクトは誰に言うでもなくつぶやいた。

 木にしっかりと身体を縛り付けられ、逃げられない。もしくは、二人を追えないようにされている。

 座った状態で上半身に縄を何重にも巻かれ、ちょっとやそっとでは抜けられそうになかった。

 わざとらしく見える所に、でも手が届かない所に結び目がある。だが、手が届いたところでなかなか解けないだろう。かた結びになっている。

 巻かれた縄そのものも、丈夫そうだ。こんな状態では、切るのはかなり難しい。

 腰に剣が残っているのは、情けと言うより嫌がらせだ。この状態では、手が届かない。

 遅ればせながら、レクトはルーラの姿がないことに気付いた。

 自分の真後ろにでもいるかと思ったが、気配はしない。首の回る範囲で辺りを見回すと、少し離れた斜め前方に、同じく木に縛られて気を失っているルーラを見付けた。

 あいつもあの粉で、かな。あいつに起きてもらって魔法でこの縄をほどいてもらうしかないだろうが、起きそうにないぞ。何か放って足にでも当てられりゃ、起こせるかも知れないけど。

 あいにく、腕は全く動かない。指先は縛られていないからかろうじて動くものの、それで何かを掴むことも、投げることも無理だ。足で土を蹴っても、ルーラの所までは届かない。

 自然に起きるのを待つしかないか。

 そう決めて、ルーラが早く目を覚ますようにと、レクトは祈りながら待っていた。

 だが、そう悠長なことを言っていられなくなってくる。

 レクトの耳に、かすかではあるが、何かの足音が聞こえてきたのだ。こんな所に人間が来るはずもない。妖精なら飛ぶだろうし、足音なんてしないはず。

 となると……一番考えられるのは、獣のたぐい。地面にべったりと座った状態で縛られているから、足音の主が肉食だったりしたら絶好の位置にエサが置かれているようなものだ。

 その目的も含めての、この姿勢だろうか。

「ルーラ! おいルーラ、起きろ。起きてくれ。なんかやばいぞ。おいってば。のんきに寝てる時じゃない。魔法使い、頼むから起きてくれ。くそっ。……えーい、ザーディが危ないぞっ」

 奥の手のつもりでザーディの名前を出したが、ルーラは気付いてくれなかった。

 足音が近付いてくる。逃げようにも逃げられない。

 もしかして、生かしておいたのはわざと恐怖を与えようとするため、だったのだろうか。

 そこまで根性が曲がっている、とは思いたくない。過去一度でも、仲間だった人間なのだから。

 でも、この状況ではそうじゃない、と言い切れない。

 足音は間違いなくこちらへ近付き、木の影から現れたのは、鋭い牙を持った普通よりもずっと大型の狼だった。

 真っ黒な身体が、妙に威圧感を与える。この森に棲んでいるのなら、魔力を持っているのかも知れない。

 白く光る眼で、木に縛られた人間二人を交互に見ると、ゆっくりとルーラの方へ近寄って行く。ルーラはまだ眠ったまま。

 狼はフンフンと鼻をならし、ルーラのにおいを嗅ぐ。

 狼の頭は、ルーラの顔の三倍はあった。ルーラの頭など、一口だ。今ルーラが眼を覚ましたら、驚いてまた失神するかも知れない。

 しばらくルーラのにおいを嗅いでいた狼は、赤く長い舌を出してルーラの顔をなめた。味見、というところだろうか。

 レクトはそれを見て、ゾクッとした。このままでは、ルーラが目の前で喰われてしまう。

 だが、助けるすべがレクトにはない。

「おい、狼。人間なんか喰っても、ちっともうまくないぞ。腹こわすだけだ。やめとけ」

 言葉が通じるか、なんてことはこの際よかった。

 少しでも狼がルーラを喰おうとするのを遅くし、その間にルーラが目を覚ましてくれれば魔法でどうにかできるかも知れない、というはかない望みにかけたのだ。

 もう、それくらいしか思い浮かばなかった。

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