第18話 とにかく北へ

「え、でも……」

「普段できることでも、焦るとできなくなるってことは、魔法に限らずあるぜ。そんなことにいつまでもこだわってたら、俺なんか山程後悔することばっかりだ。結局、あいつは無事だったんだろ。だったら、それでいいじゃないか」

 あっさり言われ、何だか悩んでるのがバカみたいに聞こえる。

「あなたも結構、楽天的なのね」

「思い詰めたって、いい答えなんて出てこないからな。俺、自分をいじめる趣味はない」

 あ、兄さんと同じようなこと、言ってる。兄さんも、自分を追い詰めても楽しくないって言ってたっけ。

 レクトが大きなあくびをした。

「もう寝ようぜ。これ以上、頭を使ったら溶けちまう」

 うーん、とのびをする。と、ふいにレクトが顔をしかめた。

「どうしたの?」

「いや……木でちょっとひっかけた所が引きつっただけだ」

「左の袖、破れてるよ」

 今気付いた。

 レクトの服の破れ目に目をやり、何気なくその袖に触れる。その破れ目からチラッと傷が見えた。

 二の腕に、赤く腫れた傷口。ルーラの小さな手では隠し切れない長さの傷だ。

 出血こそしていないが、傷口は開いた状態。深くはなさそうだが、その状態だと恐らく跡が残る。

 泥や他の汚れでわかりにくいが、袖の黒い染みは血だろう。

「ちょっとなんてもんじゃないわよ。結構、痛むんじゃない? いつこんな傷つくったのよ」

 知らないうちに、ルーラの口調が子どもを叱るみたいになっている。

「あの斜面を転げた時かな。ほら、服を乾かしてくれたろ。あの時に傷口も一緒に乾いたらしい。こんな傷、茶飯事だよ」

 レクトは気にせず、へらへらしてる。

 ケガを放置する男の子はメージェスの村にもいるが、似たようなものだろうか。それとも、兵士をしていれば本当に茶飯事だから、気にしないようにしているのか。

「放っておいたら、化膿するわ。もう、自分をいじめる趣味はないって言ったの、誰よ。あなたがよくっても、これじゃ身体の方がかわいそうだわ」

 おぼれかけた時も転がり落ちた時も落とさずに持っていた袋を開け、ルーラは何やら捜し始める。

「前から気になってたけど……その中、何が入ってるんだ?」

「最初の頃は、ちょっとだけ食料入れてたの。パンを少しだけね。後は薬」

「薬?」

「話したでしょ、母さんが薬剤師だって。あたしがケガした時のためにって、持たせてくれたの。この傷薬は、大抵のものに効くのよ。ほら、腕出して」

 話しながらルーラは、手の平より少し大きいサイズの平たい瓶を袋から取り出した。

「……お前のための薬だろう。俺に使っていいのか?」

「あたしはいつ使うかわからないもの。今、これが必要なのはあなたよ。つばつけて治る程度の傷じゃないわ」

 袖をまくって現れたレクトの傷に、ルーラは見た目が粘土のような薬をベタッと塗り付けた。レクトが顔をしかめる。

「いっ……。もう少し穏やかに頼む」

「ぜいたく言わないの。これでも優しくしてるのよ。これ、母さんの魔法力も含んでいるから、普通よりも治りは早いわ。あまりいじっちゃ、ダメよ。今は包帯になるものがないし、あくまでも応急処置だから」

