第19話 眠りの粉

 時々、前を歩くレクトが「わっ」と声を上げて立ち止まることがある。何かと思えば複数の妖精が集まっていたり、ユニコーンが休んでいたり。

 あまりこういう場面に遭遇したことがないレクトは、驚いてつい声を出してしまうのだ。

 ルーラだって普段直接目にすることはないが、それでも自分がそういう世界に近い力を使うせいか、普通の人が森で動物を見掛ける程度の感覚しかない。

 急いでいなければ、妖精に話しかけたり、ユニコーンに触れてみたい、なんて思っていたりするのだ。

 でも、今は。そんなことをしている余裕があるなら、たとえわずかな時間や距離でもいいから先へ進みたい。少しでもザーディに近付きたい。

「レクト、驚くのは仕方ないけど、大きな声を出さないで。特にこんな奥深くだと、人間は来ないでしょ。ここではこっちの方が珍しい存在だし、場合によっては恐がったりするから」

「あ、ああ……。気を付けるよ」

 ルーラを追っていた時は見掛けなかったものを見て、さすがにレクトも呆然としている。

 自分がこういう存在を目にする日が来るなんて、思いもしなかった。

「きっと、必死の形相で追って来てたんでしょ。あなたはともかく、あの二人が。その雰囲気が伝わって、みんな隠れてたのよ。何か恐いものが近付いてるって」

 レクトがこれまで妖精を見なかったと言うと、ルーラはそう答えた。

「妖精は魔法が使えるし、人間より高い所からこっちを見て、もっと大胆だと思ってたけど」

「臆病って訳じゃないのよ。みんな、ちょっといたずら好きで優しいの。人間の子どもみたいに、好奇心だってあるし。だけど無知じゃないから、ちゃんと状況を把握するまでは慎重に行動するのよ」

 そうルーラが説明しながら歩いている間にも、明るい色の衣をまとった、手のひらにのってしまいそうな妖精が、何度もルーラ達の横を飛んで通り過ぎて行く。

「チイサナ……コドモ」

「え?」

 二人して聞き返す。二人の間をすり抜けて飛んで行った妖精が、何かささやいたのだ。

「今、何か言ってなかったか?」

「うん、聞こえた。たぶん、小さな子どもって」

 飛んで行った妖精はもういない。立ち並ぶ木々と、その影を落とした地面があるだけ。

「ギンイロ……フカイ ミズウミ」

 また別の妖精が、そうつぶやいて通る。

「何? あたし達に話しかけてくれてるの? ねぇ、お願い。教えて。どこに何があるの?」

 でも、通り過ぎた妖精は消えてしまっている。

「ルーラ、もしかしたらザーディのことじゃないのか?」

「どういうこと?」

「小さな子どもで、銀色っつったらあいつだろ。深い湖が青を示そうとしてるなら、あいつの目の色でばっちりじゃないか」

「サミシソウ……」

 また妖精が通った。ルーラは慌てて追いかけるが、すぐに消えてしまう。

「淋しそうって言った。ザーディ、あの男達に囲まれて、いやな気持ちでいるんだわ」

「そうだろうな。苦しそう、でなくてよかったじゃないか。ケガはさせられてないってことだ」

 レクトとしては、これくらいのフォローしかできない。

「近くにいるかも知れない。急ぎましょう」

 ほとんど小走りに近い速度で歩く。時々、根っこにつまづきかけるが、すぐに体勢を立て直して先を急いだ。

「ねぇねぇ。あんた達、あの子の知り合いかい?」

 ふいにルーラの前に、妖精が現れた。

 黄色のひらひらした衣をまとい、少年のように瞳をきらきらさせた、いたずらっ子のような雰囲気の妖精だ。

「ええ、そう。たぶん、あなた達の言うあの子って、あたしの知ってる子よ」

 いきなり話しかけられても、ルーラはちゅうちょすることなく返事する。

「お願い、教えて。銀色の髪に、きれいな青い瞳の小さな男の子?」

「そうだよ。ムサい人間の男二人が連れてる。どうもその子から魔法の匂いが濃くするし、見てるとあんた達の意識もあの子に向けられてるし」

「どこにいるの? あたし達、あの子を捜してるの」

 ルーラが尋ねると、妖精はある方向を指差した。

「この先にいるよ。でも一つ警告しておいてあげる。ここではあまり魔法は使わない方がいいよ」

 いつもは明るい表情の妖精が、いたって真面目な顔をする。

「どうして? あ、ここを守ってる誰かに許可をもらわないといけないって言うんなら、あたしは大丈夫のはずなんだけど」

 蛇の姿をとっていた森の精のビクテが、他の精霊に話をつけてくれているはずである。

 精霊は人間と違って嘘はつかないし、約束も忘れたりしない。その点については、問題はないはず。

「うん、それもあるんだけどさ。ここらはかなり空間が歪んでたりするもんだから、魔法を使ってもうまくいかない時が多いの。変な風に力が働いたり、全く働かなかったりとかね。自分を危険にする時だってあるよ。どうなるかは誰もわかんないんだから。精霊はうまくできるけど、妖精はうまくいかなかった時が恐いからあまり使わない。あんた達は人間だから、たぶんもっと変になっちゃう。だから、魔法はやめた方がいい。ちゃんと注意してあげたからね」

 妖精はそう言うと、今までの妖精と同じように消えてしまった。

「魔法を使うかどうかはともかく、先へ行くしかないだろ。追い付いたとして……組み合いになるとモルの力には負けるけど、ケンカの技なら俺の方が強い。ただ、俺がやりあってる間に、ノーデが魔法を使うとやばいんだよな。でも、使った本人に返る可能性もあるってことか」