「ありがと。しっかし……」

 レクトがなぜか、くすくす笑い出す。

「お前、誰にでもそういうしゃべり方するのか?」

「そういうって?」

「母親みたいだ。小さい子どもにあれしなさい、こうしちゃダメよって言うのが」

 改めて言われてみれば、思い当たることがある。

「小さい子とよく一緒にいるから。ごめんなさい、あたしよりずっと大人なのに、失礼よね」

「何だよ、そのずっとっての。そういやお前、最初に会った時から、俺のことをおじさん呼ばわりしてたな。俺はまだ二十歳だ」

「あら、あたしの兄さんと一つしか違わないのね」

 そう変わらないとは予想していたが、ファーラスより一つ上。三人まとめてだったので「おじさん」になっただけだ。

「だったら、お兄さんにしてくれ。この若さで、まだおじさんとは呼ばれたくない」

「結構、こだわるのね」

「お前だって、おばさんと呼ばれたら傷付くだろうが」

「こんな子どもに向かっておばさんなんて呼ぶ人、いないわよ。そっちこそ、ずっとあたしのことをお前って言うけど、ちゃんと名前は言ったでしょ。あたしの名前は、ルーラ」

 歩きながらお互いに名前を教えていたが、レクトはまだまともにルーラの名前を呼んでない。

「わかったよ。じゃ、ルーラ。そろそろ寝ようぜ」

 ルーラも疲れていたので、その意見には賛成した。

「風邪ひくなよ。それと火のそばに寄りすぎて、焦げるなよ」

 ああするな、と注意するのはさっきのお返しだろうか。

「はいはい。ちゃんと気を付けます。おやすみなさい」

「おやすみ」

 二人は火を挟み、向かい合った木の根元で横になった。

 少しすると、レクトの寝息が聞こえ出す。余程疲れていたのだろうか。

 ルーラは静かに起き上がると、呪文を唱えた。毛布を二枚出すために。

 今回は素直に出てくれた。さっきのレクトの言葉を意識した訳ではないが、うまくいくとやっぱり嬉しくなるもの。

 ルーラはそっとレクトに毛布をかける。レクトは傷のある腕を上にして、横向きに寝ていた。

 起きている時は剣を腰に差していたが、兵士時代のものだろうか。今は、自分のそばに置いている。

 そんな姿を見ていたら、少し不思議な気がした。つい昨日まで追い追われる関係だった人間が、こうして一緒にいるのだから。

 自分達だけじゃない。ザーディ達の方だって、そうなのだ。何がどうなるか、わからない。

 ルーラは自分の場所へ戻り、毛布にくるまって目を閉じた。

 ザーディのことは、やはり心配ではある。でも、レクトの言葉が本当なら、ノーデ達もすぐに殺しはしないだろう。

 本当なら今すぐにでもザーディのそばへ行きたいが、まだルーラはそこまで器用に魔法を使えない。

 ノーデがしたように、誰かの追跡をする魔法の存在は一応知っているが、使ったことがなかった。そんな必要性が今までなかったから、呪文もうろ覚えだ。とても「使える」魔法ではない。

 悔しいが、長く生きている分、ノーデの方が知識がある、ということだ。飛行術で空から捜すにしても、こんな森の中にいたのでは木に邪魔されてわからない。

 とにかく、北へ行くしかないのだ。彼らも向かっているであろう、北へ。そこでザーディを取り返すしかない。

 北、というだけのあまりにざっくりした目的地だが、ザーディが魔法力の高い存在であるなら、その両親から何かしらの気配を感じ取れるはず。

 いざとなれば、近くにいる妖精を呼び出して尋ねる、という方法を使うのも手だろう。

 この点については、ルーラはあまり深く考えていない。考えるにしても、情報が少なすぎるから推測しきれないのだ。

 ノーデも魔法は下手らしいから、力は五分といったところかしら。経験がある分、向こうが少し有利かな。でも、ザーディの命がかかっているんだし、あたしだって負けらんない。殺されかけたお礼だって、しっかりしてやんなくちゃ。

 つらつら考えるうちに、いつの間にかルーラは眠っていた。やはりルーラも疲れているのだ。ぐっと深く眠り込む。

 しばらくすると、音もなくレクトが身体を起こした。少しルーラの方を覗き込む。

 ルーラはレクトが寝息をたてていると思っていたが、彼はまだ本当に眠った訳ではなかった。

 ルーラが考え込んでないか、もしくはレクトのことを必要以上に警戒してないか、気にしていたのだ。

 どうやら、大丈夫のようだな。

 毛布をかけてもらったのも、ありがたい。今までは火を焚くくらいで、しっかり保温しながら休めることがなかったのだ。

 ルーラが眠ったらしいのを見届けるとレクトはまた横になり、今度こそ本当に寝息をたてだした。

☆☆☆

 すごくよく寝てしまった。心配事があるくせに。これは、若い、というのだろうか。

 とにかく、よく眠ったおかげでルーラは身体が軽く感じた。

 木々の間からわずかに見える空は晴れている。

「よっし。絶対にザーディを見付けるわよ」

 朝から気合いを入れる。

「元気がいいな。その調子だと、よく眠れたか」

 あくびしながらレクトが言う。そんな彼も、すっきりしたような顔をしていた。

「うん、元気復活よ。あいつらの好きにはさせないわ。絶対にザーディを助けるの」

「おい、もう行くのか?」

 ルーラはもう歩き出している。

「当然でしょ。休みを取りすぎたんだもの、その分を取り戻さないと」

「朝に強い奴なんだな」

 置いて行かれる訳にはいかないので、レクトも立ち上がってルーラの後を追った。

「ノーデは魔法でお前らの後を追ったけど、それはできないのか?」

 昨夜、ルーラも考えていたことだ。

「……あたし、まだ日常的な行動を助ける魔法とか、空を飛ぶ魔法しかできないの。食べ物を出すとか、必要な物を出すとか。一応、守護の魔法も習ったけど、あまりうまくないし」

 湖の水でノーデ達を襲ったのは、風で物を運ぶという魔法を応用したものだ。

 それと、頭にきたルーラの馬鹿力も相まっていた。攻撃魔法とは微妙に違うのだ。

「だから、あの子が向かうはずの北へ行くしかできないの。もし先にザーディの両親に会えたら身を守るように言えるし、そこでザーディ達を待ち伏せできるわ。それに賭けるしかないの」

 こういう方法しかないことが、すごく悔しい。悔しいけれど、できないものは仕方がない。それなら、できることをするしかない。

 今のルーラに考え付くのは、これくらいしかなかった。

「わかった。前進あるのみだな。なるたけ先回りできるようにしないと」

 ルーラができないと言っているのだから、レクトも文句は言わない。無理にやって失敗しては、意味がないのだ。

 二人はとにかく歩いた。

 ルーラも、ザーディと一緒の時よりペースが速い。なんせ今一緒にいるのは大人の、それも男性だ。足は速い。

 ザーディと一緒の時は、自分が速さを考えてやらなければならなかったが、今度は逆だ。ルーラがこっちだと言った方へ、レクトはさっさと歩いて行く。それを追いかけるのが大変に思ったりする程だ。

 どうして先に行くんだろうと思ったが、もちろんレクトはルーラを置いて行こうとしているのではない。

 行く手を邪魔する草を払ったり、不安定な足下でないことを確認してくれているようだ。

 ノーデ達といる時もこうだったのか、ルーラが少しでも歩きやすいようにしてくれているのかはわからない。

 小休止した時にでも聞いてみよう、とルーラは思いながら歩いた。

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