 レクトが頭の中で、簡単なシミュレーションをしてみる。

 ノーデが魔法を失敗するのは構わないが、ルーラも魔法が使えないとなると問題だ。

「あんな小さいおじさんでも、男の腕力にはあたしじゃとても勝てないだろうし、そうなるとやっぱり魔法が……。うー、なりゆきにまかせるしかないわね。考えてないで行きましょ」

 立ち止まって考えるより、先に進む方が大切だ。だいたいこんな状況では計画のたてようがないのだし、ああでもないこうでもない、と言い合っているよりいい。

「ザーディ! いるなら返事して」

 ずっと木々の間を通り抜けるばかりで、感覚が麻痺してきそうだ。もしかして、さっきから同じ場所をくるくる回ってるだけじゃないか、なんて気になる。

「ザーディ、待ってて。絶対に助けてあげるからね」

 ルーラ達は、確実にザーディ達へと近付きつつあった。

☆☆☆

「あ、ルーラの声」

 耳ざとくルーラの呼び声を聞いたザーディが、モルの背中でそう言った。

 文句を言わせないためか、朝の出発からザーディはモルに背負われているのだ。

「ルーラ? 空耳だよ。ここにあの娘がいられるはずがないんだから。思い入れが強すぎると、そんなこともあるさ」

 竜のザーディ程に耳がよくない人間のノーデは、それを聞いて鼻で笑った。

 何も聞こえない。自分達の歩く時に踏み締める土の音だけだ。

 モルにも聞こえてないらしい。これという反応も示さないでいる。

「でも……ほら、また聞こえた」

 再度そう言われ、少しノーデは心配になった。

 もしかすると、本当にルーラが追って来ているのではないか、と。

 考えてみれば、自分の目でルーラが死んだところを確認した訳ではない。ただ急な斜面を転がって行くのを見ただけ。

 万が一にも運よく無事で、追って来た、と考えられないこともない。下手すると、レクトまで……。

 同じ場所から落としたし、ありえないことではない。このままのんびりと歩いていたのでは、せっかく手に入れた竜の子を奪い返されてしまう。

 冗談じゃない。こいつはわしのものだ。取り返されてたまるもんか。

 ノーデはポケットに手を突っ込んだ。そこには小さな巾着袋が入っている。

 さらにその中には、昨日ザーディに使った眠りの粉が入っていた。

 これは「イオの実の粉」という。魔力の詰まった果実の種の中にある白い粉で、この世に生を受けている者は全て眠らせる、という力を持っているのだ。

 それがたとえ竜であろうと、関係ない。ザーディに使ったのは、まさしくこの粉である。

「モル、少し息を止めてろ」

 ノーデのしようとすることを知り、モルは大きく息を吸って止めた。それを確認すると、ノーデはモルの背中にいるザーディにイオの実の粉をかける。

 ザーディはその粉を吸った途端、咳き込んだ。細かい粒子がのどの奥へ入ってくる。

 大して時間が経たないうちに、頭がぼんやりしてきた。くらくらして目を開けていられないようになり、意識が遠くなってゆく。

 そして、ザーディはモルの背中で眠りに落ちた。

「本当によく効いてくれる薬だ」

 ザーディの様子を見て、ノーデは満足そうに笑う。

 ノーデが魔法使いを目指していた頃、魔法道具を扱っている知り合いの老人からこの粉の存在を聞いていた。

「イオの実」は今よりはるか昔、イオという名の魔法使いがその術を用いて造り出した、魔の樹になる実である。

 あまり人目に触れないように、と木は高く険しい山にあると伝えられているのだが、どういったルートでか、その老人の店にあったのだ。

 時が経ってノーデは魔法使いから落ちぶれて盗賊になり、その薬を盗み出したのである。もちろん、他にも役に立つ品物を頂いて。

 レクトがルーラにロクな入手方法じゃない、と話していたのは当たっていたのだ。

「どうして眠らすんだ? まだ朝だぜ」

 今日出発してから、そう時間は経っていない。ノーデのすることに、モルは首をかしげた。

「バカ、さっきのこいつの話を聞いてなかったのか? ルーラの声がする、なんてほざきおって。だが、もしそれが本当ならまずい。万一、追い付かれた時にこいつが起きててみろ。こいつに魔法を使われたりしたら、あっさり逃げられるかも知れないんだぞ。だが、眠った人間を……こいつは人間じゃないが、とにかく奪って逃げるってのは難しいからな」

「なるほど。備えあればって奴だな」

 かすかに人の声がした。

 小さな、でも確かに人間の声。聞いた限りでは女の。

 ノーデ達の耳に聞こえる程、相手は近付いてきたのだ。

 間違いない。ルーラがザーディの名前を叫んでいる。

「くっそう、頑丈な娘だ。おい、もたもたするな。追い付かれたら厄介だ」

 二人は足早に先を急いだ。でも、追う方はもっと急いでいた。

 なんせ気迫が違う。ザーディの命がかかっているかも知れないのだから、必死になって追いかけているのだ。

 徐々にルーラ達は逃げる盗賊に追い付こうとしていた。妖精に教えてもらった方向へ小走りに進み、ザーディの名前を呼ぶ。

 ノーデ達が一緒にいるから、同時に気付かれることにもなるが、そんなことは構わない。

 とにかく、ザーディに自分がそばに来ていることを知らせたかった。息が切れても構わず、ルーラは叫ぶ。

「ザーディ! 返事してっ。いるんでしょ。あたしよ。ルーラよぉ」

 その声は、二人の盗賊にしっかりと聞こえた。

「くそっ。本当に来やがった。何て娘だ」

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